第11話(副業シリーズ2)問いが灯した灯台 - 偶然という名の必然【創作大賞2025作品】
週末の書斎は、池田浩二(いけだこうじ)にとって、新たな思考を巡らせる場となっていた。
事業の「器」を整え、最初の資金を記帳したものの、具体的な副業案件獲得への道筋は、まだ手探り状態だった。
ブックマークしたクラウドソーシングサイトを眺めてはみるが、無数の案件の中から「これだ」というものを見つけ出すのは容易ではない。
応募要項を読み込み、求められるスキルレベルや単価を見るたびに、「今の自分で本当に通用するのだろうか」という一抹の不安が顔を出す。
だが、以前のような焦燥感や無力感は、もうなかった。
KIオフィスサポート。
その屋号を冠した印鑑と銀行口座、そして導入した会計ソフト。
目に見える「形」が、彼の心に静かな拠り所を与えていた。
「いつでも動けるように、準備はできている」。
その自覚が、焦りを打ち消していた。
今は、来るべき時に備えて土壌を耕す時期なのだ。
そう割り切り、池田は会計ソフトのマニュアルを読み込んだり、個人事業主の税務に関する記事を検索したりと、地道な知識の習得、いわば静かなる「考働」を続けていた。
考えることをやめず、行動の準備を怠らない。
表面的には何も動いていないように見えても、彼の内側では、事業主としての根が少しずつ、しかし確実に張られ始めていた。
そんなある平日の夜、スマートフォンが珍しい名前からの着信を告げた。
大学時代の友人、佐々木からだった。
卒業後、何度か会ったきりで、もう何年も連絡を取っていなかった。
懐かしさと共に、何故このタイミングで?という微かな予感が胸をよぎる。
「もしもし、池田? 久しぶりだな!」
電話口の声は、学生時代のまま、明るくエネルギッシュだった。
「最近どうしてる? よかったら近いうち、軽く飲まないか?」
数日後、池田は指定された居酒屋の暖簾をくぐった。
奥のテーブルで手を振る佐々木の姿は、少し恰幅が良くなったものの、快活な笑顔は昔のままだった。
ビールを酌み交わしながら、互いの近況を語り合う。
佐々木は数年前に勤めていたIT企業を辞め、仲間と新しい会社を立ち上げたのだという。
「最初は大変だったけどさ、ようやく軌道に乗ってきてね。今、結構イケイケなんだよ」
目を輝かせながら事業の成長ぶりを語る佐々木は、眩しく見えた。
池田は、自分の置かれた状況とは違う友人の成功を素直に喜び、相槌を打った。
しかし、話が進むにつれて、佐々木の表情にわずかな曇りが見え始めた。
「たださ…会社が大きくなるにつれて、問題も出てきてね」
佐々木は、ビールジョッキを置いて溜息をついた。
「特に、バックオフィスが全然追いついてないんだよ。請求書出すのが遅れてクライアントに迷惑かけたり、経費の精算がぐちゃぐちゃで、税理士さんにも毎月のようにため息つかれてる」
「奥さんが手伝ってくれてるんじゃないのか?」池田が尋ねると、佐々木は困ったように頭を掻いた。
「ああ、手伝ってくれてるんだけど、彼女、前職は営業事務でさ。経理とか総務の実務は全くの未経験なんだよ。一生懸命やってくれてるのは分かるんだけど、やっぱり専門的なところは難しくて…。かといって、今すぐ専門の人を雇う余裕もないし…」
請求書の遅延、どんぶり勘定の経費管理、素人では難しい専門業務…。
佐々木の語る具体的な困りごとは、池田にとって、あまりにも聞き慣れた、そして解決策を知っている問題ばかりだった。
「それなら、請求フローをこう見直して、経費精算のルールをこう決めれば…」「会計ソフトも、シンプルなものなら…」。
ごく自然に、自分の中に具体的な解決策(解)が次々と浮かんでくる。
(あれ…? これ、俺が本業でずっとやってきたことじゃないか…)
以前の自分なら、「それは大変だな。早く専門家を探した方がいいよ」と、他人事のようにアドバイスしていただろう。
だが、今は違った。
佐々木の悩みが、まるで自分のことのように聞こえている。
「KIオフィスサポート」として、まさに自分がやろうとしていたこと、提供できる価値そのものだと感じている。
この変化に、池田自身が一番驚いていた。
「…そうか、それは大変だな」
池田は、すぐさま「俺がやろうか?」と言い出しそうな自分を抑え、慎重に言葉を選んだ。
「もしよかったら、もう少し詳しく聞かせてもらえないか? 何か、俺でも力になれることがあるかもしれないから」
佐々木は「本当か!? 助かるよ!」と顔を輝かせたが、池田は「いや、まだ分からないけど、ちょっと考えてみるよ」と、その場は話を終えた。
帰り道の電車の中、池田の頭の中は興奮と戸惑いが渦巻いていた。
なぜ、このタイミングで佐々木から連絡が?
なぜ、彼の悩みが、自分の経験とスキルにこれほどまでに合致しているのか?
単なる偶然にしては、出来すぎている。
自宅の書斎に戻り、一人静かに考えた。
もし、自分が副業なんて考えず、ただ会社員として日々を過ごしていたら?
佐々木の話を聞いても、「大変だな」と同情はしても、「自分が助けよう」とは思わなかったはずだ。
せいぜい、知り合いの税理士を紹介するか、一般的なアドバイスをして終わりだっただろう。
だが、今は違う。
「一人で生き抜く力」について考え抜き、自分のスキルを棚卸しし、「KIオフィスサポート」として動き出す準備をしていた。
だからこそ、佐々木の言葉が「他人事」ではなく、「自分ごと」として、そして「手助けできるチャンス」として聞こえたのではないか。
そうだ、これは単なる偶然ではないのかもしれない。
自分が変わろうと考え、動き出したからこそ、引き寄せられた必然的な出来事なのではないか…?
そう考えると、佐々木の相談は、まるで自分自身の覚悟を試すかのような、問いかけのように感じられた。
「お前は、本気でやる覚悟があるのか?」と。
責任の重さを考えると、怖気づく気持ちもまだある。
しかし、それ以上に、自分の経験が誰かの役に立つかもしれないという、静かな高揚感が勝っていた。
週末、予定していた田栄人とのWebミーティングで、池田はこの数日間の出来事を、興奮を抑えながら話した。
佐々木との再会、具体的な相談内容、そして「これは偶然ではないかもしれない」「自分が変わったからチャンスに見えた」という自身の気づき。
「驚いたんです。以前の自分なら、絶対に『手伝おう』なんて思わなかったはずの話なのに…まるで、僕のために用意されたような話で…」
田は、池田の話を静かに、しかし興味深そうに聞いていた。
そして、深く頷いた。
「素晴らしい気づきですね、池田さん! まさに、それですよ!」
田の声には、確信がこもっていた。
「池田さんがご自身の課題と向き合い、考え抜き、行動を起こそうとしていた。その『考え動く力』、言わば『考働』があったからこそ、アンテナが立ち、目の前の出来事をチャンスとして捉えられたのです。アンテナが立っていなければ、ただの雑談として聞き流していたかもしれません」
田は、少し言葉を続けた。
「実はですね、池田さん。私が副業を進める上で大切にしている理念があるんです。それは『アイディアを考働で混ぜるが価値』という考え方です」
初めて聞く言葉に、池田は真剣な眼差しで田を見つめた。
「『アイディア』、つまり知識や経験、ひらめきは、それだけではただの思いつきに過ぎません。しかし、それを実現するために考え抜き、行動する、つまり『考働』することで初めて磨かれ、具体的な形が見えてくる。そして、池田さんがまさに今経験されているように、その磨かれたアイディアが、『人と人とが混ざり合う』中で、誰かの具体的な『困りごと』と結びついた時、それは初めて社会的な『価値』、つまり『お役立ち』へと昇華するのです」
田は続けた。
「池田さんが本業で培ってきた知識や経験、それは池田さんにとっては『当たり前』のことかもしれませんが、友人にとっては喉から手が出るほど欲しい『価値』そのもの。池田さんの持つ『アイディア』が、友人の『困りごと』と出会い、それを解決しようと『考働』することで、まさに『価値』が生まれようとしている。素晴らしいじゃないですか。これこそ、副業の醍醐味であり、創造力を働かせるということなんですよ」
田の言葉は、池田の中で漠然としていた感覚を、明確な意味へと変えてくれた。
自分のやってきたことは、無駄ではなかった。
会社の歯車としてではなく、個人のスキルとして、誰かの役に立てる可能性があるのだ。
「ただ」と田は、少し真剣な表情で付け加えた。
「友人相手だからこその難しさ、というのも確かに存在します。仕事として受ける以上、なあなあではいけない部分も出てくるでしょう。感謝される喜びは大きいですが、同時にプロとしての責任も伴います。どういうスタンスで、どういう距離感で向き合うか。そこが非常に重要になってきますよ」
安易な楽観論ではなく、現実的な注意点を添える田の言葉に、池田は改めて身を引き締めた。
田との対話を終えた池田の心には、もう迷いはなかった。
腹は、完全に据わっていた。
「やってみよう」。
これは、神様が与えてくれたチャンスであり、自分自身への挑戦状でもある。
「KIオフィスサポート」の最初の仕事として、これ以上ないスタートではないか。
自分の経験を価値に変え、困っている友人を助ける。
その喜びは何物にも代えがたいだろう。
しかし、田の言う通り、甘えは許されない。
これはビジネスなのだ。
友人だからこそ、誠実に、プロフェッショナルとして向き合わなければならない。
報酬や条件面も、なあなあにせず、きちんと話し合う必要があるだろう。
契約書も、形式的かもしれないが、互いの認識を合わせ、プロとしてのけじめをつけるためにも作成した方がいいかもしれない。
池田は、スマートフォンの連絡先から佐々木の番号を探し出した。
画面に表示された旧友の名前に、指を伸ばす。
電話をかける直前、池田は一度深く息を吸い込んだ。
指先には、わずかな緊張が走る。
しかし、それは恐怖ではなく、未知への扉を開けようとする者の、心地よい武者震いにも似ていた。
本格的な副業への扉が、今、彼の目の前で、静かに開かれるのを待っている。
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