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フィリア I-5

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——「僕を助けてくれたように、過去何度もきみは誰かを救ってきたんだ」


「え、……過去、ですか?」

歩は野崎の言葉に戸惑いながら問い返したが、「過去の人生においても、という意味だよ」と野崎は答えた。

言葉を失いぽかんとしたままの歩をよそに、野崎は話を続ける。


「人は生まれ変わるだろ? あれ、何でだと思う?」


「え? ……えーっと」

「きみは先日〝当たり前のことをした〟と言ってくれたが、それを〝当たり前〟と思えるのは、過去に同じような経験があるからなんだよ」

歩はまったく意味が分からなかった。
過去の記憶を辿ってみたところ、駅前で道に迷ったという人に道案内をしたような出来事はあったが、こんな形で誰かを助けた経験はないと思うからだ。


「例えば、いま僕たちが本を読んだり、文字を書いたりできるのは、子どもの頃から学校で勉強したからだろう?
ところがこの時代であっても、世の中には学ぶ機会がなく、大人になっても文字が読めなかったり、書けない人もいる。

それからいまやっている仕事も、難なくこなせているなら、学生時代にアルバイトをした体験があるからかもしれない。

僕たちは誰もが、最初に勉強をしたり、小さな体験をして、その体験を何度も繰り返していくうちに、最後には、同じようなことが当たり前のように出来る自分になれる」


「……たしかに」

歩は学生時代に中華料理店やコンビニでアルバイトをしていた頃の自分の姿を思い浮かべた。

「だがもし、今回の人生にその〝最初の体験〟がなく、誰からも教わっていないのに出来ることがあったとしたら……

それは、過去の人生でその体験をしていたということなんだよ」

「え! そうなんですか!」

歩は驚愕した。

「ああ、例えば、〝誰かがピアノを弾いているのを見ただけで、初めてピアノを弾いてみたらすぐに弾けた〟とか、〝大抵のことは教わらなくても何でもできる気がする〟感覚を持っている人がいるとよく聞くのだけど、あれも同じだろうと思うよ。仏教にも似たような話があるらしいが」


にわかには信じがたい話だが、野崎を助けようとしたあの時、根拠は全くないにも拘らず、瞬間的に「いける!」と確信したことは確かだとも思った。

しかし、どうにも受け入れがたい気がして、少し意地悪な気もしたがその事実を口にするのはやめ、代わりに頭をフル回転させたところ一つ疑問が思い浮かんだ。

「いや、でも、咄嗟に体が動いた気もするので、そういうのって、危ない目に遭っている人が目の前にいたら誰でもそうするんじゃないですか?」
歩は自分でもいい質問だと思った。


「そうだな、〝咄嗟に体が動く〟とよく言われるが。
では実際に、その場にいた全員が同じように動けるかといえば、案外そうでもないんだよ。

僕も長く生きてきて多くの人を見てきたけどね、そういう時ほど体が動く人は少ない。でも無理はない。僕だって出来るか分からないし、それだけ特別なことだからね。

ただ、動ける人と、そう出来ない人の間には明らかに違いがあると、そう思わないかい?」

固まってしまった表情の歩を見て、野崎はやさしくほほ笑んだ。


「そうやってみんな〝出来ること〟が増えていくのだけど……。ただ、生まれ変われると言っても、そうそう簡単に訪れる機会ではないのでね。それぞれの人生は大切にしないといけない」

野崎は少しの間をとってから言葉を続けた。


「それに、自分の命がいつ終わりを迎えるか分からないだろう?」

歩の脳裏に、野崎を庇って道路に倒れ込んだあの時の背筋が凍てついた記憶が蘇った。

「だから僕は、〝今回の人生、残りの時間をどう生きたいか?〟と、いまのような節目のたびに自分に問いかけるよ」

野崎は遠くへ視線をやってから、
「きみはどうだい?」と言うと、歩の肩をポンと軽くたたいた。


歩は頭の中がまだ整理されていない上に
〝残りの時間〟というワードから連想できることは何もなく混乱したが、それでもこの話の続きをもっと聞きたくなり「でも正直、まだ現実味が湧かないです」と会話を続けた。


「ああ、そうは言ってもきみはまだ若いのだから、これから時間をかけて考えたらいい。

あの時きみは、僕を助けるために自分の命さえ顧みなかったんだ。
その勇気があれば何だってできる。

もし一人ではできないと思うことがあっても、同じ方向を向ける仲間がいれば、世界を変えることだってできるんだよ」

「世界!? いや大袈裟ですよ!」
歩は照れ笑いしてみせたが、なぜか胸の辺りが熱くなるのを感じていた。
それが何かは分からないが、ここ数年どこかに置き忘れていたような、懐かしい感覚がじわじわと込みあげてきた。

しかしそれ以上何と言って返答をしたらいいか分からない。
言葉が出てきそうで出てこなかった。


「考え尽くすより、まず動くことが大切だ。
時間というやつは、あっという間に過ぎるもんだぞ」

言葉に詰まって黙り込んでいる歩に、野崎はそういってやさしく笑った ——



(最近の俺のやる気ない感じが伝わってたのかな?)

野崎の言葉が歩の頭の中でぐるぐる回っている。
確かに、事故のことを思い出すたび、この先も何事もなく平和に生きられる保証などどこにもないと考えるようになった。


「時間か……」

呟くと同時に、休憩室で見た夢の場面が脳内にフラッシュバックされた。


夕日に照らされて影が長く伸びている。
アスファルトに映し出された実際より何倍も大きく見える手を背中越しの夕日にかざしながら何度か振ってみた。

「何だってできる……か」
気がつくと、立ち止まり自分の両手のひらを眺めていた。


(経験値を積むために生まれ変わっているって……、そんなこと考えたこともなかったな)

自分は過去の人生でどんなことをしていたのだろうと歩は想像してみた。


「この手が世界を変えることも出来るって……、本当かな?」

また鼓動が少し早くなってきた。

いつもなら面倒かもと言って遠ざけようとするのだろうが、どこへ向ければいいかも分からないこの熱をこのままうやむやにしてしまうようなことはしたくないと歩の中の何かが訴えていた。




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