スポーツ寮と言う「檻」
テレビで元PL学園の選手などが、かつての「寮生活」の厳しさについて面白おかしく話しているのを聞くと、不快な気持ちになる。彼らは「今の若い奴はこんな厳しい寮生活にたえられへんやろ」と言いたいのだろうが、狂気に近い高校生活を送ってきた人間が、まともに育っているとは思えない。桑田真澄は一切PL学園時代について話さないが、昔の寮生活の酷さについて得々と話す人間は一皮むけば「パワハラ体質」なのではないかと思ってしまう。

権威主義を生むスポーツ寮
読売新聞
龍谷大野球部、「部員間の暴行」「排せつ行為の動画を撮影・共有」など問題行為あったと発表…寮内で盗難も
竜谷大は、Fラン大学などではなく、関西では「有力私学」ではある。UNIVAS(大学スポーツ協会)にも加盟し、スポーツ馬鹿を作らない指導をしていることになっているが、実態は昔と変わらない。スポーツ枠で有力選手を獲得し、野球でいえば関西六大学で大商大と並ぶ強豪校だ。
しかし一皮むけば、竜谷大は野球部寮に全国から来た「野球しかしていない選手」を詰め込んで、昔の軍隊みたいな生活をさせていたのだ。
野球部などのスポーツ系の寮の多くでは、学年による「絶対的な序列」がある。上級生の言うことには絶対服従。下級生は問答無用で服従させられる。まともな感覚の持ち主であれば、それでも節度を守るはずだが、程度の低い上級生は「絶対に反撃されない」環境で、下級生を人間的に支配するようになる。
一方で野球部は、ひとたびグランドに出れば「実力の世界」だ。
下級生であっても実力があれば、試合に出ることができるが、実力がなければ上級生でもベンチを温めることになる。グランドと寮での「人間関係の段差」がストレスを生んで、様々なトラブルを生むわけだ。
こうしたトラブルは「最も品性下劣な人間」が、リードして引き起こされる。狭い檻に押し込められた肉食動物が「共食い」するような事態になるのだ。
こうした環境で大学生活を送った学生は「寮で厳しい目に遭ったから、どんなつらいことでも耐えられる」と言うが、実際には強いもの、力のあるものに盲従し、弱いものを服従させる「権威主義的」な人間になるだけだ。一般的に「体育会系」というが、ろくなものではない。

学校側、管理者側の理屈
スポーツ寮がなぜ設置されるのか?いくつかの理由がある。
まず、経済的理由。大学や有名な私学高などは、全国から学生を集めている。生徒が個別に住宅を借りて生活するには、相当な費用が掛かる。こうした負担を軽減するために学校側が「寮」を用意する。
高校の中には、学費と別に寮費を徴収することで学校の収入アップを図る学校もあるが、通学圏の生徒、学生以外を入学させる学校では「寮」は必要になるのだ。
そして「管理」の問題。スポーツ選手には「規律」が必要だし、練習時間以外でも「鍛錬」が求められる。選手たちが規則正しい生活をし、体力を維持向上させるためにも学校、指導者の目の届くところで、選手を一括で管理したい。そうした学校側の都合で、寮が設けられるのだ。
子供を送り出す親の側も、一人暮らしをする我が子の生活面、特に食事面での懸念があるから「寮に入っていれば安心」と言う気持ちがあるのだ。
高校、大学だけでなく、日本ではプロ野球でさえも「選手寮」がある。選手は24時間選「管理」しないと、うまく育たないという認識があるのだ。
日本ではスポーツは「強い兵隊を作る」ことを目的として発展してきた。「寮」には、いまだに「軍隊形式の管理」が残っているというべきだろう。

トップアスリートの意識
高校生にもなれば、本来は「自分はどうあるべきか」「何をすべきか」を自分で考え、スポーツをするにしても自分で「目標設定」をすべきである。
しかし日本の選手の多くは「指導者の言いなりになりがち」「周りに流されがち」だ。
今のトップアスリートは高校のレベルくらいから「自分の考え」で練習をし、高い目標に向かって「一人で」努力を重ねる。
寮生活では常に「同調圧力」を受けることになる。数の多い方へ、強いものの方へなびくような、つまらない性向が身に着く可能性が高い。
従来の日本スポーツ界の「寮」は、「個として確立しアスリート」を育成するうえではマイナスでしかない。
中には野球寮であっても管理が行き届いて、居住する選手のプライバシーが保たれ、まともな運営をしている学校もあるが、そうした寮の運営にはコストも手間もかかる。今のところ例外的だ。
学校側、管理者側の都合で設けられ、運営されてきた「スポーツ寮」は、もはや時代にそぐわない。まともな学校であれば廃止すべきだろう。
