大相撲の「予定調和」が崩れている
よく知られているように「八百長」は、大相撲から出た言葉だ。明治時代、長兵衛という八百屋が、懇意にしていた大相撲の伊勢ノ海親方に囲碁で「わざと負けてやった」ことから、意図的に勝ちを譲る行為、あるいは仕組まれた勝負事を「八百長」と呼ぶようになったのだ。
このことからもわかるように、大相撲は「真剣勝負」だけで成り立っていたわけではない。
情けの八百長
江戸期の相撲は、興行だった。スポーツという概念がないのだから当たり前の話だ。江戸時代後期に、今に続く大相撲の興行が成立したが、当時は「客寄せ」のために地方から、体が大きいだけの男を呼びよせて「大関」にした。「当座関」「看板」と呼ばれた。相撲はほとんど取らなかったが、たまに小兵の力士と取り組ませて、わざと負けさせて勝ちをつけたりもした。
実力で勝ち上がる力士もいたが、いろいろな事情で「わざと負ける」ことも普通にあった。
古典落語に、生活に困窮した力士佐野山を救済するために、大関谷風がわざと負けてやる「佐野山」という噺がある。十代目金原亭馬生の得意ネタで、史実ではないが、当時の庶民は訳ありの八百長相撲は「情け相撲」として美談扱いしていた。
そもそも力士は、歌舞伎役者と同じ「芸人」であり、社会的身分が低かった。大名の中には力士を抱えて、帯刀させて武士の格好をさせたりしたが、実態は「非差別階級」であり、一般の人々と規範意識が異なっていた。

「裏社会」との交流
明治以降、相撲界は「近代化」が進んだ。三井財閥がパトロンになった横綱常陸山は、バランスの取れた栄養食である「ちゃんこ」を考案するなど、相撲を興行ではなく、スポーツとして認知させるために尽力した。
その甲斐もあって大相撲は「スポーツ」とみなされるようになった。新聞でも野球やテニスなどと同じ頁で取り扱われるようになった。
大正期まで、大相撲は「東京」だけでなく「京都」「大阪」にも協会が存在した。京都は早くに消滅、大阪も昭和初年には東京に吸収合併された。
しかし末期の大阪の相撲界は、博徒が親方株を取得して相撲部屋を牛耳っていた。こうした勢力も、一定の影響力を有したまま相撲界は統合された。
昭和に入って、玉錦三右衛門という強豪横綱が出たが、玉錦は博徒、やくざと親しく付き合っていた。玉錦が急逝し、筆頭弟子の玉ノ海は、やくざを相撲部屋から排除した。そのこともあって玉ノ海は相撲界に居づらくなり二所ノ関の名跡を手放して、相撲界を退きNHKの解説者になった。大相撲といわゆる「裏社会」との交流は、以後も続いた。

番付を維持するために
相撲界に「八百長」があることは「公然の秘密」だった。7勝7敗で千秋楽を迎えた力士がほとんど勝ち越すのも、そのためと言われたが、それ以上に大きかったのは、横綱、大関をめぐる「星のやり取り」だ。負けが込めば引退に追い込まれる横綱、大関は万全の体調でなくても出場することがあった。その際に部屋の親方が対戦相手の親方に連絡をして「星を譲ってもらう」わけだ。直接連絡するのではなくベテランの力士が支度部屋を行き来して話をまとめることもあった。そういう力士を「中盆」といった。星を金で買う場合もあったし、星のやり取りをすることもあった。
「中盆」として知られた元関脇高鐵山は、八百長を暴露した直後に急性心不全で死去している。消されたのではないかと言われている。
歴史に残る大記録を作った名横綱の勝ち星の中には、一定数、こうした「買った星」「譲ってもらった星」があったと考えるべきだ。
新聞、テレビなどのメディアはこれを知っていても書かなかったが、中には気骨のある記者がいて、それを指摘した。
相撲界はこれを受けて「明らかにやる気のない取り組み」を「無気力相撲」としてペナルティを与えたりした。

モンゴルルート
八百長をめぐる環境は、大相撲に外国人力士が入ってくるようになって複雑化した。相撲協会は外国人力士は「1部屋1人」とした。そのために同じ飛行機でやってきた外国人が別の部屋に入って、本割で対戦するようになった。
モンゴルからやってきた力士たちは、部屋は異なっていても、彼らだけのネットワークを維持し、その中で「星のやり取り」をするようになる。
朝青龍、白鵬というモンゴル出身の大横綱の場合、モンゴルルートの新たな「八百長システム」が働いたのではないかと言われている。
こうした「八百長」の排除に動いたのが、貴乃花光司だ。現役時代から「ガチンコ相撲(本気の相撲)」で知られた貴乃花は引退後は、八百長や蔓延する「賭博」の排除などを訴え、新たな一門を作るなど、革新的な運動を展開したが、結局、旧勢力の反攻によって相撲界を追われた。
ガチンコの代償
しかし、以後、大相撲は「改革」が進み、八百長や賭博も排除されるようになった。皆無とは言わないが、今の大相撲の取組の大半は「ガチンコ」になっている。その結果として、横綱、大関はどんなコンディションでも「100%実力」で相撲を取らなければいかなくなった。
外国人力士が入って以降、大相撲は「大型化」したために故障、怪我が続出している。また無理な大型化のために、力士の大半は糖尿病、痛風などに苦しんでいる。相撲部屋のゴミ箱に「インスリン注射」のゴミが山のようになっていると報道されたこともある。
この夏場所は、5人いる横綱、大関のうち4人が休場して千秋楽を迎えることになった。優勝争いは混とんとしている。それを「面白い」とみることもできるが、番付の秩序が崩れているとみることもできる。
スポーツよりも前から興行として存続してきた「大相撲」は、永い間、人為的な「予定調和」があることで秩序、体制が維持されてきた。
しかし「健全なスポーツ」になる「代償」として大相撲は、250年近い「伝統」や「格式」の崩壊の危機に瀕している。

