編曲
編曲(へんきょく、英: arrangement)とは、既存の楽曲について、演奏媒体、楽器・声部の編成、調、拍子、テンポ、形式、和声、リズム、音色、音楽様式などを選び直し、特定の演奏、上演または録音に用いる版を作ることである[1][2]。編曲によって作られた版を編曲作品またはアレンジメント、編曲を行う者を編曲家またはアレンジャーという[2]。
編曲では、原曲を別の楽器編成へ移すだけでなく、和声、曲の長さ、構成、旋律のリズム、グルーヴ、伴奏、ジャンルなどを変更することがある[3]。ジャズやポピュラー音楽では、旋律、和声、楽器編成を含む特定の演奏版を指すほか、演奏のどの場面で誰が何を演奏するかという構成を指す場合もある[1][4]。
音楽上「編曲」と呼ばれる変更が、すべて著作権法上の二次的著作物になるわけではない。日本の著作権法上は、原曲へ新たな創作的表現を加えた編曲は二次的著作物として保護され得るが、原曲の声部を単に別の楽器へ割り当てただけの変更など、独自の創作性を欠くものは編曲作品として保護されない場合がある[5][6]。
概念
[編集]編曲は、すでに存在する音楽素材を維持しながら、その提示方法を作り替える行為である。変更の対象には、楽器編成、音域、調、拍子、テンポ、旋律のリズム、和声、伴奏音型、テクスチュア、形式、ジャンルおよびグルーヴなどが含まれる[1][3]。
編曲の規模は一定ではない。原曲を異なる楽器で演奏できるようにする比較的小規模な変更から、曲の構成、和声、リズムおよび様式を大幅に変更し、原曲とは異なる印象を持つ演奏版を作る作業まで含まれる[2][3]。原曲を別の音楽ジャンルへ作り替えることも編曲の一形態である[2]。
編曲は、必ずしも完成した総譜として固定されるとは限らない。ジャズの小編成では、演奏前の打合せや演奏中の合図によって、導入部、ソロの順序、伴奏、終結部などを定めるヘッド・アレンジメントが行われる[4]。一方、奏者数の多いビッグバンドなどでは、各奏者の役割を調整するため、編曲が楽譜として記されることが多い[4]。
作曲との関係
[編集]ポピュラー音楽の制作では、旋律や歌詞を基礎として、楽器編成、和声、テンポ、調、形式、グルーヴおよび伴奏を決定する作業が編曲と呼ばれることがある[3]。この用法では、旋律とコード記号などを記したリード・シートから、複数の楽器で演奏できる完成形を作ることも編曲に含まれる[7]。
編曲家は、既存の楽曲や作曲者のスケッチを基に、楽器編成、和声、リズム、テンポ、構成および音楽様式を決定する場合がある[2]。そのため、音楽制作上の作曲と編曲の分担は、原曲に残されている要素と編曲者へ委ねられた要素によって異なる[2][3]。
主な目的と形態
[編集]楽器編成の変更
[編集]編曲の代表的な目的は、原曲とは異なる楽器または声部の組合せで演奏できるようにすることである。米国議会図書館は、音楽上の編曲を、原曲とは異なる演奏媒体のために書かれた音楽と定義している[1]。
例えば、ピアノ曲を管弦楽で演奏できるようにしたり、管弦楽曲を吹奏楽、室内楽、独奏楽器などのために作り替えたりすることが編曲に含まれる[1][8]。
オーケストレーション
[編集]オーケストレーションは、旋律、和声、リズムなどの音楽素材を、管弦楽またはその他の合奏を構成する楽器・声部へ割り当てる作業である[9]。作曲者の短い総譜やスケッチに和声・形式などがほぼ指定されている場合、オーケストレーターは主として楽器、音域、重複、音量の均衡などを決定する[9]。
原素材が旋律だけの場合には、オーケストレーターが和声、リズム、テンポなども補い、編曲家に近い役割を担うことがある[9]。したがって、オーケストレーションは編曲の一部として行われる場合もあれば、音楽素材をほぼ変更せず、楽器への配分を中心に行われる場合もある[9]。
リダクション
[編集]リダクション(英: reduction)は、合奏曲を鍵盤楽器で演奏できる形へ縮約した編曲である[10]。管弦楽曲を一人または複数のピアノ奏者で演奏できるようにしたピアノ・リダクションは、稽古、分析および小規模な演奏に用いられる[10]。
トランスクリプション
[編集]音楽におけるトランスクリプションは、編曲と重なる意味で用いられる。米国議会図書館は、両者が類似した用語であるとしたうえで、一般にトランスクリプションは原曲への忠実度が高く、編曲は原曲からの変更がより大きい傾向にあると説明している[1]。
ただし、両語の使い分けは必ずしも統一されておらず、ピアノ曲から管弦楽曲への移し替えを「トランスクリプション」または「オーケストレーション」と呼ぶ場合もある[1][8]。
演奏条件への適合
[編集]編曲は、演奏者の人数、利用できる楽器、技術水準、声域、上演時間などに合わせるためにも行われる。編曲家は、曲の調、長さ、テンポ、楽器編成または難易度を変更することがある[2]。
声楽曲では歌手の声域に合わせて移調し、舞台作品では場面転換、台詞、振付および出演者の動きに合わせて曲を延長・短縮することがある[9][11]。
様式・ジャンルの変更
[編集]編曲では、原曲の旋律などを保ちながら、リズム、和声、楽器、音色および奏法を変更し、異なるジャンルや時代様式の演奏版を作ることがある[2][3]。同じ楽曲を、ロック、ジャズ、ラテン音楽、管弦楽、合唱など異なる様式へ作り替えることも編曲に含まれる[2]。
分野別の用法
[編集]クラシック音楽
[編集]クラシック音楽では、原曲を別の楽器編成へ移す編曲、管弦楽曲のピアノ・リダクション、独奏曲の管弦楽化などが行われる[1][10]。ピアノ曲を管弦楽へ移す場合には、ピアノ上の音符を機械的に各楽器へ割り当てるのではなく、原曲が生み出している音響的効果を分析し、それを管弦楽で再構成する方法が用いられる[8]。
原曲の音楽構造をできるだけ維持する版はトランスクリプションと呼ばれることがある一方、構成、和声、伴奏または様式まで大きく変更する版は編曲と呼ばれる傾向がある[1]。
ポピュラー音楽
[編集]ポピュラー音楽では、歌詞と旋律だけでなく、イントロ、間奏、終結部、コード進行、伴奏、リズム・セクション、楽器の組合せ、音域、音の密度および曲全体の展開を決める作業が編曲に含まれる[3][7]。
同一の楽曲でも、編曲によってテンポ、ジャンル、グルーヴ、和声、形式および楽器編成が異なれば、異なる演奏版として認識される[3]。編曲者は、作曲者、演奏者、音楽プロデューサーなどと共同し、録音または公演に用いる具体的な構成を作る[2]。
舞台・映像音楽
[編集]ミュージカルなどの舞台作品では、既存曲を物語、登場人物、振付および舞台進行に合わせて変更する作業が行われる。舞台用の編曲者は、短い楽曲を長い場面へ拡張したり、既存曲の一部へ新しい音楽を補ったり、場面の長さに応じて小節を追加・削除したりする[11]。
映画・テレビ音楽では、作曲者が作った旋律、短い総譜または電子音源によるデモを、管弦楽や合唱の総譜へ展開する役割がオーケストレーターへ分担されることがある[9]。原素材の完成度に応じて、楽器の割当てだけでなく、和声、リズム、テンポおよび声部の補完が行われる[9]。
ジャズ
[編集]ジャズでは、編曲は特定の楽器編成に書かれた楽譜だけでなく、楽曲の各部分で誰が何を演奏するかという演奏上の構成を意味する[4]。一般的な演奏では、主旋律であるヘッド、各奏者の即興ソロ、ヘッドの再演、イントロおよび終結部などの配置が編曲の対象となる[4]。
大編成では、旋律、対旋律、和声、背景音型およびリズム・セクションの役割が楽譜へ記されることが多い。小編成では、演奏前の口頭の打合せや演奏中の合図だけで構成を共有するヘッド・アレンジメントも行われる[4]。
著作権法上の扱い
[編集]編曲権と同一性保持権
[編集]日本の著作権法第27条は、著作者が、その著作物を翻訳、編曲、変形、脚色、映画化その他の方法で翻案する権利を専有すると定めている[12]。このうち楽曲を編曲する権利は編曲権と呼ばれる[12]。
同法第20条は、著作者が著作物とその題号の同一性を保持し、その意に反する変更、切除その他の改変を受けない権利を定めている[12]。この同一性保持権は著作者人格権であり、編曲権とは別に問題となる[13]。
二次的著作物
[編集]原曲へ創作的な変更を加えた編曲作品は、著作権法上の二次的著作物となり得る[5]。その場合、編曲者の著作権は、編曲によって新たに加えられた創作的表現について生じ、原曲自体の表現にまで及ぶものではない[5]。
著作権法第28条により、二次的著作物を利用する場合には、編曲者だけでなく、原曲の著作者も、二次的著作物の著作者が有するものと同じ種類の権利を有する[12]。したがって、著作権が存続している原曲を基にした創作的な編曲作品を録音、出版、公衆送信などに利用する場合には、原曲と編曲作品の双方に関係する権利を確認する必要がある[12][5]。
一方、移調、演奏上不可欠な変更、原曲の声部を別の楽器へ機械的に割り当てるだけの変更などは、個別の内容によっては独自の創作性を欠き、二次的著作物として保護されない場合がある[5][6]。JASRACも、原曲の声部を単に異なる楽器へ書き分けたものなど、創作性を有しない変更を編曲作品として取り扱っていない[6]。
許諾と権利制限
[編集]原曲の著作権が存続しており、著作権法上の権利制限規定が適用されない場合に編曲を行うには、原曲の著作権者から許諾を得る必要がある[12][14]。JASRACは編曲権・翻案権の譲渡を受けていないため、編曲そのものを許諾できず、編曲を希望する者は著作者または音楽出版社へ直接問い合わせる必要があるとしている[14]。
ただし、私的使用のための複製、学校教育における一定の利用など、著作権法上の権利制限規定が適用される場合には、その利用に必要な範囲で、許諾を得ずに翻訳、編曲、変形または翻案を行える場合がある[15]。私的使用の範囲で作った編曲を公衆へ配布、演奏または送信することまで当然に認められるわけではなく、実際の利用方法に応じて別の権利処理が必要となる[12][15]。
原曲の著作権が消滅している場合でも、近年作られた編曲版に創作性があれば、その編曲部分には編曲者の著作権が存続している場合がある[16]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “Terms A-C: Arrangement (music)” (英語). Glossary for Performing Arts Primary Sources. Library of Congress. 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 “Arranger” (英語). Berklee College of Music. 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 “What Is an Arrangement Anyway?” (英語). Berklee College of Music. 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 “Elements of Jazz: Form” (英語). Jazz in America. Thelonious Monk Institute of Jazz. 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “よくあるご質問”. 文化庁. 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 3 “「編曲」作品の取り扱いについて”. 日本音楽著作権協会 (2023年10月4日). 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 “What is Arranging in Music? 6 Courses to Help You Get Started” (英語). Berklee Online (2026年4月20日). 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 3 “Transcription from Piano” (英語). Open Music Theory. VIVA Open Publishing. 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 “Orchestrator (Concert and Stage)” (英語). Berklee College of Music. 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 3 “Terms N-R: Reduction” (英語). Glossary for Performing Arts Primary Sources. Library of Congress. 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 “Musical Theater Adapter” (英語). Berklee College of Music. 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 “著作権法”. e-Gov法令検索. デジタル庁. 2026年8月5日閲覧。
- ↑ “文化芸術活動に関する法的問題についてよくあるご質問”. 文化庁. 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 “音楽の著作権とは”. 日本音楽著作権協会. 2026年8月5日閲覧。
- 1 2 “著作権が制限されるのはどんな場合?”. 著作権情報センター. 2026年8月5日閲覧。
- ↑ “Q&A 複写機によるコピー”. 著作権情報センター. 2026年8月5日閲覧。