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神農氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
炎帝から転送)

神農氏(しんのうし)は、古国時代伏羲女媧政権黄帝有熊氏の間の時期に存在したとされる、伝説上の姜姓の氏族である。また、黄帝有熊氏蚩尤と同祖であるとされる[注釈 1][注釈 2][1][2]中国神話と歴史の中で、一説には三皇の一人とされ、また一説には五帝の一人とされる存在であり、かつて天下を統べた世界の共主であった。

現代中国において、炎帝神農氏は黄帝と並び称される人文初祖であり、中国人は自らを炎黃子孫と称している。この「炎」とは、まさに炎帝神農氏の子孫を指すものである。

楚帛書の体系において、炎帝祝融と四神に命じて三天四極を定めさせた——すなわち世界を開闢し、日月の出没を許し、天地万物の生滅変化をもたらした存在であり、中国古代における南方の古天帝とされる。[3]

概要

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伝説では、紀元前3000年頃、神農が即位し、初代炎帝となった。都をに置き、補遂国を滅ぼしたとされる。また、風沙が起こした反乱を鎮圧し、の栽培を発明したとされる。

しかし8代炎帝楡罔の時期には、姜姓で同族にあたる蚩尤に敗れ、軒轅(後の黄帝)に助けを求め、炎黄連合軍で蚩尤を破った(涿鹿の戦い)が、阪泉の戦いで黄帝に滅ぼされた。これにより、黄帝有熊氏による支配が始まった[2]

これについては、風姓氏族(伏羲女媧政権)から姜姓氏族(炎帝神農氏)、そして姫姓氏族(黄帝有熊氏以降)へ政権が遷った事は、伝説ではあるが、そのモデルとなった出来事があったのではないかという意見が存在する(=信古派)。

炎帝

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炎帝号に関しては、大庭氏が炎帝を名乗ったとされ、炎帝号は神農が新たに創始した称号ではなかったとされる。また、大庭氏の時代、風姓の8氏族に代わり、姜姓の5氏族が中華を治めるようになり、そのうち最も有力であったのが後の神農氏である、とされる[2]

称号

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神農氏には多くの称号があり、例えば稷王(しゃくおう)、五穀王(ごこくおう)、五穀爺(ごこくや)、五穀先帝(ごこくせんてい)、五穀仙師(ごこくせんし)、開天炎帝(かいてんえんてい)、神農仙帝(しんのうせんてい)、田主(でんぬし)、田祖(でんそ)などが挙げられる。神農が百草を試食したという伝説があるため、民間ではさらに薬王大帝(やくおうたいてい)、薬仙(やくせん)などと尊称されている。

帝室

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これらは全て伝説上のものである事に留意。

また、飛龍氏潜龍氏居龍氏降龍氏土龍氏水龍氏青龍氏赤龍氏白龍氏黒龍氏(黄龍氏)の氏族が太陽神・神農の子孫として支配したとされるが、当時の「氏」を太古時代のように個人として扱う場合は、10代8帝の帝室と符合する[注釈 3]

その後

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阪泉の戦いでの滅亡後、一族は四散したとされるが、これは西に逃れた先[注釈 4]羌族と同化した一族である。伯夷・叔斉については詳しく記録があり、孤竹国の君主となったともされる。

後にこの一族はを姓とした。また、末裔に太公望(呂尚)や呂不韋丞相)がいるともされる。しかし、伯夷・叔斉は墨胎氏の子允(公信)・子致(公達)[注釈 7]とされており、子姓であった事となり、伝承に混乱がみられる。

脚注

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注釈

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  1. 伝説上は、黄帝炎帝がそれぞれ姫水姜水のほとりで生まれた兄弟であり、蚩尤と神農氏はともに姜姓であるとされる。
  2. ただし、ここでの炎帝は、後述の通り、神農氏とは限らない。また、黄帝は少典氏出身とされている。
  3. 殷の九陽撃墜神話の初期条件とも酷似しているため、注意が必要である。
  4. 孤竹国の君主であったならば、孤竹国河北省周辺にあったとされるため、北東に逃れた事になる。
  5. 共工と対立していたとされる。
  6. 中華王朝の仮想敵と見做されることが多く、複数の時代にこの名が見られる場合がある。
  7. それぞれ+)という表記である。

出典

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  1. 國語
  2. 1 2 3 帝王世紀
  3. □は文字不詳の意味である 《楚帛书》之乙篇: 日故(古)大熊包羲(伏羲),出自口口,居于睢口。厥口,口口口女。梦梦墨墨,亡章弼粥。口每(晦)水口,风雨是於。乃取(娶)口口子之子,日女口口,是生子四。口是襄而口,是各(格)参化法口(度)。为禹为契,以司域襄,咎而步廷。乃上下朕(腾)传(转),山陵丕疏。乃命山川四海,口气百(魄、阴)气,以为其疏,以涉山陵、泷、汨、益、厉。未有日月,四神相戈(代),乃步以为岁,是惟四时:长日青干,二日朱四单,三日白大撚,四日口墨干。 干有百岁,日月口生,九州丕塝,山陵备口。四神乃作,至于覆,天旁动,扞蔽之青木、赤木、黄木、白木、墨木之精。炎帝乃命祝融,以四神降,奠三天,口口,奠四极,日非九天则大口,人毋敢蔑天灵,帝口乃为日月之行。 共攻(工)囗步十日四时,口神则闰,四口毋思,百神风雨,辰祎乱作,乃口日月,以传相口思。又霄又朝,又昼又夕。
  4. 《山海経 海内経》「炎帝之妻,赤水之子聴訞生炎居,炎居生節並,節並生戯器,戯器生祝融,祝融降処于江水,生共工,共工生朮器,朮器首方顛,是覆土壌,以処江水。共工生后土,后土生噎鳴,噎鳴生歳十有二。」

関連項目

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