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北川芳男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北川 芳男
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県佐原市
生年月日 (1932-10-18) 1932年10月18日
没年月日 (2025-02-18) 2025年2月18日(92歳没)
身長
体重
180 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1959年
初出場 1959年4月12日
最終出場 1965年10月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

北川 芳男(きたがわ よしお、1932年10月18日 - 2025年2月18日[1])は、千葉県佐原市出身[2]のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。

経歴

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プロ入り前

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佐原一高では1951年南関東大会決勝で熊谷高校に敗れ、惜しくも甲子園進出を逃した[3]。卒業後は、日本ビールに入社。エースとして都市対抗の常連となる。1956年の産業対抗では決勝に進出、熊谷組を無失点に抑え好投するが、9回裏サヨナラ負けを喫する。同大会では敢闘賞を獲得した[4]。同年の第2回世界野球大会に社会人野球日本代表として出場[5]。1958年の都市対抗では3勝を挙げて準決勝に進出するが、日本石油に惜敗[5]。

プロ入り後

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1959年に国鉄スワローズへ入団すると、1年目から主力投手として活躍[2]。長年エースとして君臨していた金田正一を凌ぐ、37先発322回2/3を投げ、18勝20敗・防御率2.51(リーグ6位)の好成績をマーク[2]。桑田武(大洋)・村山実(大阪)らと激しい新人王争いを演じた(同年の新人王は桑田)。1960年(2年目)は4勝に終わる。1961年には開幕投手を務め、15勝を挙げて防御率もリーグ2位の1.90と復活。球団史上初のAクラス入りに貢献した。

1963年1月8日に宮本敏雄・高林恒夫との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍[2]。このトレードは、投手陣の不振で4位に転落した巨人が投手力の強化を図ってのものだが、長嶋茂雄・王貞治が北川を苦手とし4年間で1本のホームランも打っていなかったことも理由と言われる[6][7]。移籍1年目に北川は11勝を挙げ、同年のリーグ優勝・日本一に貢献。翌1964年以降は8勝、3勝と勝ち星を減らし、1966年はコーチ兼任となるが一軍で登板機会がなく、同年に現役を引退した。

引退後

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引退後も巨人に残って1967年から1969年まで二軍投手コーチ、1972年から1973年まで近鉄バファローズ二軍投手コーチを歴任。日本短波放送「たんぱストレートナイター」解説者も務めた。

その後は、ファッション業界の会社で管理部長を務めた[8]。

選手としての特徴

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大きなステップから繰り出すシュートとスライダーを武器とした[9]。

落ち着いたマウンドさばきと、ひょうひょうとした投球が魅力だったという[10]。

詳細情報

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年度別投手成績

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年

度
球

団
登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
1959 国鉄 543717531820----.4741283322.227416525815421110902.511.01
1960 371720047----.364539133.212393142551049392.631.15
1961 492910161515----.500934241.119273784983064511.900.95
1962 3725951910----.474708175.015374114742051432.211.11
1963 巨人 3523622117----.611682172.1151112653520056472.451.03
1964 381321185----.615528130.1127153134350052473.251.21
1965 40400033----.50033683.08651011180037272.931.16
通算:7年 2901484614136867----.50450101258.11106702282726486814193442.461.06
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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背番号

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  • 20 (1959年 - 1966年)
  • 80 (1967年 - 1969年)
  • 63 (1972年 - 1973年)

脚注

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  1. ↑ 『OB NEWS Vol.105』日本プロ野球OBクラブ、2025年8月。[要ページ番号]
  2. 1 2 3 4 プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、183ページ
  3. ↑ “北川芳男×城之内邦雄 TALK SYOW”. 2026年5月5日閲覧。
  4. ↑ 「日本社会人野球協会十年の歩み」日本社会人野球協会 1959年
  5. 1 2 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  6. ↑ 『日本プロ野球トレード大鑑』ベースボール・マガジン社、2001年、90頁。
  7. ↑ “金田正一の陰に隠れた“最強のONキラー”/プロ野球20世紀・不屈の物語【1959~62年】” (2020年8月21日). 2026年5月5日閲覧。
  8. ↑ 岩川隆『キミは長島を見たか』立風書房、1981年、209頁。
  9. ↑ 『月刊プロ野球ヒーロー大図鑑 先発右投手 セ・リーグ編②』ベースボール・マガジン社、2025年、83頁。
  10. ↑ 大道文『新プロ野球人国記2』ベースボール・マガジン社、1987年、61頁。

関連項目

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外部リンク

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