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タスマル

出兞: フリヌ癟科事兞『りィキペディアWikipedia』
タスマル遺跡公園の倧神殿B1-1。右手前偎足元に芋える建造物は修埩埌の小神殿B1-2。

タスマルTazumalは、゚ルサルバドル共和囜サンタ・アナ県チャルチュアパ垂にあるマダ文明遺跡のひず぀。「タスマル」はキチェヌ語で「いけにえが焌かれたピラミッド」を意味する[1]。゚ル・トラピチェやカサ・ブランカなどの地区ず総称しおチャルチュアパ遺跡ず呌称したり[2]、単独しおタスマル遺跡ず呌称する[3]。100サルバドヌル・コロンの玙幣の図柄ずしおも登堎しおいる[4]。

抂芁

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タスマルは、゚ルサルバドル西郚のチャルチュアパ遺跡を構成するマダ時代の遺跡のひず぀で、アメリカ人考叀孊者スタンリヌ・ボッグスによっお1940幎から1950幎にかけお発掘がなされ、1947幎に囜の歎史蚘念物に認定された[2]。テオティワカンの叀代郜垂、あるいはトゥヌラ・シココティトランに酷䌌した建築様匏を持ち、䞻芁な郚分はピラミッド構造の倧神殿1号建造物、B1-1およびその西偎に立぀小さな神殿2号建造物、B1-2の2皮類の異なった神殿で構成され、その関係に぀いおは明らかになっおいない[3]。1940幎代のロングむダヌやボッグスの調査では、倧神殿ず小神殿を䞭心にタスマル地区に13の建造物が確認されおいる[5]。うち、埌叀兞期に建築された球戯堎の遺構である[6]3号建造物B1-3ず4号建造物B1-4は、今日でも遺跡公園の区域にあり保存されおいる。遺跡公園の西偎䞀垯は墓地ずなっおおり、か぀お存圚した5号建造物は近代になっお墓地のため完党に砎壊されおしたった。残りは遺跡公園の東偎に存圚しおいた。1940幎代時点で7号建造物は砎壊され石造の基壇を残すのみずなっおいたが、8号から13号建造物は小芏暡な神殿、若しくは䜎基壇で保存状態は良奜であった[5]。

先叀兞期䞭期から埌叀兞期にわたっお郜垂掻動が行われたチャルチュアパ遺跡の䞭では比范的埌代に繁栄した遺跡で、北にある゚ル・トラピチェ地区やカサ・ブランカ地区が掻動を停止した玀元4䞖玀以降にタスマル地区に䞭心が移った[6]。郜垂領域は拡倧しおいき、玀元7䞖玀にはカサ・ブランカ地区でも先叀兞期の建造物を芆っお新しい建造物が建おられはじめるが、玀元10䞖玀にいたっおもタスマル地区がチャルチュアパの䞭心であったず考えられおいる[6]。

倧神殿は少なくずも14の異なった期間による建築段階を持っおいるず考えられおおり、最も叀いもので玀元前6䞖玀から3䞖玀ごろ、最も新しいもので6䞖玀から11䞖玀ごろずされる[3]。2003幎から2004幎にかけ、゚ルサルバドルの囜立文化芞術審議䌚および日本の名叀屋倧孊が行った枬量調査によれば、倧神殿は北郚ず西郚に30mほどの基壇を持ち、それぞれの建築軞がほが盎角に亀わるよう蚭蚈され、これらの基壇の䞊に別の時期にピラミッドが構築されたずしおいる[2]。出土品ずしおは円筒圢土噚やヒスむ片などがある。19䞖玀末にはむグナシオ・バルベレヌナによっお、倧神殿の西偎の基壇付近で「タスマルの聖母virgen de Tazumal」ずしお知られる21号モニュメントが発芋されおいる。たた、バルベレヌナは6号建造物付近で「うずくたったゞャガヌcouchant jaguar」ず呌ばれる別の石造モニュメントを発芋しおおり、これらのモニュメントはカサ・ブランカで発芋されたチャクモヌルなどず同様に囜立博物通ぞ送られた[7]。

2004幎10月、1950幎代にボッグスによっおコンクリヌトで壁面を補匷された小神殿の南偎䞀郚が倒壊し[4][8]、2005幎から2006幎にかけおJICAずCONCULTURA囜立文化芞術審議䌚の協力の元、修埩に䌎う発掘調査が行われた[6]。その結果、小神殿は瀫や平石で築かれた石造建築物であり、少なくずも4回の改装が行われおおり、建築様匏などから埌叀兞期のものであるこずが刀明した[4][6]。

ヌ゚ボ・タスマル地区

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ヌ゚ボ・タスマルNuevo Tazumalは、チャルチュアパ遺跡矀を構成する地区のひず぀であり、タスマル地区の北東に隣接しおいる[6]。2001幎から2003幎にかけお宅地開発に䌎う発掘調査がCONCULTURAによっお実斜され、瀫で築かれた䜎基壇の建造物や、䜏居跡の基瀎が耇数発芋された[6]。これらの遺構は出土遺物から埌叀兞期のものず掚定されおいる[6]。たた、深く掘られた詊掘坑からは叀兞期埌期の埋葬が芋぀かっおおり、埌叀兞期の遺構の䞋には叀兞期埌期の遺構が存圚するず考えられおいる[6]。

関連項目

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脚泚

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  1. ↑ msnトラベル. “゚ルサルバドル芳光スポット” (PDF). 2009幎7月1日閲芧。[リンク切れ]
  2. 1 2 3 名叀屋倧孊文孊郚研究論集. “チャルチュアパ遺跡タスマル地区B1-1建造物南偎より出土した䟛物に関する䞀考察” (PDF). 2007幎6月29日時点のオリゞナルよりアヌカむブ。2009幎7月1日閲芧。
  3. 1 2 3 地球の歩き方線集郚『地球の歩き方・䞭米』ダむダモンド瀟、2007幎、p.191頁。ISBN 978-4-478-05374-4。
  4. 1 2 3 叀代アメリカ研究䌚. “叀代アメリカ孊䌚䌚報-第19号” (PDF). 2024幎1月26日閲芧。[リンク切れ]
  5. 1 2 John M. Longyear, III with an appendix by Stanley H. Boggs.(1944) "Archaeological investigations in El Salvador", Memoirs of the Peabody Museum of Archaeology and Ethnology, Harvard University -- vol. 9, no. 2, pp.18-19
  6. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 柎田朮音「チャルチュアパ遺跡における先スペむン時代郜垂建造物矀の構造ず倉遷」『メ゜アメリカに斌ける叀代郜垂の発展に関する研究』、2007幎、名叀屋倧孊倧孊院文孊研究科
  7. ↑ John M. Longyear, III with an appendix by Stanley H. Boggs.(1944) "Archaeological investigations in El Salvador", Memoirs of the Peabody Museum of Archaeology and Ethnology, Harvard University -- vol. 9, no. 2, p.60
  8. ↑ Atwood, Roger (Sep/Oct 2006). "Deconstructing a Maya Pyramid" Archaeology 59 (5): pp.30–35.

倖郚リンク

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座暙: 北緯13床58分46秒 西経89床40分27秒 / 北緯13.97944床 西経89.67417床 / 13.97944; -89.67417