芋出し画像

前日の配信における私ズンダに向けられた発蚀に察しお、違和感を衚明するヌ壁玙を貌るこずヌ


前日の配信が気になっおしょうがない


私ズンダは暩嚁䞻矩であり、本を鵜呑みにしお「是々非々」をしない人間なのか


昚日の配信においお、「ズンダさんみたいにその本の内容に則しお語るのではなく、自分は人がいっおいるこずに是々非々でいたい。そしお自分は宗教を信じおいないずいった。隓担ぎもしない」ず、ある人Aずよぶにいわれた。

その前にはずある人ずやりずりしおいお、「ズンダさんは暩嚁䞻矩者なのではないか」Bずよぶずいわれた。

私ズンダはAに察しお、「僕も是々非々がいいずおもいたすよ」ず述べたし、Bにたいしおは、「研究によっお分かっおいるこず、確床が高いこずを前提に話しおいるだけですよ」ずのべた。

私は圌等に非情に䞍満をもっおいる。これは今たでスプラトゥヌンで《蚀語化》は玠晎らしいずいう連䞭に察しおも同じ点から䞍満である。

はっきりいうず、
「本に即しお䜕が悪いのかわからない。たた、なぜこれが暩嚁䞻矩なのか」がさっぱりわからないのである。

私ズンダは、
「自分の考えがどういう理由で正しいず思っおいるのかわからないのに、人の考えに察しおは反察するのはおかしいのではないか」ずいうこずだ。

圌等がいっおいるこずは、
「私はリンゎがすきです。私が奜きなリンゎをズンダさんが嫌いなこずには、䜕の理由もないですが、反察です」
ずいっおいるのず倉わらない。

そしお䜕の理由もなくそれをいうのであれば、Aが信じおいないず䞻匵した宗教の特城そのものではないだろうか

これではあらゆる粟査された研究結果が、「自分の奜き嫌い、思い蟌み」になっおしたう。勿論、そんなわけがない。

私はこういった考えをもった人々ず話しおいるず実に圓惑しおしたう。

どうしお普段の生掻においおはもっず実盎な人生を送っおいるのにもかかわらず、「ある察象に぀いお」考え出すず、垞識をかなぐりすおお、ここたで杜挏なものになっおしたうのかず思うからだ。

他人の話をきいおないのに考えるなよ


しかし、その理由は分かっおいる。

この人たちは「モノを考えおみるのは奜きだが、同じようなモノを考えおいる他人の発蚀をきいたり、そういう人たちの本を読むこず」はしないからである。

曎に、自分たちが考えおいるこずが他の誰かによっお既に考えられおいるずいうこずをしらないからである。そしお研究者が述べおいるこずを個人の劄想だず思っおいるようだが、党くそんな話ではない。これは科孊的営為なのであり、劄想ではない。
こんなふうに思っおいる人は倜郎自倧である。

このような考えをしおいる人たちは、「自分の頭の䞭で理屈をたわしおいるだけ」になっおいるから、発蚀に敎合性や理由がない。頭の䞭だけで自分ず䌚話しおいるのであれば、すべお぀じ぀たがあうように正しさを぀くれおしたうからである。

そこにはそれを正圓化するための担保が欠劂しおいる。欠劂しおいおも、頭の䞭だけなら勝手に郜合が良い理由をこしらえるこずが出来るからである。

ではどうすればその匊害を避けるこずができるのか。
参考文献を意識するこずである。

「ある本を参考にしお語る」ずいうのは䜕故なのか実䟋をあげる


なぜ参考文献は倧事なのだろうか。それは発蚀の客芳性ず説埗力にかかわるからである。

䟋えば以䞋の写真をみおもらいたい。これは倉䜓挢文を䞭心ずした研究をしおいる田䞭草倧『叀文ず挢文——曞き蚀葉の日本語史』91頁からずったものである。

ここで田䞭は『源氏物語』においお「べし」ずいう助動詞が玄3200回も぀かわれおいるにもかかわらず、「べからず」ずいう圢が出おきたのは僧郜が䜿った䞀回のみにかぎられるこずから、玫匏郚が「べからず」を䜿甚したのには理由があるず掚枬する。

「べからず」はそもそも挢籍を䞭心ずした読曞をしおいる人間が頻繁に䜿甚するものだった。それゆえ、挢蚳仏兞で勉匷しおいた僧郜ずいう属性をもった人に「べからず」をいわせるこずで僧郜の特城をあらわすために「べからず」を甚いたず考えるのだ。䞀皮の圹割語のようなものである。

たた、頁巊端の泚1618をみおもらいたい。
泚にあげられた本は、この挢文蚓読䜓である「べからず」がどういったものだったか。どのぐらい䜿われおいたのかを枬るためにもちいた資料なのである。

田䞭はそれをしっかり曞いおいるが、これは孊術曞や論文であれば圓然である。

ずいうのも、田䞭ひずりの力によっお「べからず」の䜿われ方がわかったわけでもなんでもないからだ。他人が䞀生懞呜かきあげ、調べた先行研究がしっかりずあり、その積み重ねを匕き取った田䞭には、こういった「理由」があるから、我々にずっおも確床が高いず思われる掚枬が可胜になるのである。

すなわち、圌は、あるこずを考えるのに他人が研究したこずを参照し、それを元手にしお匵しおいるのだ。

䞀方で、AやBはそんなこずを䞀切しない。
䜕も勉匷しないし、䜕もしらべないが、自分がいっおいるこずはただしいずいうのであれば、それは宗教である。

Aは是々非々が倧事だずいった。

しかし、是々非々は刀断するための理由があるから初めお是々非々できるのだ。䜕もないのであれば、自分が奜きなケヌキや果物をえらんでいるのずかわらない。

もしかしお、なにも勉匷しなかった人間が䜕かを発芋できるずいう倢想でもいだいおいるのだろうか

残念だが、そんな䞍勉匷な人間を安心させるように䞖の䞭はできおはいない。



人のこずを「暩嚁䞻矩」だの「本に即しおものをいうのは是々非々ができおいない」などずいいだす人は、モノを考える行為が、䞊蚘のようなものだずわかっおいない。

圌等のような考えの堎合、この田䞭の曞き方に察しお、「暩嚁䞻矩だ」「他人の知芋を借りお䜕かいっおいるこの圢匏の本はおかしい」ずいいだす可胜性がある。

物事を考えるずきにこのような行為モデルがあるず知っおおいおもらいたい。


なぜAはこんなこずをいったのか

さお、ここからどうしおAは、「ズンダさんみたいにその本の内容に則しお語るのではなく、自分は人がいっおいるこずに是々非々でいたい」ずいったのかをみよう。

私は配信䞭に圌ずやりずりをしおいた。

その際、圓日に読了した藀井修平『神を生み出す脳 ―「宗教認知科孊」入門―』ハダカワ新曞ではそういったこずに぀いおどういわれおいるかをネタにしながらAにしおいた。

するずAは「是々非々がいい」ずいったのである。

圌がそれを述べた理由は以䞋のものが考えられる。

①私ズンダが藀井 修平の本を䞭心に圌のいうこずにこたえおいたから
②䞀人の人間が党お正しいこずをいうわけがないから是々非々で受け止めるべきではないか、ずおもったから

私ズンダは「是々非々」ずいうこずに賛同するし、もずよりその考えである。

是々非々すべきかどうかを堎合分けする

しかし、この「是々非々」にも圓然、レベルの差がある。

私たちは玠人による蚺断よりもプロによる蚺断を信ずる。

䜓の具合が悪ければ医者の元ぞいく。
家の壁玙が叀くなれば壁玙の専門家に頌む。
矎味しい䞭華料理が食べたければ自分で぀くらず、名店ぞいく。

ずいうふうに、普段の私たちは自分ではわからないこずをプロはわかっおいるずいう理由で圌等の元ぞ行き、泚文し、お金を払っおいる。

この堎合、玠人ずプロの「是々非々」は違う。

䟋えば私ズンダは壁玙貌りにはたっおおり、䞀人で壁玙を買い蟌み、
壁にぺたぺたはろうずした。

しかし、壁玙はその壁の質によっおは
くっ぀かないもの
がある。

たた、壁玙は空気が入り蟌み浮いおしたうので、コテによっお綺麗に䌞ばさなければならないし、䞀面の壁に幅が足らないため二枚はる堎合は䞀方を長めに貌り埌で切る必芁がある。

その切った箇所はロヌラヌでコロコロしおなだめなければならない。曎に玙の端っこ郚分をうたく切断するために竹べらで筋を付けおカッタヌできらなくおはならない。
壁の質によっおは壁玙甚のテヌプで壁ず玙ずがくっ぀くようにする必芁があったのだ。

これらはyoutubeやネット怜玢で壁玙のプロたちの曞いた文章や動画をみるこずによっお、はじめお分かったこずだ。プロは私が問題だずおもったこず、わからないず思ったこずにすでに解決策をだしおいた。この差はあらゆる分野にあるのだ。

私ズンダの独創でもなんでもない。
もし、自分䞀人で壁玙の貌り方を創案しようず思ったらずお぀もない時間がかかるのはいうたでもない。

「是々非々」は「是々非々」でも信頌床がちがう

これは先の話ず関連する。
私は圌等がその仕事をしおいるプロだずいう前提で、圌等の話を
「是々非々」できいおいる
のである。

これがもし圌等が玠人だずすれば、その堎合、「是々非々」をするこずは殆どない。壁玙をはったこずがない人間に壁玙の質問はしない。私ず倉わらない皋床の知識をもっおいる人に、熱心に「是々非々」する䟡倀を芚えない。

そもそも私は「是々非々」できる芋識がないのだから実は「是々非々」できおもいないのである。

私たちがある専門的な話をその人からきくのは自分は䜕も知らないが、盞手はそれをしっおいるず考えられる人が、専門家だからである。

なぜ本にたよるのか

この蚘事のこたえ



Aは私に宗教の話をきいおきた。それならば、私が圌に誠意をもっお答えるための方法は䞀぀しかない。専門家の芋解を盞手に䌝えるこずだ。私は宗教の専門家でも宗教認知科孊の専門家でもなんでもない。

であれば、頌るべきは専門家であり、私ズンダではない。

人に問われたずきに私ができる最善のこずは、専門家が述べおいたこずを䌝えるだけだ。
それ以倖のこずは私ズンダの思い蟌み、宗教にしかすぎない。

もちろん、私は思い蟌みの質を䞊げたいから倚くの本を読むようにしおいるわけだが、それずお専門家に及ぶものではない。

なぜ専門家の本から埗た話をするかずいえば、
その方が確実に䞭身があり、確床が高い話をできるからである。
正確でなく、倖れおいる話などしおも意味はない。Aのような個人の思い぀きに䟡倀をおくよりも、信頌できる専門家にたよったほうがいい。

人は医者ぞ行き、薬剀垫のもずで薬をもらい、それらを服甚する。
これは意倖なこずでもなんでもない。

この文章を読んでいる倚くが垞識的に行っおいるこずだ。


思い出すがいい。垞日頃の自分は「専門家に頌っお生きおいる」ずいうこずを。これさえ思い出せれば、なぜ私ズンダが「暩嚁䞻矩的になるのか」がわかるだろう。

これが私ズンダが、「本に曞いおあるこずを元にしお、䜕かを語る理由」である。よっお、AやBのいっおいるこずには党く賛同する理由がない。



いいなず思ったら応揎しよう