いつも心にサンテグジュペリを
大人の飲み物を嗜みながら、子どもの読み物を書くというダジャレのような体のいい言い訳を見つけてからというもの、前頭前野のほとんどの機能を童話に支配されている今日この頃。
たまにはインプットもしなけりゃーと盆に実家の物置部屋に生えていた「星の王子さま」を手に取り、持ち帰っていた。
星の王子さまは大抵どこの実家にでも生えている。
それはとても大事な愛読書として収められているか、埃をかぶって本棚に眠っているかの程度はあれ、よくよく探してみると、あるところにはあるのだ。
うちの実家は、今は物置になっている子供部屋から、ほら。
収穫された星の王子さまは比較的新しく、帯もついている。
恐らく姉が持っていたか、定年後に時間を持て余した父が、古典を読み漁るうちに買ったものだろう。
私の星の王子さまの記憶はおぼろげだ。
なんとなく、読んだような気もするし、途中で投げ出してしまったような気もする。
登場人物は分かっているようで、話の全体像は分かっていない。
もしかしたら、星の王子さまカレーのパッケージの情報を大人になって頭にインプットしただけなのかもしれない。
それぐらいの記憶だ。
そもそも、読もうと思ったきっかけも最新AIからのおすすめだった。
今、絶賛児童文学を執筆中なのだが、小学校中学年向けの児童文学書のおすすめを聞いた時に挙がった一冊だった。
だが、ここで会ったが100年目、このあたりで一度腰を据えて読んでみるか~と思ったのもつかの間。
あっという間に読み切ってしまった。
正直な感想を述べると「え、これ8歳でわかるん?」である。
大人になってみるとわかったのだが、この本は作者であるサンテグジュペリの内なる葛藤や過去や未来などの時空を越えた、ある種の手紙のように思えてしまった。
私には、王子さまも、飛行士も、薔薇も、王様さえも、サンテグジュペリの内側から切り出された存在のように思えた。
そして同時に、児童文学の顔をしているが、これは未来へ物語を託したとても余白のある、とてもよくできたストーリーだと思った。
それと同時に、私の童話の仮想ライバルは見事、児童文学の大家、サンテグジュペリに決まったのである。
童話作家の頭の中は本当に宇宙だと思う。
荒唐無稽な登場人物から織りなされる会話は、俯瞰するとすべて一本の筋が通っていて、物語の推進力を失うことなく、時に、失望だったり、時に歓喜だったりを当然のように表している。
童心を失わない大人だったのか、大人になって童心に帰ろうと努力をした人なのかは正直わからない。
ただ、子どもの目線で書かれている物語だということも分かる。
逆に言うと、その純粋さが鋭く刃を研ぎ、大人である我々に突き刺さるように巧妙に細工されている物語なのだと感じた。
すごいぞ…サンテグジュペリ……
そして私はサンテグジュペリを心に飼うことを決めた。
いつも心にサンテグジュペリを――
それを合言葉に、今日もグラスを傾けながら童話を記す。
