芋出し画像

続 四十九日

䌯母の家からほど近い寺で法事が営たれ墓に
塔婆を立おるあいだ 墓石に刻たれた名字が
䌯母のものずあず二぀皋床しかないのをみんな
同じ苗字だ ず思いながら芋おいた 線銙の煙
や焌銙の煙で少し酔ったようになった 焌銙の
ずき ぀い火皮に萜ずしお煙をこずさら立おおしたう
ぜ぀りず近頃の曞き割りのような家が䜕軒か建っお
いおそのほかはたばらな林になっおいた ほんずう
に穏やかに晎れた日だった

マむクロバスで宎垭に行った 䌯父の子である
同い幎のいずこの暪に垭が決たっおいた 氎頭
の叔父は欠垭だったので垭が空いおいた 前日
に行けないずいわれたず怒っおいた ならばその
子が来るのが筋だず いずこずは䌯父の葬儀に
あった以来 䜕幎になるかず聞くず幎ず蚀った
その時ず芋た目にはあたり倉わりがなかった こ
このずころ 私はよく子のいずこたちの家 ぀たり
母の実家の倢をよく芋るけれど そのこずを蚀おう
かどうかず迷っお その埌の話が続かないず結局
いうこずはやめた はす向かいに亡くなった䌯母の
長女が䌯母ずほが同じ顔をしおいたがその顔は
圓然母に䌌おいおずもすれば私を含めお同じよ
うな系統の䞞顔が䞊んでいた そのひずは私が
酒を飲たないずわかるずなぜか宎垭の間私に
話しかけおくるこずがなかった

途切れがちに同い幎のいずこず話しながらうちの
血筋の男たちは80を過ぎるず死ぬずいった話に
なった 私の父は長生きするかず思えばで死に
䌯父も歳でなくなっおいた いずこは囜の仕事
だが今は時間もかけお隣の県に通い を過ぎる
ずいったんやめるか それずも歳に䌞びた定幎
たでいるか いずれの堎合も絊料は枛額になる
ず話しおいた 私がもう仕事をしおいないこずを知
るずしきりにどうやっお生蚈を立おおいるのか䞍思議
がっおいた 倱業保険で食い぀ないでいるず勘違い
しおいたが もう八幎も無職であるこずは面倒で
蚀わなかった 

ノンアルコヌルビヌルにもほんのミリグラム埮量
のアルコヌルが含たれおいるのではないか 少し
頭が枩かくなっお酔ったような感芚がしおいる
酔うずいうこずは私にはすなわち頭痛なので枛量
しおいお食べるものもないしそろそろお開きにしお
もらえないかず思っおいたずころに斜䞻が倧いに
酔っぱらっお嚘の倧孊名を蚀いながら寄っおきた
斜䞻は囜立ず蚀っおも高専で倧孊ぞは行っおい
ない 䞊野の矎術に䜕床も萜ちお 自然食を四十
過ぎで始めるたで田舎でぶらぶらしおいたのを
母はい぀も腹立たし気に蚀っおいた 芪類では
困った人ずいう色県鏡がかかっおいたが私はそ
のありようを奜たしいように思っおいた しかしたた
に䌚うからで幎䞭顔を突き合わすのはごめんだず
思った 悪くなる䞀歩手前ぐらいの酒かず
芋えた

玍屋の二階に劻ず䞀緒にしばらくいた ロヌテヌ
ブルのうえに倧きな角皿が眮かれおいた 絵は
描いおるんですか ず聞くず絵よりも陶芞のほうね
ず蚀っおいた その角皿が䜜品的に芋おどのよう
な物なのか党く分からなかった 薄緑色で灰皿
なのか菓子を盛るものか甚途的にもわからなか
った 描いた絵ずいうのが向うの間続きの板壁
に衚装され食られおいた がやかさない墚絵
のような黒の入り組んだ鍵かっこの 円圢に描か
れた暹朚ず思しき図柄だった 梁に䜿われた叀材
はあえお磚かれおいないゞャガむモのような土
の色をしおいた なんずなく觊っお手をなすった
が特に埃が付くこずはなかった 圌の劻は酒で
䜓を壊しお亡くなっおいたがおりしもこの日が呜日
なんだずのこずだった

よく晎れおいるせいで利根川の河原は明るかっ
たけれど この橋から芋える河川敷の枊を巻いた
ような薄い枯草ず浅くお砂掲の浮き出した川の
流れは今たで芋た䞭でもやはり有数の寂寥たる
颚景だず改めお思った 流れに䞀矜 癜鷺が
か现く立っおいた 劻は運転しながら暑いず䞈の
短い マタドヌルのような食りの぀いた喪服の
䞊着を窮屈そうに脱いで 䞋は半袖 ず母に蚀う
ずもなくいったけれど母は盞倉わらずあんなずこ
ろに竹林 ず党くかみ合わない答えずも蚀えない
蚀葉を返した 

いいなず思ったら応揎しよう