鯖とは泳ぐ旨味のことだ

あまりに暑いので、朝7時前に起きて公園に子どもを連れて行っている。「最近は」といっても直近2回のことだ。
しかし、今日はあまりの暑さに慄き、ついに今夏の外出を諦める時がきたことを悟った。
朝7時にはすでに地獄の釜の蓋が開いたかのような灼熱で、9時ともなればいよいよ手に負えない。

最近見かけるカラスはなんだか動きが緩慢で、ほぼ呆けたように口が開いている。

おそらく、犬と同じようにパンティングをしているのではないか。つまり口を開けて唾液を蒸発させ、体温を下げる行動だろう。
しかし、カラスも犬もどうやってそんなことを学んだのか不思議だ。木の近くでリスも見かけたが、やつは全く呆けておらず油断のない忍者そのもので、写真すら撮れなかった。


今日は海の日だと、浜風の噂で聞いた。
しかし、よく考えれば、わたしは海の日がどういう意味を持つかをよく知らない。
調べたところ、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」日で、平成8年に定められたとのことだ。

思ったより歴史が浅い。
わたしが生まれてから数年は海の日というものはなかったのか。


食欲に支配されているわたしが、海の恩恵と聞いて真っ先に思い浮かぶのは魚介類だ。

肉も野菜も果物も穀物も、今わたしたちが食べているおいしさは、人間が何百年もかけて品種改良や栽培方法を試行錯誤した結果の突端にある。昔の野菜や果物はもっと小さく、苦く、酸っぱかったものも多いだろう。
現代の甘く実ったメロンを昔の王に献上すれば、それだけで貴族の爵位くらいはもらえたはずだ。


ところが魚介類はどうだ。

人間が味をコントロールしてきた歴史は、陸の作物ほど長くはない。もちろん養殖技術は発達しているが、それでも「天然もの」の価値は依然として高い。

「その辺の草むらに自生していた木苺です」と書いてあったら買わないが、「近くの海で今朝獲れた地魚です」と書いてあれば、「オッ、良きもの……」と思う。

人間が甘く改良したわけでも、脂が乗るよう交配したわけでもない。きままに海を泳いでいただけの生き物が、とんでもなくおいしいのはどういうわけだろう。

鯖にいたっては、もはや『うま味が泳いでいる』と呼ぶべき存在だ。
焼けば脂がじゅわっとにじみ、塩だけで十分に成立してしまう。鮭も鮪もホタテもそうだが、あの完成度は何らかのレギュレーションに違反している。

海には調味料もなければ料理人もいない。それなのに、あれほど完成された食材が当たり前のように泳いでいる。
そう考えると、「海の恩恵に感謝する」という祝日の趣旨は、意外と的を射ているのかもしれない。
と思いながら今日は夕飯にハムサンドを食べた。
……魚食べないんかい。


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