美しい嘘、汚い真実
「正直に生きる」という言葉が、時として暴力的に響くことがある。
ありのままの自分を見せ、心の内をすべてさらけ出すことが誠実さだと信じられている世界。けれど、そこにあるのは、精製されすぎて栄養を失った、ひどく無機質で「汚い真実」だけではないだろうか。
僕は、美しい嘘を信じている。
例えば、誰かと会うときに、鏡の前で数十分を費やし、最も自分を律してくれる一着を選ぶこと。それは、ありのままの自分を隠し、理想の自分を演じるための、ある種の虚飾かもしれない。けれど、その「嘘」を纏うという行為の裏には、相手に対する敬意や、自分を律しようとする切実な意志が宿っている。
むき出しの感情や、整理されていない言葉をそのまま他者に投げつけることは、誠実さではなく、ただの甘えだ。
僕たちが社会というノイズの中で、誰かと共に在り続けるためには、自分という存在を美しく「編集」する必要がある。
一方で、世の中が良しとする「正しい真実」の正体は、意外とグロテスクだ。
打算や嫉妬、あるいは名付けようのない孤独。それらを隠すこともなく「これが本当の私だ」と開き直る美学に、僕はどうしても馴染めない。
それよりも、自分の汚泥を飲み込み、その上に一枚の冷たいシルクのような、あるいは硬質なウールのような「美しい嘘」を重ねて静かに微笑む。その静かな抵抗にこそ、人間の気高さがあるのではないか。

SNSのタイムラインを流れる、誰かの完璧な日常。ー
それが嘘だと分かっていても、僕はそれを一概に否定できない。
現実という名の汚れた地面の上に体を乗せながら、せめて指先だけでも理想に。と、手を伸ばそうとすること。
その、背伸びした輪郭こそが、いつかその人の「真実」に変わっていく瞬間を、僕は何度も見てきたからだ。
完璧な真実には、逃げ場がない。
けれど、美しい嘘には、僕たちの弱さを包み込むための余白がある。
今日も僕は、出来るだけ自分の中に澱(おり)のように溜まった醜い感情を、誰にも見せない。
代わりに、自分を最も強くしてくれる「嘘の色彩」を身に纏い、都市の雑踏へと踏み出していく。
本物よりも美しい嘘を抱えて生きること。
それこそが、僕にとっての、たった一つの誠実な戦い方。
なんて ーー

いつも見ていただいてありがとうございます。
皆さん良い週末をです。
