合理的に考えれば使うべきなのに、使えないお金の話
お金の「ドライさ」への違和感
こんばんは。
お久しぶりの投稿になってしまいました。
このアカウントでは、いつも「頭と心の矛盾」について、
ロジックだけでは割り切れない人間らしさをテーマにお送りしています。
突然ですが、
みなさんにとって「お金」とは何ですか?
現代の経済学やビジネス書を開けば、
お金は「価値の交換手段」であり、「単なる便利なツール」だと書かれています。
1万円はどこまでいっても1万円。
それ以上でもそれ以下でもない。
感情を挟まず、合理的に、賢く使うべきもの。
確かに、その通りです。
でも、本当にそうでしょうか。
私たちはロボットではありません。
どれだけロジックを学んでも、お金を目の前にしたとき、どうしても「割り切れない感情」が動いてしまう瞬間がありませんか。
お金=感情の器
たとえば、同じ「1万円」でも、
その価値が全く違って感じられることがあります。
一生懸命働いて、理不尽なことに耐えて、
やっと手に入れた1万円。
ギャンブルや宝くじで、偶然手に入った1万円。
どれも市場で使える価値は同じ「1万円」です。
買えるものの量も全く同じ。
それなのに、受け取ったときの心の温度は、天と地ほどの差があります。
効率やロジックの世界では、お金に色はありません。
けれど、人の手から人の手へと渡るとき、お金は不思議なほど、その人の「感情」をたっぷりと吸い込んでしまいます。
優しさ、見栄、罪悪感、そして、言葉にできないほどの愛情。
お金は、人間が作った最もドライな道具でありながら、実は、最も生々しい「感情の器」なのかもしれません。
矛盾を受け入れる
「お金に感情を乗せるな」
投資やビジネスの世界では、よくそう言われます。
でも私は、お金と感情がごちゃ混ぜになってしまう、その割り切れなさにこそ、人間の愛おしさがある気がしてならないのです。
合理的に使えないお金があったっていい。
数字以上の重みを感じて、立ち止まってしまうお金があったっていい。
なぜなら、効率よく使うことよりも、
「大切すぎて使えない」と思えるお金が手元にあることのほうが、私は何倍も心が満たされるし、幸せだと思うからです。
最近、そんなことをよく考えます。
何故そんなことを考えるのかというと、
それには理由があります。
実は、私にはどうしても「使えないお金」があります。
通帳の数字でもなく、財布の中の現金の山でもない。
今はもう会えないある人から手渡され、そのまま引き出しの奥に眠っているお金です。
経済合理性から見れば、今すぐ銀行に預けるか、何かに投資したほうがいいに決まっています。
そのまま置いておくなんて、ただの「機会損失」です。
それでも、私はそれに手を付けることができません。
なぜなら、そこには文字通り、ロジックを完全に超越した「ある想い」が詰まっているからです。
もしよろしければ、また週末に、覗きに来ていただけたら嬉しいです。
#お金の価値 #マインドフルネス #エッセイ #人間関係 #感情の整理 #価値観 #心の豊かさ
