久しぶりに何か書こう|継続するって難しいね
真っ白なnoteの画面。
最初の一文字を打ち込むのがすごく億劫で。
何を書けばいいのか、何で書かなきゃいけないのか。
書いたって、誰も見てくれないかもしれない。
見てくれても、一瞬でスクロールされるだけかもしれない。
翌日には、見たことすら忘れているだろう。
お仕事であれば、文章を書くのは必要だ。
重要なことだ。
でも、インフルエンサーでもなければ、何か役に立つ情報でもなければ、ただの一般人で、ただの思ったことなだけな文章に、なんの意味があるのか。
友だちとの、他愛無いやりとりや、
家族との、今日あったことの共有などは、役に立たないとかそういうこと関係なく、価値があることだろう。
でも、インターネットで、誰からも知られていないわたしの文章が、
そこに何の価値があるのか。
何もない
何もない
何もない
そう、何の価値もない。
それでも人は、何か書こうとする。
「ここに、いるんだよ」
という叫びなのかもしれない。
流行りの言葉で表現すれば、「承認欲求」というもの。
人は基本的に、孤独に耐えられるようにつくられていない。
だから、つながりを求める。
でも、その「つながり」は、心地よいものとは限らない。
いやむしろ、それはとても居心地の悪いものである場合がある。
そうじゃない場所や、つながりというのは、確かにある。
ある、けれども、それは簡単に維持できるものではない。
法律やルールやマナーとか、そんな難しい言葉を使わなくても、
人と人とのつながりには、「空気」が必要だ。
日本人は空気をよみ、海外の人は思ったことをずけずけいう……とか
そういう風なことを聞いたりもするけれども、ちょっと違う。
言いたいことズケズケ言うというのも、それはそれで「空気」だ。
そうする、ということが強要されているともいえる。
本当は、海外の人の中にだって、あまり自己主張するのが得意じゃない人だっているはずだ。
ひとり、ではないときに、空気は生じる。
そして、二人、100人、1万人……っと、数が大きくなるごとに、空気の作られ方は変わっていく。
わたしたちは、同じ国の人間だ……みたいな感覚も、それは空気がつくった幻のようなものかもしれない。
人が顔を見知って安定的な集団を維持できる数をダンパー数というが、それは150人ぐらいなのだという。
大多数の人をまとめるには、「虚構」が必要だ。
わたしたちは、仲間なんだ。
地球という宇宙船で旅をする、兄弟姉妹なんだ。
……という虚構。
一方で、みんな、それぞれ、違って、それがいいんだ、と言われたりもする。
わたしたち、一人ひとり、個人として尊重されるべきだという虚構。
空気や、虚構。
何が正しいのか。何が正義なのか。何が大事なのか。
答えはないし、答えはでない。
ぐるぐる、ぐるぐると。
そんなループや、理不尽というものそれこそが真実なのだと。
そうして繰り返していく日々が、それ自体がとても尊いのだと。
そんなことも言われる。
でも、それはそれで気持ち悪いし、理不尽というのはイヤなものだ。
一つ、真実なものがあるとしたら、時間。
もう、日曜日は終わろうとしている。
明日から、またお仕事だ。
一週間が始まる。
とても憂鬱だ。
金曜日には少し、気分が晴れてきているかもしれない(持ち越しになった重い課題や会議が生じて、土日も気分が落ち込んでいるかもしれない……)。
どちらにしても、時間は過ぎていく。
歳はとっていく。
身体も、見た目も、衰えていくだろう。
だから時間は大事だ。
1日は、24時間しかない。これは真実だ。
有意義に使うべきだ。
価値ある時間にするべきだ。
最高に楽しむべきだ。
しかし、それというのは、何なのか。
今日一日、後悔のない時間を過ごせたのだろうか。
分からない。
分からないけれども、ひとつ、今年2026年の目標としている、「YouTubeへの動画投稿を毎週やる」ということは、続けられた。
誰と約束したわけではない。
収益化しているわけでもない。
視聴回数も少ないし、チャンネル登録者さんも減少傾向だ。
それでも、ひとつ、過去の自分との約束は、果たせた、といえるだろう。
そんな、過去の自分なんて、偉くもなんともないのだけれども。
でもまぁ、そうだなぁ、今日という一日の過ごし方は、悪くなかったんじゃないかなと、そう思うようにしたいと、思う(まわりくどい言い方だ……)。
