書けない時間も、生きていた
ここ数日、書けなくなっていた。
何でも書き記そう、
何でも残しておこう、
そう思った矢先に、プツンと切れた。
仕事で波にさらわれそうになって、
というか完全に飲み込まれて、
書く気力を失った。
「書けなくなった」というより、
“書くための心の余白”がなくなっていたんだと思う。
渦中にいるとき初めて、
「あ、気持ちに余裕がないと書けないんだ」
って気づいた。
で、今こうして文章を書いているということは、
少し気持ちが落ち着いたということなんだろう。
大変な時って不思議で、
ちゃんとその気持ちを癒す出来事が起きる。
誰かの思いがけない言葉だったり、
不意に刺さった音楽のフレーズだったり。
絆創膏みたいな小さな優しい出来事が、
静かに重なって、
また自然と「書きたい」が戻ってきた。
でも、ふと思った。
もししんどい最中にNoteを書いていたら、
どんな文章になっていたんだろう。
意外と、
苦悩のど真ん中にいる時の文章って、
美しかったりするのかもしれない。
その時は
「こんなときに書くの無理!」
って思うんだけどね。
最近、
“生きることそのもの”を書きたいのかもしれない、
と思い始めている。
うまく生きられない日とか、
余裕がなくなる瞬間とか、
ちゃんと傷ついていることとか。
そういうものを、
あとから「なかったこと」にしないために、
私は書いているのかもしれない。
