「存在の耐えられない愛おしさ」を読んだ私なりのパパ論。
車のガソリンが少なくなっている。
メーターだけじゃなくて、カーナビまでが給油を勧めてくる。けれど給油という行為がどうしても、気が乗らない。ガススタの勧誘がうざったいだけではなく、ガソリンを入れるというイベント自体が面倒くさいのだ。
単体では退屈な用事も、何かと合わせ技にすればいい。マクドナルドのハッピーセットと同じだ。私にとってのオマケのフィギュアがコメダ珈琲店で、ハンバーガーとポテトがガソリンスタンド。そう割り切って、コメダの帰りに寄ることにした。なにより、前回は妻が満タンにしたから、これでチャラにできる。
コメダでは、たっぷりサイズの加糖アイスコーヒーをミルク付きで注文した。端っこの席に座って、さっそく、伊藤亜和さんの「存在の耐えられない愛おしさ」を読み始める。

去年、「パパと私」の存在を知った。今時点で、スキが1.1万を超えているのも凄いが、初めて読んだ時の衝撃も凄まじかった。
私は、人生で娘をチョップしたことはないし、娘からドロップキックをかまされたこともない。だけど、伊藤亜和さんとパパさんとのバトルシーンが最高に格好よかったのだ。
こんなに血を滾らせて、親子で向き合ったことが私たちにはない。自分の娘とこんな展開にはなったら、一体なにを感じるんだろう。
間も無く、アイスコーヒーが運ばれてきた。
まずは気になるタイトルのエッセイから読み始めた。「ごめんなさいの代わりに」「役者になろう」「宇宙の真理」。ページをめくる手が止まらない。しかし「観測する」を読んでいるときに、止まった。
私が今ここから、ありったけの声で「パパ!」と叫んで手を振ったらどうなるのだろう。
あかん。コメダで涙を隠す47歳。どう見ても、リストラされたか、ロマンス詐欺に遭ったとしか思われない。私は速やかにトイレに向かった。
いつの間にかアイスコーヒーは空っぽになっていた。最後の飲み残しをすすり、コメダを後にした。
娘たちから見て、自分は一体どんな父親なのだろう。
血は繋がっている。生まれてからずっと同じ屋根の下で暮らしている。一度も手を挙げたことはない。真面目に会社で働いている。家事もしている。欲しいものは妻に内緒で買ってあげる。
なんだか、Bばっかり並んだ通信簿のようなパパだ。
とにかく無難。評定平均をキープして、指定校推薦を狙う受験生タイプだ。本当は、Dがあったり、Aがあったりするような、人間味のあるパパでありたい。凸凹した人間でも人生楽しいんだよって伝えられるパパになりたい。
娘は二人とも大学生になった。これから先、色々なことがあるだろう。
いつ私が生卵を投げつけられる事態にならないとも限らないし、身の危険を感じて、娘に平手打ちで応戦せざるえない未来だって、ゼロではない。
だけどね。
もしも、君が、ありったけの声で「パパ!」と叫んで手を振ったら。
いつだって私は、笑顔で手を振り返すだろう。
そんなことを考えながら、レビュラー満タンにして家に帰った。
ガススタでは、なにも勧誘されなかった。
