ヒッヒッフーを間違えても
「でっかい」
それが分娩台の上で、看護師さんの胸に抱かれた赤ん坊を見せて貰った時の第一印象でした。
だって3317グラムもあったので。
「元気な男の子ですよ」と言われて「あ、これってドラマで見たことのあるシーンだ」と思いつつ阿鼻叫喚からの解放と生んだ瞬間のスッポーン!という爽快感の中で心底安堵していました。
妊娠9ヶ月まで仕事をしていたので、つわりが酷い時には毎朝途中下車したホームの隅で持参した袋に吐いてから出社していました。
仕事中も、何度もトイレを往復してしまうのでずいぶんと肩身が狭かったものです。
ご飯の炊ける匂いも全くダメで、あの頃はトマトばかり食べていました。
それでも悪阻が終われば食欲全開。
お腹の中の新しい命はしっかりと育ち、ついでに脂肪もしっかり育って、毎月の検診でベテラン看護師さんに「あなた体重増え過ぎよ!」と叱られてばかりいました。
初産なのに母親学級に行かなかったら皆んなに大丈夫?って心配されて、
「原始人だって母親学級行かなくてもちゃんと子供産めてたんだから大丈夫だよ」と言ったら酷く呆れられました。
赤ちゃんもお腹の中で不安だったかな?
いくら仕事が忙しいからって、うちの母ちゃん、ちょっとヤバくない?って。
お腹の中で微かにビクンと感じたものが胎動だと知った時の驚き。そのビクンがゴニョに変わり、更にグルングルンと回転するように動いた時の恐怖にも似た衝撃。
「凄いなあ。元気だなあ」って夫はとても喜んでいたけれど、私はエイリアンみたいって思ったのは秘密です。
生命の神秘に感動するよりも、得体の知れないものへ戸惑う気持ちの方が大きかったのです。
そんな風に思うなんて母親失格なのかな。
母性本能足りないのかな。
赤ちゃんもお腹の中で、私のそんな気持ちを感じて不安だったかもしれません。
陣痛がきた日のこと。
父の運転で街灯のない暗い道を病院に向かいました。私が里帰りしてからお酒を絶ってくれていた父の運転は正直あまり上手くなくて。
母がそんな父に「夜道だからハクビシンに気をつけて」と言ってたけれど、ハクビシンよりまずは歩行者だろうって、そんなことを痛みの中ぼんやりと考えていました。
待機室で「初産だからまだまだですよ」と助産婦さんに言われて長期戦の覚悟をしていたのに、突然破水して子宮口も全開になって急遽分娩台に連れて行かれた時はどうなる事かと思いました。
体がガクガクと震える程の急激な陣痛のショックで吐いてしまい、看護師さんに洗面器みたいな白い器を顔の横に置かれて、それからは吐いてはいきみ、吐いてはいきみの繰り返し。
(器の名前はガーグルベースンというそうです)
「上から下から大変だけど頑張ってね」という笑えない応援を受けつつ頑張りました。
というか頑張るしかありませんでした。
陣痛の中、耳元で看護師さんの声が聞こえます。
「はい!ヒッヒッフーして!」
私は指示通り思いっきり「ヒッヒッフー」したのですが。
「逆よ!逆!」
え?逆?逆? えっと、、
「フッフッヒー!」
「違う!違う!吸っちゃだめ。吐いて!吐いて!」
え?息を吐く?
「ヒッヒッフー」は、吸って吸って吐くのだとずっと間違って覚えていたのです。
出産の本を3冊も読んでいたのに。
やっぱり母親学級いっとけば良かったかな。
とちょっぴり後悔しました。
それでも赤ちゃんは数分後、無事この世に生まれてきてくれました。
ただ残念なことに、新米ママの私はすぐに夜泣きの洗礼を受けました。
実家から近くて腕の良い助産婦さんがいるということで選んだのだけど、そこは母子同室の産院だったのです。
お産の後、赤ちゃんはすぐに私の隣に寝かされてお風呂以外は授乳もオムツ替えも全部自分で世話をしなければなりませんでした。
新米ママにはこれがかなりハードルが高く。
2月の寒い夜、母乳だけでは足りなかったのでミルクを作りに何度も給湯室まで長い廊下を往復しました。
寝静まった廊下に響く、自分のスリッパのペタペタという足音が何だかやけに物悲しくて。
病室は2人部屋で、同室のお母さんは今回が3人めのベテランさん。
我が子が「オンギャァ!オンギャアァ!」と怪獣並みに泣くので「オンミャオンミャ」と一緒に泣いて、連れションならぬ連れ泣き状態です。
申し訳なくて、私は急いで赤ちゃんを抱っこしては暗い廊下をあてもなくウロウロしました。
寝不足と疲労でずっと頭はボーとしています。
勿論赤ちゃんはそんな事にはお構いなく、とんでもない肺活量で泣き続けるので、とうとう私は歌ったこともない子守唄を歌いました。
ねんねんころりよ おころりよ
坊やは良い子だ ねんねしな
慣れない子守唄を歌いながら、廊下をウロウロしている自分がなんだかとても惨めでした。
退院して実家に戻っても赤ん坊は泣いてばかり。
ようやく寝ついたと思っても、布団に下ろした途端火がついたように泣き出す、その繰り返しです。
人手だけはあったので、母が父が伯母が妹が、みんなで交代で抱っこしたりおんぶしたり。
私は随分と楽をできていたはずなのに。
3日めだったでしょうか。
ゆりかごで眠る我が子を私はじっと見下ろしていました。
あんなに苦労して産んだのに、可愛いという気持ちが湧いてきません。
小さな指を動かしながら口元をウニウニさせ、赤ちゃんの顔はどんどん赤く染まっていきます。
あ、泣く。また泣く。
さっきようやく寝たばかりなのに。
また泣くんだ。
そう思ったら咄嗟に自分の耳を塞いでいました。
目の前にまるで灰色の帳が降りたようでした。
どうしよう。
どうしよう。
私、おかしいかも。
週末、仕事終わりに実家にきた夫に訴えました。
「子供を産んだら自然にお母さんになると思ってたけど、全然お母さんになれないよ。このままうちに帰って、この子と2人だけの毎日になったら、どうして良いかわからないよ」
出産後、病院に駆けつけた夫に私が放った最初の一言は、「もう絶対子供なんか産まない。2億円貰っても産まない。こんな痛い思いするなんて懲り懲り」でした。
何で1億でも3億でもなく中途半端な2億にしたのかは覚えていません。
ただ私に買ってきたチューリップの花束を持ったまま、困った顔をしていた夫の顔はよく覚えています。
あの時とまた同じ顔をさせてしまいました。
「赤ちゃんだってよく泣く赤ちゃんもいれば、あんまり泣かない赤ちゃんもいる。だからお母さんだって色んなお母さんがいてもいいんじゃないかな」
夫はそんなことを言ったと思います。
そうだよね。
色んなお母さんがいてもいいよね。
そう思ってはみても、やっぱり不安でした。
人手がある今だってこんなに不安なのに、家に戻ったらどうなるのでしょう。
退院してから1週間が過ぎ、それでも週末には夫が車で迎えに来る事になりました。
その日、珍しく赤ちゃんはよく眠っていました。
深夜、隣で寝ていた私は突然もの凄い寒気に襲われ、全身がガタガタと震えだしました。
脇腹から背中にかけて激痛が走り、冷や汗がダラダラと流れ、這うようにトイレに行って吐きました。
え? また陣痛なの?
そんな事あるはずも無いのに。
尋常ではない痛みに混乱しながら、母を呼んで熱を測ると体温計は40度を超えていました。
赤ちゃんを伯母と妹に頼み、母に付き添われた私は父の運転で病院に向かいました。
知らず知らずのうちに父はスピードをだしていたのでしよう。
「お父さん慌てないで。ゆっくり運転して」
母の細い肩にもたれた私の耳に、その声はとても遠く聞こえました。
ほんの2週間前。
新しい命を産むために私はこの道を走っていました。それなのに今は悪寒と痛みに震え、自分の命の危機を感じながら同じ道を走っています。
もしも、もしもこのまま死んでしまったら。
そう思うと、まるで心臓が誰かの手でギュッと掴まれたように苦しくなりました。
嫌だ。
絶対に嫌だ。
生まれてきた赤ちゃんを母親の顔を知らない子供にするのは嫌だ。
我が子の成長を見ずに死ぬのはもっと嫌だ。
小さな怪獣みたいに顔を真っ赤にして大泣きされても構わない。
両手で強くを抱きしめたいと初めて思いました。
* * *
今日11月11日は私の誕生日です。
生まれて初めて自分宛ての手紙を書いています。
私が生まれた日に、母となったあの日の事を書いています。
分娩台で頑張っている私へ。
あなたの間違った呼吸法でも生まれて来てくれた赤ちゃんは、今は1人の子供の父親になったよ。
あなたはずっと不安の中にいたけれど、赤ちゃんの誕生日は新米ママの誕生日なのだから、お母さんを上手にできなくても大丈夫。
間違えたって大丈夫。
だって新米なんだもの。
ゆっくりと少しずつ、赤ちゃんと一緒にね。
産後に急性腎盂炎になってしまうけど、ちゃんと回復できるから心配しないで。
小さな命はあなたに生かされ、あなたは小さな命に生かされている。
それからもう赤ん坊は懲り懲りと言っていたけれど、喉元過ぎれば何とかで5年後に2人目の赤ちゃんが生まれるよ。
今度は夏生まれの女の子です。
2度目は少しは楽になるかと思ったけれど、やっぱりガーグルベースンのお世話になりました。
そして赤ちゃんはでっかいではなく凄くでっかい女の子で、体重は3514グラム。
食べ過ぎです。
産道につかえてしまって「先生!赤ちゃんの肩が引っかかって出てこれません!」ってなかなかの修羅場だったけど。
でも安心して。
今度はヒッヒッフーを間違えないでできたから。
たくさんの人に支えられて、あなたは知らず知らずのうちに母になります。
