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喪服のスカートが見つからない


お葬式が三日後だというのに。
私の喪服が見つからない。
しかも下(スカート)だけ。

家中のクローゼットはもちろん箪笥の中、なんなら押入れまで探したのに。
夫に言ったら「どういうこと?」と言われた。
「どういうこと?」
私が聞きたい。


容疑者は五人いる。

・泥棒に盗まれた。
・誰かに貸した。
・どこかにしまいこんだ。
・間違って捨てた。
・謎の異空間に吸い込まれた。

消去法で消していく。
泥棒なら余程の変態でもない限り上下セットで持っていくだろうし、友人に喪服の下だけ貸したという、そんなレアな記憶もない。
そしてゴミ出しは夫がやっているので、自分のズボンならともかく妻のスカートを同意なしに捨てるなどということは、太陽が西から昇るくらいあり得ない。


ならば残るは、しまいこみ説と異空間説だ。
こうなったら「ハサミさん」に頼るしかない。
なくしたものが見つかる古くから伝わるおまじないである。


ハサミを耳の横でゆっくりと開け閉めしながら
「ハサミさん、ハサミさん、○○はどこにありますか?」と数回唱える。
唱えたあとはハサミを元の場所に戻して、もう一度最初からゆっくり探す。
私はハサミさんに心を込めてお願いし、時間をかけて家中を探した。


ない。


飲まず食わずで二時間探したのに。
虚しい疲労感が身体に澱み、ソファに深く体を沈める。
疲れた。
ただただ疲れた。
パトラッシュ、疲れたよ。

母さん。
私の喪服のスカートはどうしたんでしょうね。
ええ、夏の碓氷から霧積へとゆく道で谷底に落とした、あの喪服のスカートですよ。



「谷底に何を落としたって?」

夫の言葉にふと我に返る。
知らないうちに何か口走っていたようだ。
危ない。危ない。

夫にことの次第を話すと
「早く買いなよ。お葬式まであと三日だよ」
十分わかってる。
百も承知だ。

一応娘に電話で相談する。
「ネットで買えばいいじゃない。私は少し前に買ったよ」
ネット?
ネットで買って合わなかったらどうするの?
と思ったら、今はサイズも詳しく記載されていて返品も無料でできるとのこと。
そうかデパートに行かなくても、そんな手があったのか。
でもなぜか気が進まない。


クローゼットの一番奥から出てきたのは、一八年前の喪服だった。
よく捨てずに取っておいたものだと思う。
しかもだいぶ細身だ。
いけるだろうか。
いやいくしかない。

覚悟を決めて服に体を通す。
なんとか着れた。
だがそれはあくまで「なんとか」であって。
お腹周りがやばい。
ちょっと気を抜くと妊婦さんのように見える。
これはセーフなのか? アウトなのか?

息を吸ってお腹を引っ込めていればセーフ。
気を緩めればアウト。
一発退場だ。
下腹は黒いバッグで隠すしかない。
正式な喪服ではなく黒の上下で揃えるという手もあるが、さすがに喪主の妻ではそうもいかないだろう。
少しだけ、いやだいぶパッツンパッツン。
でもきっと義母は笑って許してくれるだろう。
九十五歳。
大往生だった。




四十年ほど前のお正月。
新婚早々。
大晦日から義母を手伝い、お節を食べて一段落した頃「これから着付けてご近所に挨拶に行きましょう」と声をかけられた。
雑煮を食べたばかりで着物を着るのは億劫だ。
が「面倒臭いから行きません」などと言えば新年早々大事になるのは目に見えているから、ここは笑顔で「はい」と答えた。

白地に桜をあしらった小紋に銀糸の帯を義母に着付けて貰う。
義母は濃臙脂色の色無地に黒い帯を締めた。
挨拶回りは夫も一緒だと思っていたが私だけで良いという。まあ、すぐ戻って来れるだろうと草履に足を通す。

一軒目。
義母は笑顔でお年賀を手渡すと
「うちの長男が結婚しまして。お陰様で娘ができました」とそのまま世間話に花が咲く。
私が溜息を十回ついた頃、ようやく次の家に向かった。
四軒目を終えた辺り。
固く締めた帯のせいか、こめかみのあたりがキリキリする。
だが義母の手にはお年賀があと一つ残っているから「長男嫁市中引き回し」はまだ続きそうだ。

はしゃいでいるようにさえ見える義母の隣で、私の心はモヤッていた。
訪問先で何度も繰り返す言葉が素直に喜べない。
「お陰様で娘ができました」
そこは普通に長男のお嫁さんです、で良いのでは。
いきなりの娘呼びは何だか重たかった。
最後の一軒が漸く終わり、心の中で盛大な溜息をつく私に、
「今日はありがとう」
義母は、嬉しそうに笑った。

近所でも評判のキツい姑で苦労しながら息子三人を育てた義母。
「娘と綺麗な着物を着て一緒に歩くのが夢だったのよ。だからあの時はね、夢が叶ってとっても嬉しかったの」
ずいぶんと後になってそう打ち明けられた。
そうか。
お義母さんは本当に嬉しかったんだ。
私が思うよりずっと。

男と女の間には深くて暗い河がある、という歌が昔あったけど、嫁と姑の間にも深くて暗い河がある。
でもお互い、エンヤコラと舟をだしあって櫂を漕ぎ続けた、そんな月日だったと思う。

義父が亡くなった時。
「お父さん。私はもうちょっとだけこっちの世界で楽しむから。少しだけ待っててね」
と言って親戚相手に笑いをとっていた義母。
その「もうちょっとだけ」から十八年。
江戸っ子で気が短かった義父は、さぞ天国で痺れをきらしていたに違いない。

最後まで自宅で過ごしての大往生ということもあり、葬儀は涙もなく静かに進む。
まるで厚い雨雲を突き抜けて、その上にひょっこり覗いた晴れ間にいるような、そんな穏やかな時間が流れていた。
会場には生前の写真が飾られていたが、その中で一際目を引く一枚の写真。
それは三人の息子たちも見たことがない義母と義父の結婚式の写真だった。

白無垢の義母が女優さんみたいに綺麗で皆驚く。
息子たちも「お袋さんって美人だったんだなぁ」と驚く。
それを見て私は思う。
私の時は誰もそう言ってはくれないだろう。
せいぜい愛嬌がある顔ね、くらいで。
だが義母が褒められると、なんだか私まで鼻が高かった。


棺の中に義母の大好きな花をせっせと入れながら、私は「お母さんパッツンパッツンの喪服でごめんね」と謝った。
「喪主の妻なのに、こんなパッツンパッツンでごめん。でもなんかね、新しい喪服買う気になれなくてさ」

思えば七十歳でこの世を旅立った私の母より、義母との付き合いの方が長かった。
いつのまにか本当に、長い長い時間を共に過ごしてきた。
娘ができましたと言って喜んでくれた人。
あまり出来の良い娘ではなかったけれど。


葬儀が終わり、いつもの生活に戻る。
義母が介護ベッドから見ていた庭。
そこには、ばあちゃんに見えるようにと孫やひ孫たちが作った小さな花壇がある。
今年の春はチューリップの花が咲いた。
黄色いチューリップだった。
それからプチトマトの赤い実も。
今はきゅうりの苗を育てている。
雨が降れば庭に住んでいるカエルも出てくる。
昔は2匹いたのに数年前から1匹しか見かけない。それでも梅雨時には必ず庭に顔を出す。
春になればまた、小さな花壇に黄色いチューリップが咲くだろう。


義母を見送ってひと月たった。
それなのに。
相変わらず喪服のスカートは見つからない。
失せ物は探している時は見つからなくて、ある日、ひょいと見つかるものらしい。
だからきっと、いつかひょいと見つかるだろう。


でも、もう見つからなくてもいい。
そんな気がしている。




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