「私が日本語教師を目指すきっかけ、それはNくんとの出会いでした。」
児童発達支援施設で働いていたころ、一人の男の子と出会いました。
Nくん、5歳。
お父さんは工場で働いていて日本語は理解できる。
でもお母さんは母国語と英語のみで、家庭では主に英語で会話していました。
小学校入学に向けて、日本語でコミュニケーションができるようになってほしいという依頼で、施設に通うことになったんです。
本来、児童発達支援施設は発達に課題がある子どもたちが通う場所です。
相談員さんも市から降りてきた事案とはいえ「これはどうなんだろう?」という戸惑いがあったのも正直なところでした。
でも、これも社会が抱える課題なんだと、じわじわと気づかされました。
Nくんとの出会いを通して、外国籍の子どもや家族が抱える社会的な課題と向き合う機会をいただきました。
Nくんと過ごした日々
Nくんが通っていた保育園は預かりが主体のところで、カリキュラムや年齢に応じたイベントをする保育園ではありませんでした。
同年代の子どもたちと一緒に過ごす経験も少なかった。
施設では言葉・運動・さまざまな方向からNくんを支援しました。
同年代の子どもたちと接しながら、少しずつ日本語でのコミュニケーションが育っていく様子を見守りました。
楽しそうに通ってくれるNくんの笑顔がとても好きでした。
ハローワークでの気づき
退職してハローワークに通う中で、教育訓練給付金の対象講座を調べていたとき、ふと目に留まったのが日本語教師養成講座でした。
「あ、これだ」と思いました。
Nくんとの日々が頭に浮かびました。
外国籍の方が日本で暮らしていく上で、言葉の壁がどれほど大きいか。
そしてその壁を少しでも低くする手助けができたら、と。
もともと「教える」ことへの関心もありました。
看護師として患者さんに説明する、保育士として子どもたちの成長を支える、心理学を学んで人の気持ちに寄り添う。
振り返れば、ずっと「伝える・教える・支える」をしてきた自分がいました。
すべての点がつながった瞬間でした。
わたしが描くビジョン
そして気づいたことがあります。
Nくんのような子どもたちへの支援はもちろん、日本に来て介護や看護の仕事をしながら、さらに専門的な資格取得を目指している外国籍の方がたくさんいます。そんな皆さんの力になれないか。。
もしかしたらそういった方々に、わたしは特別な形で関わることができるかもしれない。
看護師・保育士・心理士として積み上げてきた専門知識を持つ人間として、介護や看護を学ぶ方の進学や受験に向けてのフォローができる。
日本で力をつけて、助手的な立場ではなくリーダーシップを発揮できる人材になっていただきたい。
そして自国に帰国した際には、その国の医療や福祉の世界を引っ張っていけるような人材に育ってほしい。
そんな夢が、静かに、でも確かに膨らんでいます。
50代から日本語教師を目指す。遅すぎるなんてことは、きっとない。
