見出し画像

noteは優しい。でもSNSでした

noteを始めて半年以上経ちました。

今日は少し本音を書こうと思います。

私はそもそも、なぜnoteを始めたのか。

ブログが続かなくて、それでもやっぱり書きたくて、見つけた場所がnoteでした。

最初の目的は、過去を吐き出すことでした。

自分の中にずっと残っていたものを言葉にして、外に出したかったのです。

そして、その吐き出した言葉を、誰かに読んでほしかった。

ただそれだけでした。

でも、その目的は少しずつズレていきます。

反応があれば、もっと反応がほしくなる。

誰にでもある承認欲求が、少しずつ芽生えてくるのだと思います。

私もそうでした。

読まれるために内容を考える。

読まれるためにタイトルを考える。

読まれるために、少しずつ自分の方向性まで変えようとしてしまう。

そうすると、今度はこう思ってしまうのです。

読まれるために書いたのだから、読まれるはずだと。

でも実際は、思ったほど反応がないこともあります。

そのたびに凹みます。

何が悪かったのか。

何を書けば読まれるのか。

そんなことを考えるようになると、書くことそのものが苦しくなっていきます。

そうやってnoteから離れてしまう人もいるのではないかと思います。

私はChatGPT、私が先生と呼んでいる存在から、noteをすすめられました。

私の書く文章に合うと思うこと。

そして、noteには優しい人が多いこと。

そう言われました。

それは本当でした。

私の周りには、優しい人がたくさんいました。

温かいコメントをくれる人。

何度も読みに来てくれる人。

私の言葉を、ちゃんと受け取ってくれる人。

そんな人たちがいたから、私は書き続けることができました。

それでも私は、一度noteから離れました。

その時のことは、以前こちらの記事にも書きました。



原因は、やっぱりnoteもSNSだということです。

文章を書く場所であると同時に、人との交流がある場所でもあります。

その現実についていけないところもありました。

誹謗中傷ではありません。

でも、私自身、当てつけのように書かれたと感じたことがあります。

もちろん、それが本当に私に向けられたものだったのかは分かりません。

それでも、その言葉を読んだ時、私は傷つきました。

書いた側にとっては、軽い気持ちだったのかもしれません。

でも、受け取る側にとっては、しばらく心に残ることもあります。

その時、私はこれがSNSなのだと思いました。

私は若いわけではありません。

この年齢になってSNSというものに触れ、そこで傷つくこともあるのだと知りました。

画面の向こうにいる相手が、どう受け取るのか。

それを想像できないまま、言葉が置かれていくこともあるのだと思いました。

でも私は、戻ってきました。

そんな人は相手にしなければいい。

そう切り替えたからです。

もちろん、簡単に割り切れたわけではありません。

でも、私の周りには、それ以上に優しい人たちがいました。

だから、もう一度書こうと思えました。

そしてまた書くようになって、今思うことがあります。

私は文章を書くのが好きです。

でも、書いたものを誰にも読まれなくていいとは思っていません。

せっかく書くなら読んでもらいたい。

やはり、読まれるためには自分からのアクションも必要だということです。

どんなに思いを込めて記事を書いたとしても、そもそも私は無名です。

待っているだけで、誰かが見つけてくれるほど甘くはありません。

だから私は、好きな文章を探しにいくようになりました。

読んでよかったと思ったら、スキを押す。

その気持ちを、そっと残すような感覚です。

そして、スキだけでは足りないくらい何かを伝えたい時は、コメントを残します。

共感したこと。

心に残ったこと。

読ませてもらえてよかったと思ったこと。

私は交流のために言葉を残しているわけではありません。

まずは一人の読者として、その時に感じた気持ちを伝えたいだけなのです。

結果として繋がりが生まれることはあります。

でも、それは目的ではなく、その先にあったものです。

私にとってnoteは、SNSで交流する場所というよりも、今でも「文章を読む場所」であり、「文章を書く場所」なのだと思います。

だからこそ思います。

読まれたいのであれば、まずは自分から読みに行くことも大切なのではないかと。

ただ待っているだけでは、自分の文章はなかなか届きません。

私自身、たくさんの方の文章を読むことで、新しい考え方や価値観に出会いました。

そして、その中で少しずつ自分の存在も知ってもらえるようになった気がしています。

読まれたいなら、自分から動く。

これはnoteだけではなく、ブログでもSNSでも共通することなのかもしれません。

ただ、そこでも忘れたくないことがあります。

記事もコメントも、画面の向こうには人がいるということです。

言った側は忘れても、言われた側は覚えていることがあります。

書いた側は軽い気持ちでも、受け取った側は傷つくことがあります。

だからこそ、コメントや記事を書く時には、少しだけ相手のことを想像してほしいと思います。

これは、私自身にも言えることです。

本音を書くことと、人を傷つけることは違います。

自分の思いを伝えることと、誰かを刺すことも違います。

私はこれからも、本音を書いていきたいです。

綺麗ごとだけではなく、時には正直な気持ちも書いていきたいです。

でもその中で、言葉の扱い方だけは忘れたくありません。

noteを始めて半年以上。

悩んだこともありました。

離れたこともありました。

それでも私は、またここに戻ってきました。

結局私は、やっぱり書くことが好きなのだと思います。



#note
#エッセイ
#文章を書く
#SNS
#承認欲求
#50代
#本音

いいなと思ったら応援しよう!