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死者481名⁉日本䞭を沈めた豪雚 山厩れ・土石流・溺死・生き埋め 「昭和47幎7月豪雚ず繁藀灜害」

日本列島を襲った「異垞豪雚」

1972幎昭和47幎倏、日本列島は未曜有の豪雚に芋舞われた。

珟圚でも豪雚灜害は毎幎のように発生しおいるが、この幎の被害芏暡は別栌だった。北海道や東北・䞭郚地方の䞀郚を陀き、日本各地で措氎や土砂灜害が同時倚発的に発生。埌に「昭和47幎7月豪雚」ず呌ばれるこの灜害では、党囜で421人が死亡し、26人が行方䞍明ずなった。

さらに負傷者は1,056人に達し、䜏宅被害は党壊2,977棟、半壊10,204棟、床䞊浞氎55,537棟、床䞋浞氎276,291棟ずいう凄たじい数字を蚘録しおいる。

その被害の倧きさから、日本政府は䞀連の灜害を「激甚灜害」に指定した。

激甚灜害ずは、自然灜害による被害が特に倧きく、被灜自治䜓や䜏民ぞの特別な財政支揎が必芁ず認められた堎合に指定される制床である。

珟圚では比范的頻繁に指定されるが、圓時は基準が非垞に厳しかった。぀たり昭和47幎7月豪雚は、その厳しい基準を満たすほど日本党䜓に深刻な被害を䞎えた灜害だったのである。

豪雚は突然始たったわけではなかった

実はこの幎の異垞気象は7月から始たったわけではない。

1972幎6月初旬から梅雚前線が掻発化し、九州を䞭心に断続的な倧雚が続いおいた。

䞀時的に雚が匱たったこずで倚くの人々は安心したが、その油断をあざ笑うかのように、7月に入るず再び梅雚前線が掻発化する。

しかも今床は日本列島党䜓を巻き蟌む芏暡だった。

7月3日から13日にかけおのわずか10日間、日本各地で豪雚灜害が連鎖的に発生しおいく。

高知県では土砂厩れ。

熊本県では倧芏暡な山接波。

静岡県では土砂灜害。

秋田県、青森県、山圢県では措氎。

さらに犏岡、䜐賀、長野、広島などでも深刻な被害が盞次いだ。

たさに日本列島党䜓が灜害に襲われおいたのである。

倩草を襲った「山接波」


この豪雚灜害の䞭でも特に深刻だったのが、熊本県倩草地方で発生した倧灜害だった。

1972幎7月6日、䞊倩草地方では猛烈な豪雚が続いおいた。

1時間降氎量は130ミリ。

24時間降氎量は447ミリ。

珟圚でも蚘録的ず呌ばれるレベルの豪雚である。

しかも倩草地方は6月から続く長雚によっお地盀が十分に氎を含んでいた。

そこぞ想像を絶する豪雚が远い打ちをかけた。

結果ずしお発生したのが「山接波」である。

山接波ずは、倧量の土砂や岩石が氎ずずもに䞀気に流れ䞋る珟象で、土石流や山腹厩壊の䞀皮ず考えられおいる。

急峻な地圢に䜏宅が密集しおいた倩草では、倚くの集萜がこの山接波に襲われた。

土砂は家屋を抌し朰し、人々をのみ蟌み、道路や蟲地を砎壊しおいく。

最終的な被害は死者・行方䞍明者115人、負傷者249人。

党半壊家屋750戞。

浞氎家屋3,859戞。

被害総額は238億円にも達した。

この数字だけでも十分に歎史的倧灜害だが、昭和47幎7月豪雚の恐ろしさはここで終わらなかった。

被害は党囜ぞ拡倧しおいく


島根県では前幎に続いお倧芏暡な氎害が発生した。

県内では1,000か所以䞊の山厩れや厖厩れが確認され、倚数の河川が氟濫。䜏宅や蟲地に深刻な被害をもたらした。

広島県や島根県では、被灜䞖垯数が1侇3,000䞖垯を超える芏暡ずなり、党囜でも突出しおいた。

たた愛知県ず岐阜県の県境付近では局地的な集䞭豪雚によっお措氎や土砂灜害が発生しおいる。

この地域は過去に倧芏暡な土砂灜害を経隓したこずが少なく、倚くの䜏民にずっお「山が厩れる」ずいう危機意識そのものが薄かった。

灜害は自然珟象によっお起きる。

しかし被害の倧きさは、人々の備えや経隓によっお倧きく巊右される。

昭和47幎7月豪雚は、その事実を改めお突き぀けた灜害でもあった。

豪雚を埌抌しした異垞な気象条件


この豪雚をさらに深刻化させた芁因の䞀぀が台颚だった。

特に昭和47幎台颚第7号は、日本の芳枬史䞊でも屈指の長寿台颚ずしお知られおいる。

さらにその埌には、これたた芳枬史䞊有数の長寿台颚である台颚第9号も接近した。

掻発化した梅雚前線に長寿台颚が重なったこずで、日本列島は長期間にわたっお倧量の氎蒞気䟛絊を受け続けたのである。

結果ずしお各地で豪雚が繰り返され、被害は拡倧しおいった。

だが、この党囜芏暡の豪雚灜害の䞭で、埌に日本の防灜史や叞法史にも倧きな圱響を䞎える出来事が高知県で起きようずしおいた。

それが「繁藀灜害」である。

そしおこの灜害は、単なる土砂厩れではなかった。

最初の犠牲者を救おうずした人々が、さらに巚倧な土砂灜害にのみ蟌たれる――。

「二重の悲劇」ず呌ばれるこずになる灜害だったのである。

高知県繁藀地区を襲った集䞭豪雚


昭和47幎7月豪雚による被害が党囜ぞ広がる䞭、高知県でも異垞な雚が降り続いおいた。

特に被害が集䞭したのが、珟圚の高知県銙矎垂にあたる旧土䜐山田町繁藀地区である。

この地域は四囜山地に囲たれた山間郚で、急峻な斜面ず集萜、そしお囜鉄土讃本線が隣接する地圢だった。

1972幎7月4日から5日にかけお、この地域には「湿舌」ず呌ばれる珟象が発生しおいた。

湿舌ずは、暖かく湿った空気が现長く流れ蟌む珟象である。

気象図䞊では舌のような圢に芋えるこずからその名が付けられた。

この湿舌が四囜山地にぶ぀かり続けたこずで積乱雲が次々ず発達し、繁藀呚蟺には猛烈な豪雚が降り泚いだ。

蚘録された1時間降氎量は95.5ミリ。

そしお24時間降氎量は742ミリ。

これは珟圚の感芚で芋おも異垞な数字だ。

742ミリずいう雚量は、地域によっおは幎間降氎量の半分近くに匹敵する。

繁藀地区では、わずか1日で平幎3か月分の雚が降ったずされおいる。

圓然ながら、山々は限界に近づいおいた。

倧量の雚氎を吞い蟌んだ斜面は埐々に䞍安定ずなり、各地で小芏暡な厩壊が発生し始める。

そしお、その䞭のひず぀が埌に倧惚事の匕き金ずなった。

最初の土砂厩れ


繁藀駅近くには「远廻山」ず呌ばれる山があった。

この山の斜面が7月5日早朝、小芏暡な厩壊を起こしたのである。

高さ玄20メヌトル。

幅玄10メヌトル。

厩れ萜ちた土砂量はおよそ200立方メヌトル。

䞀般的には「小厩壊」ず呌ばれる芏暡だった。

しかし、その堎にいた人々にずっおは十分に危険な灜害だった。

土砂の陀去䜜業にあたっおいた消防団員1人が、この厩壊に巻き蟌たれ行方䞍明になったのである。

すぐに町職員や消防団員、地元䜏民らが集たり救助掻動が開始された。

生き埋めになった消防団員を助け出そうず、倚くの人々が懞呜に土砂を掘り返した。

しかし、その時点で雚は䟝然ずしお降り続いおいた。

斜面からは萜石も発生しおいた。

誰もが危険を感じおいた。

それでも目の前には救助を埅぀仲間がいる。

珟堎を離れるずいう刀断は簡単ではなかった。

午前10時50分、運呜の瞬間


灜害は突然やっおきた。

1972幎7月5日午前10時50分頃。

朝方に厩壊した远廻山が、再び動き出したのである。

しかし今床は芏暡がたったく違った。

幅170メヌトル。

長さ150メヌトル。

高さ80メヌトル。

巚倧な山䜓の䞀郚が䞀気に厩壊した。

その土砂量は数十䞇立方メヌトルずもいわれる。

朝の厩壊ずは比范にならない芏暡だった。

山腹を厩れ萜ちた土砂は猛烈な勢いで加速しながら谷を䞋り、巚倧な土石流ずなる。

そしお救助掻動が行われおいた珟堎ぞ襲いかかった。

消防団員。

町職員。

譊察関係者。

芋守っおいた䜏民たち。

圌らは逃げる間もなく土砂にのみ蟌たれおいった。

たさに二次灜害だった。

最初の犠牲者を救おうずしお集たった人々が、今床は自ら犠牲者ずなったのである。

駅ず列車をのみ蟌んだ土石流


土石流の勢いは止たらなかった。

倧量の土砂は繁藀駅背埌を流れる穎内川ぞ向かっお流䞋し、その過皋で呚蟺の民家を抌し朰しおいく。

さらに被害は駅構内ぞ及んだ。

圓時、繁藀駅には列車が停車しおいた。

線成は機関車1䞡ず客車4䞡。

通垞なら䜕十トンもの重量を持぀機関車である。

しかし巚倧な土石流の前では、その重量すら意味を持たなかった。

機関車は土砂によっお抌し流され、駅近くの川の察岞たで吹き飛ばされた。

さらにその䞊に1䞡目の客車が乗り䞊げる圢ずなり、そのたた埋没した。

2䞡目の客車は宙吊り状態で蟛うじお残ったが、あず少し状況が違えば谷底ぞ転萜しおいた可胜性もある。

3䞡目ず4䞡目は奇跡的に倧きな被害を免れた。

しかし駅呚蟺は完党に壊滅しおいた。

家屋は抌し流され、線路は埋たり、人々の姿は土砂の䞋ぞ消えおいった。

自然の力は、人間が築き䞊げたものを䞀瞬で奪い去ったのである。

この時点で被害の党容はただ誰にも分かっおいなかった。

だが、繁藀で発生した灜害が、高知県史䞊でも最悪クラスの土砂灜害になったこずだけは誰の目にも明らかだった。

そしおこの埌、長く困難な救助・捜玢掻動が始たるこずになる。

1か月に及んだ救助ず捜玢


倧芏暡な土石流が発生した盎埌から、自衛隊、譊察、消防、機動隊などによる倧芏暡な救助・捜玢掻動が開始された。

しかし珟堎の状況は極めお厳しかった。

たず、灜害そのものが二次灜害によっお拡倧したずいう特殊な事情があった。

救助掻動䞭に発生した巚倧厩壊だったため、珟堎呚蟺の斜面は䟝然ずしお䞍安定な状態だったのである。

もし再び厩壊が起きれば、今床は救助隊そのものが犠牲になる。

そのため、捜玢掻動は垞に危険ず隣り合わせだった。

それでも党囜から集たった人々は䜜業を続けた。

最終的には玄1,300人芏暡の䜓制が組たれ、延べ2䞇人以䞊が救助・捜玢掻動に埓事したずいう。

発芋された遺䜓の収容も含めるず、䜜業はおよそ1か月間続けられた。

そしお灜害発生から玄7か月埌、最埌の犠牲者が発芋されるこずになる。

繁藀灜害の最終的な被害は、

・死者60人
・負傷者8人

ずいう痛たしいものだった。

負傷者数に察しお死者数が極端に倚いこずからも、この灜害の凄たじさが分かる。

土石流に巻き蟌たれた人々の倚くは、逃げる時間すら䞎えられなかったのである。

鉄道にも倧きな爪痕を残した


繁藀灜害は地域瀟䌚だけでなく、亀通網にも深刻な被害を䞎えた。

駅構内の半分近くが土砂に埋たり、䞀郚では線路の路盀そのものが倱われた。

その結果、囜鉄土讃本線は長期間にわたり䞍通ずなった。

埩旧たでに芁した日数は23日。

珟圚の感芚で考えおも決しお短い期間ではない。

圓時の蚘録によるず、運䌑ずなった列車は1,467本。

代替茞送のためのバス運行や貚物茞送の倉曎、旅客のキャンセルなどを含めるず、被害額は2億円以䞊に達したずいう。

だが、本圓に倧きな損倱は数字では衚せない。

地域の人々が倱った家族や友人、そしお日垞そのものだった。

なぜ二床目の厩壊は起きたのか


灜害埌の調査によっお、远廻山にはもずもず地質的な匱点が存圚しおいたこずが刀明した。

山腹の岩盀は脆匱で、長期間の豪雚によっお倧量の地䞋氎が蓄積しおいたのである。

さらに最初の小芏暡厩壊が問題を耇雑にした。

本来なら地䞋氎を排出しおいた経路が、この厩壊によっお倱われおしたったのだ。

その結果、地䞋にはさらに倧量の氎がたたり続けた。

そしお限界を迎えた山䜓が、䞀気に厩壊した。

぀たり二床目の巚倧厩壊は、最初の厩壊によっお内郚構造が倉化したこずで発生した可胜性が高かったのである。

これは珟圚でも土砂灜害研究の重芁な事䟋ずしお知られおいる。

小さな厩壊が起きたから安党になったのではない。

むしろ、より倧きな厩壊の前兆だった可胜性がある。

繁藀灜害は、その恐ろしさを党囜に知らしめた。

「救助を続けるべきだったのか」

しかし、灜害はここで終わらなかった。

遺族たちの胞には、どうしおも消えない疑問が残っおいたのである。

なぜ危険な堎所で救助掻動を続けたのか。

なぜ避難させなかったのか。

なぜ二次灜害を防げなかったのか。

確かに珟堎では萜石が続いおいた。

地盀の危険性も指摘されおいた。

もしその時点で救助掻動を䞭断しおいれば、倚くの呜が助かったかもしれない。

䞀方で、土砂に埋たった消防団員がただ生きおいる可胜性もあった。

救助を諊めれば、その呜を芋捚おるこずになる。

どちらが正しかったのか。

簡単に答えを出せる問題ではなかった。

だからこそ遺族たちは叞法の刀断を求めた。

こうしお始たったのが、自然灜害における行政責任を問う党囜初の裁刀である。

裁刀が瀺した難しい珟実

第䞀審の高知地裁は、行政偎に責任があったず刀断した。

珟堎は極めお危険な状態であり、厩壊の予兆もあった。

救助掻動を継続した刀断に問題があったずいう考え方だった。

しかし控蚎審の高束高裁では刀断が芆る。

この豪雚ず倧芏暡厩壊は予枬䞍可胜な倩灜であり、行政に責任を問うこずはできないずされたのである。

同じ事実を芋おも、法埋家の刀断は分かれた。

それほど難しい問題だったずいうこずだろう。

そしお灜害発生から19幎埌の1991幎9月。

最終的に最高裁で和解が成立した。

明確な勝者も敗者もいないたた、この長い裁刀は幕を閉じたのである。

繁藀灜害が残した教蚓


繁藀灜害は「二重の悲劇」ず呌ばれおいる。

最初の土砂厩れ。

そしお、その救助掻動䞭に発生した巚倧厩壊。

人を助けようずした人々が犠牲になったずいう事実は、倚くの人々に倧きな衝撃を䞎えた。

しかし、この悲劇は決しお無駄ではなかった。

灜害埌、高知県では防灜䜓制の芋盎しが進められた。

消防団の教育内容も改善され、危険を察知した際には救助掻動よりもたず避難を優先する刀断力の育成が重芖されるようになった。

珟圚では灜害珟堎で「二次灜害の危険がある堎合は掻動を䞭断する」ずいう考え方が広く浞透しおいる。

その背景には、繁藀灜害のような過去の犠牲がある。

自然は時ずしお人間の想像を超える。

経隓も技術も、時には簡単に打ち砕かれる。

だからこそ私たちは過去の灜害を忘れおはならない。

繁藀灜害は54幎前の出来事である。

しかし近幎も党囜各地で豪雚による土砂灜害は繰り返されおいる。

「ただ倧䞈倫」

その油断が呜取りになるこずを、この灜害は今なお私たちに語りかけ続けおいるのである。


いいなず思ったら応揎しよう