EBMと標準化の共存が生む真価
診療する上で大切にしている指針が4つあります。
患者第一:Patient first
根拠に基づく医療:Evidence-based medicine (EBM)
標準化:Standardization
持続可能性:Sustainability
この4つを目にした方から「EBMと標準化は似ているように思いますが、どうして両方入っているのですか?」という質問を頂くことがあります。そこで「EBMと標準化を共存させることで生まれる価値」についてまとめておこうと思います。
結論を先取りすると、EBMと標準化を共存させる本当の価値とは
エビデンスが不十分で標準化しづらい状況に対応するために必要なリソースを確保できること
だと言えます。
それぞれの言葉の意味
まず整理しておくべきは、EBM・標準化それぞれの言葉の意味です。
根拠に基づく医療(EBM)は文字通り、これまで得られたエビデンスの程度によって「特定の医療行為を行う・行わない」の意思決定を行うことです。つまり「ある患者群に対して、ある介入が有効だ」というエビデンスが十分蓄積されていれば行い、逆に有効性に関するエビデンスが不十分であれば(もしくは有害性が示されていれば)その介入を行わない、という考え方です。
標準化とは、チームで特定の作業手順を一通りに取りまとめることです。ある作業を行う際に、誰が担当しても同じように進むために「手順を共有すること」とも言えます。標準化の手段として代表的なのは、チェックリストやプロトコルなどでしょう。これさえ見ておけば、誰がやっても同じように作業が進む。その拠り所になるものです。
EBMと標準化は同じなのか?
では冒頭の質問に戻りましょう。
「EBMと標準化は似ているように思いますが、どうして両方入っているのですか?」
この問いに答えるために、エビデンスの程度と標準化の有無の2軸で分けた下の図を使って話を進めていきます。あらゆる介入は、この図に示したA〜Dの4つの領域のいずれかに収まります。

それぞれの領域について見てみましょう。
A領域には、エビデンスが十分あり、標準化されている介入が該当します。やるべきことをみんなで型通りやりましょう、ということです。ここは悩む余地がありません。
A領域の真逆がD領域です。エビデンスが不十分で、標準化されていない。ここに該当した介入は、その場その場で考える必要が出てきます。臨床現場では最も悩ましい場面と言えるでしょう。
冒頭の質問に見返すと、その質問はこのように言い換えられるのではないでしょうか。
EBMと標準化は似ているのだから、片方だけでいいんじゃないですか?
ではこの仮定に沿って考えを進めてみましょう。
もしEBMと標準化が全く同じことを指しているのであれば、すべての介入は図のA領域かD領域に集約されることになります。つまり
エビデンスが十分であれば必ず標準化される
エビデンスが不十分であれば決して標準化されない
という1対1関係が成立するはずです。
しかし、A領域でもD領域でもない介入が存在します。それらは、B領域やC領域に該当するものです。つまり、EBMと標準化は完全には一致しません。
たとえば、C領域を考えてみましょう。エビデンスは不十分だが、標準化されている介入がここに分類されます。いわゆる「ローカル・プラクティス」です。世の中の標準治療にはなっていないけれど、チーム内ではコンセンサスが得られている介入のことです。
B領域は、エビデンスが十分なのに標準化に至っていないものです。こちらは他の領域と比べると、若干イメージしづらいかもしれません。例えば、最近新しいエビデンスが追加されたことでルーチン化するのに十分な知見が蓄積されたが、まだ標準化(実装)に至っていない介入がここに含まれます。また別のケースとしては、既にエビデンスの蓄積は十分である事自体は認識されているのだけれど、何らかの理由(たとえばロジスティックな理由)で実装に至っていないもの。こういった介入がB領域にあたります。
このように4つに分けてみると、それぞれの施設でB領域やC領域に当てはまる介入があるのではないでしょうか?
「エビデンス十分だから即ち標準化すべし」とも「エビデンス不十分だから標準化しない」とも言い切れない領域が、確かに存在するのです。
それぞれの領域で気をつけたいこと
4つの領域にはそれぞれに固有の注意点があります。

A領域:「やらない」を選べない設計
A領域(エビデンス十分・標準化済)に入った介入は、徹底して遵守しなければなりません。やるべきことを徹底してやる際の注意点は、「やらない」を選べないように設計しておくことです。
具体例をあげましょう。「敗血症では昇圧剤の第一選択薬としてノルアドレナリンを使う」という介入は十分なエビデンスによって支持されています。ただし、実際にこの介入を裏付けるエビデンスの中身は「ドパミンはノルアドレナリンに比して不整脈や死亡のリスクが高まる」です。ノルアドレナリンの有効性は、ドパミンの有害性によって確固たるものになったわけです。
これを踏まえると「ノルアドレナリンを第一選択薬に使う」を徹底するには、ドパミンを選べない設計にしておくことが鍵になります。そこで薬剤処方を事前登録したセットからに限定し、そのセットにドパミンを含めないことで、自然とドパミンではなくノルアドレナリンが処方されるようになります。
D領域:他人に伝わる言葉にする
D領域(エビデンス不十分・標準化未)は、その場その場で考えていくことになり、どうしても属人性が強まってしまいます。そんな性質をもつD領域でも、チーム内で独りよがりな診療になるのを避けるために大切にしたいのは、他者への説明可能性です。
たとえば、「ノルアドレナリンとバソプレシンを併用中に循環動態が安定化したときに、これら二剤をどのように減量していくか」はよく議論になるポイントです。エビデンスは不足していますし、標準化もされていません。とはいえ、現実には何らかの減量方法を選択しなければならないわけです。
ここで大事になるのが
なぜその減量方法を選んだのか
なぜ他の減量法を選ばなかったのか
を他者にも伝わる形で説明できることです。
私はノルアドレナリン・バソプレシンの併用中は次のように減量方法を選びます。
原則:二剤を並行して減量
ノルアドレナリン優先:頻脈・不整脈(ノルアドレナリンの有害事象)
バソプレシン優先:徐脈・虚血性合併症(バソプレシンの有害事象)
この考え方を目の前の患者さんに当てはめて、最適だと思うものを選びます。そうすることで、なぜこの選択肢を選び、他の選択肢を選ばなかったかを他の人にも明確に説明できます。
ここで逆説的に重要になるのは、他の人が違う意見を持つことを受け止めることです。エビデンスが不十分で標準化がなされていない以上、同じチーム内であっても複数の意見が出るのは自然なことです。そして、どちらか一方が必ず正しいということもありません。やってみないと分からない面も大きいです。試行錯誤の中で、その患者さんにとって最適な選択を模索し続けるしかありません。
つまりD領域で大切になるのは、自分自身の意見を他者にも了解可能な形で説明できることとともに、自分とは異なる意見に対してもオープンな姿勢を持つことです。
C領域:「間違っているかもしれない」という自覚
C領域(エビデンス不十分・標準化済)で忘れず持っていたいのは「間違っているかもしれない」ことへの自覚です。
C領域は、世の中ではコンセンサスが得られていないローカル・プラクティスです。身も蓋もない言い方をしてしまえば、そのチーム独特の「好み」です。もちろん標準化に至ったということは、生理学的・薬理学的合理性や、不十分ながらも一定程度のエビデンスの裏付けがあるはずです。それでも「この標準化はもしかしたら間違っているのかもしれない」という意識を捨てずに、必要があれば速やかにアップデートするという心構えでいることは大切です。
C領域に関連した教訓として思い出したいのは、ICUにおける低めの血糖目標(強化インスリン療法)の歴史です。この介入が一躍脚光浴びたきっかけは、2001年にトップジャーナルの一つであるNew England Journal of Medicine誌に掲載されたランダム化比較試験(RCT)でした。この研究では、血糖目標を下げることが死亡率を低下させたと報告されたのです。この結果を踏まえ、低めの血糖管理を標準化したICUもありました。
しかし問題は、このRCTが単施設研究だったことです。2009年に同じジャーナルに掲載されたのは、より多くの患者さんを集めた多施設RCTでした。そしてこの多施設研究では、低めの血糖目標が低血糖を増やすだけでなく、死亡率が上昇させることが報告されました。単施設研究の結果を根底から覆した結果を受けて、低めの血糖目標はリスクが大きいと判断され、避けるべき治療とみなされるようになりました。
低めの血糖目標に関する歴史は、エビデンス不十分な段階の介入を標準化することの危険性を物語っています。拙速な標準化こそC領域で最も避けるべき事態として心に留めておく必要があります。
B領域:少しずつ進める
B領域(エビデンス十分・標準化未)では、実装に向けてアクションを直ちに起こしたくなります。ただし、まず十分に検証したいのは「本当にその介入はB領域に入るのか?」という領域認識です。新たに重要なエビデンスを追加した論文だけでなく、そのトピックに関するこれまでのエビデンスを俯瞰的に評価することが重要です。
一つの方法としてジャーナルクラブがあります。重要な論文(多施設RCTや診療ガイドライン)をジャーナルクラブで扱い、チーム内で方法論や結果を批判的に吟味し、「本当に、十分なエビデンスがあると言えるか」を議論します。ここで「エビデンス十分」と判断されれば、B領域からA領域へ移すべく実装に向けた準備を始めます。具体的にはプロトコルやチェックリスト作成やチーム内外でのコンセンサス形成です。
B領域に含まれる別の介入としては「以前からエビデンスは十分だがロジスティックな理由で標準化に至っていない」というものもあります。特に「その介入が有効だ」というエビデンスが十分ある場合、「その介入を行わない」こと自体が診療の質を損なうリスクは看過できません。このケースで注意すべきは「欲張らずに少しずつ議論を進める」ことです。
実は、この「少しずつ進める」がバカになりません。たとえばマンパワーが標準化を阻んでいるなら、比較的マンパワーのゆとりのある平日日勤のみに限定し、1勤務帯で1人の患者さんのみ(同時に2人以上はやらない)から始める、といった具合です。
本当は全ての勤務帯で実践したい。その気持ちは良く分かります。
しかし、標準化を新しく追加する際には必ず摩擦が発生します。その摩擦をロジックで抑え込もうとしてもうまく行きません。むしろできるだけハードルを下げて、小さな成功体験を積み重ねていくことが近道になることが多いです。いきなり100%の成果を求めずに小さな前進を積み重ねていく姿勢も、B領域をA領域に移すためには重要な姿勢です。
領域間の遷移
介入の中には、時間経過の中で4つの領域を移動するものもあります。原則的に移動の向きは、エビデンスが増える上向きか、標準化に向かう左向きかのいずれかです。

B領域→A領域は、エビデンス十分な介入を標準化していく過程です。エビデンスの評価を経て、実装に向けた具体的な手続きを進めていくことについては前段落で述べました。
C領域→A領域は、エビデンス創出のチャンスになります。つまり研究のタネです。もちろん「エビデンス十分」と言えるほどの研究をいきなり行うのはハードルが高いです。一方で、比較的ハードルの低い後ろ向き観察研究を始めるための材料は、既に揃っているとも言えます。そのチームでは標準化された介入ですので、日常診療を行う中でデータが蓄積されています。
1つ付け加えるとすると、このような研究のタネに気づきやすいのは、新しくチームに加わった人です。既に標準化されている介入に、チーム内で疑問を持つ人はいません。もはや当たり前だからです。このような状況では、それまで違うチームで働き、違う標準化を実践していた人が新たなチームに加わった時こそ、その差を認識し疑問を抱きやすいのです。ご自身が施設を移った時や新しい方を迎え入れた時には、「標準化の差」に注目してみると良いアイディアが浮かんでくるかもしれません。
D領域→C領域は、エビデンス不十分な中で標準化していく過程です。この変化を試みる際には、極めて慎重であるべきです。C領域の注意点として述べたように「間違っているかもしれない」という自覚が何より大切です。同じ左向きに移るにしても、十分なエビデンスに裏打ちされたB領域→A領域とは意味合いが全く違います。標準化によって得るものがあるのは確かですが、リスクを伴うプロセスであることを重々承知しておきたいです。
そのリスクを理解した上で、標準化を進める場合もあります。具体例はICUでの気管挿管です。ICUでの気管挿管は緊急で行われ、多くの薬剤や医療器具を要します。物品準備から挿管手技、挿管後ケアまで、複数のステップが連続的にスムーズに行われなければなりません。
そんな中で、個別の薬剤や医療器具をいちいち指示していると、時間がかかり、エラーも起きやすくなります。準備から挿管後ケアまでの流れ全体をひとつのパッケージとして標準化しておけば、「挿管する」という意思決定さえなされれば、各メンバーは細かな指示がなくても自律的に動き始めることができます。
標準化を行った後も、エビデンス追加に伴うアップデートを続けることは重要ですが、エビデンス不十分な中でも標準化が果たせる役割はあります。
EBMと標準化の共存が意思決定の数を減らす
エビデンスの程度で介入を行うかどうかを判断するEBMと、異なるメンバーでも思考プロセスを共有する標準化。それらはオーバーラップすることも多いですが、常に一致するわけではありません。だからこそ、この2つの指針が共存することで、それぞれ単独にはない効果が生まれます。
その効果とは
臨床現場での意思決定の数を減らす
ということです。
臨床現場での意思決定という観点から、各領域を改めて見てみましょう。

A領域はもはや議論の余地がない標準治療です。他の選択肢を選べない設計になっており、現場で悩むことはありません。
エビデンスが不十分ですが標準化されているC領域は、「間違っているかもしれない」という自覚こそ持ちつつも、ベッドサイドでは共有されたプロトコルを運用することに専念できます。ここも意思決定は既になされています。
エビデンス十分なのに標準化がまだのB領域は、速やかにA領域に移すべきです。標準化に向けた議論はベッドサイドから離れて進めるべきで、こちらもベッドサイドで悩む必要はありません。
このように考えると、EBMと標準化を併用することで、A・C領域の意思決定は既になされており、現場での意思決定がもはや不要です。
すると、残るはD領域のみです。
EBMと標準化の共存でD領域を乗りこなす
エビデンスが不十分かつ標準化が行われていないD領域のことを
「エビデンスはないし、標準化もされていないから、何だっていい」
と考えるのは全くの誤りです。むしろD領域では
「仮説を立てる→検証する→仮説をブラッシュアップする→…」
というプロセスを繰り返しながら、自分なりの結論を導き出す必要があります。そしてその結論を、他者も納得できる言葉で伝える必要もあります。
エビデンスや標準化が答えをくれない問いに対して、自ら答えを見つけ出す。D領域では、そんな高い要求に応えていく必要があります。
そんな高いハードルを要求してくるD領域を乗りこなすには
過去の経緯を正確に把握し
今の情報を網羅的に収集し
一元的に説明できる診断に統合し
診断に見合った介入を進めていく
という一連の流れを自分の頭で構築していくことです。
いきなり一つの仮説に集約させることは、できないかもしれません。複数の仮説を抱えながら、それぞれを同時に小さく検証していく過程を経る必要があるかもしれません。
D領域には、エビデンスや標準化という分かりやすいガイダンスがありません。だからこそ、D領域と相対する時、私たちは複雑な思考プロセスで立ち向かわざるを得ません。D領域は、私たちの脳のリソースを大量に占有し、仕事中の多くの時間を消費させていきます。
では逆に、私たちがあらゆる介入に対して、D領域と同じやり方で向き合い続けるとどうなるでしょうか?
きっと脳のリソースはいくらあっても追いつかず、時間だけがどんどん過ぎ去ってしまいます。しかし現実問題として、私たちが処理できる認知負荷には限界がありますし、仕事は規定時間内に終えなければなりません。
だからこそ、EBMと標準化により他の領域での意思決定をシンプルにしておくことが大切なのです。D領域に思考や時間のリソースを十分割くことができるのは、正解が明らかなA領域とチーム内での合意形成を終えたC領域での意思決定から解放されているからです。
EBMは診療の質を担保する。
標準化は思考プロセスを共有する。
それぞれ単独でも発揮する価値は十分大きいです。そして私たちはこれらを共存させることの価値は、2つが重なり合ったA領域、つまり「エビデンスが確立したことをチームで一貫して実践する」点にあると考えがちです。もちろんそれ自体も、とても意義深いことです。
しかし、EBMと標準化の共存メリットは、エビデンスが十分あるA領域だけでなく、エビデンスが不十分な領域の一部(C領域)での意思決定をも事前に済ませておける点にこそあります。なぜなら「A・C領域では、現場で意思決定しなくていい」ことは逆説的に、エビデンスが不十分で標準化しづらい難易度の高いD領域に対して、仮説生成・検証のための思考や時間のリソースを確保しておいてくれるからです。
昇圧剤選択に悩まない分、輸液ボーラスの是非をじっくり評価できる
気管挿管に悩まない分、最適な人工呼吸器設定をじっくり探索できる
腎代替療法の導入に悩まない分、無理のない除水量をじっくり検証できる
脳のキャパシティや時間という限られたリソースを、何にどれだけ配分するか? 問いの難しさや手間の多さに応じた配分を支えてくれるのが、EBMや標準化なのです。
EBMは正解をくれるが、正解が明らかな問いは多くない。
標準化は暫定的な答えをくれるが、それでも問いは残る。
EBMと標準化を共存させる真の価値は、EBMでも標準化でも答えには辿り着けない問いに直面したときにこそ発揮されるのではないでしょうか。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップは集中治療の普及や若手医師・医学生のキャリア支援の活動費に使わせていただきます!