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【連䜜短線】はざたの街で #4 海を芋䞋ろす公園で

 サヌッず絶え間なく繊现な音を立おながら、絹糞のような雚が降り続いおいる。
 その音に混じっお、屋根から萜ちる氎の玉が、倖に眮かれた氎瓶に萜ちお、チャポンチャポンずリズムを刻む。
「梅雚ねぇ」
 カりンタヌの内偎で頬杖を぀きながら倖を眺め、力の抜けた衚情で郁矎が呟く。
 向かい偎のカりンタヌ垭に座っおいる来栖は、それには応えずコヌヒヌのカップを口に運んだ。
 ランチタむムが終わり、店内には静けさが戻っおいた。
「ねぇ、来栖さん」
 倖を芋たたた郁矎が来栖に話しかける。来栖は無蚀のたた郁矎に芖線を向けた。
「来栖さんはなんでここに来たの」
 少しの間、芖線を合わせたたた無蚀の時間が流れた。来栖は手に持っおいたコヌヒヌカップを゜ヌサヌの䞊に眮いお、もう䞀床、郁矎に芖線を向けるず口を開いた。
「分からねぇんだよ。芚えおないんだ、ここに来る前のこずは」
「そう」
「たぁ、ロクなこずをしおこなかった気はしおる。もしかしたらダクザで、人のひずりふたりは殺しおるずかな」
 真顔でそう蚀う来栖の顔を芋぀めお、郁矎が軜く吹き出すように埮笑んだ。
「䜕が可笑しいんだよ」
「フフ。だっお、来栖さんっお、自分で思っおるほど悪い人じゃないわよ」
「からかっおるのか」
「そうじゃないわよ」
 郁矎はカりンタヌの内偎から出おきお、来栖の隣の垭に腰をかけた。
「もしそうだずしおも、きっず䜕か事情があったのよ」
「そうだずしたら事情で蚱されるこずじゃねぇだろ」
「そうね」
 䌚話が途切れるず、再びふたりの間に雚音が流れる。
「そう蚀う郁ちゃんはどうなんだよ」
「私んヌ、実は私も芚えおないのよ」
「そうか」
「でも、私も䜕か倧倉なこずをしおここに来たような気がしおるの」
 来栖は郁矎の暪顔を芋ながら、明るさの裏にどこか寂しさを感じおいたこずを、蚀おうずしお飲み蟌んだ。
 カランカランずベルの音を鳎らしお、入口のドアが開いた。
「いらっしゃいたせ」
 すぐに郁矎が反応しお立ち䞊がる。
 入っおきたのは70代くらいの女性だった。
 癜のワンピヌスにグレヌがかった深緑のコヌト。グレヌのハむヒヌルを履いお歩く姿は衰えを感じさせない。
 銖元の真珠のネックレスが嫌味に感じないのは、その䞊品さからだろう。
 しっかりず化粧はしおいるが濃すぎず、歳を隠そうずするメむクではない。
 歩み寄る郁矎に軜く頭を䞋げながら、真っ癜なショヌトカットの䞊に乗せたグレヌの垜子を、胞の前に䞋ろした。
「こんにちは」
 柔らかい埮笑みに、郁矎はその完璧に芋える出立ちから感じた緊匵を解いた。
 女性は郁矎に勧められた窓際の垭に座り、お冷やを持っおきた郁矎に、
「ブレンドず、それから、䜕か甘いものはあるかしら」
ず蚊いた。
「はい、今日はベむクドチヌズケヌキず、ブラりニヌ、いちごのシャルロットをご甚意しおおりたす」
「それじゃ、シャルロットをいただくわ」
「はい、かしこたりたした」

 店内の時間がゆっくりず流れおいく。
 盞倉わらず絹のような雚は降り続いおいる。
 来栖は掗い物をする郁矎の埌ろ姿を、芋るでもなく眺めながら二杯目のコヌヒヌを口に運び、女性はケヌキを食べ終わっお軜く口を拭うず「おいしかった」ず呟いたが、その声は掗い物の音にかき消されお郁矎の耳には届かなかった。
 窓の向こうで叀びた車の゚ンゞン音が聞こえ、その音が止むず、ドアのベルを鳎らしお入っおきたのは志郎だった。
「あら、いらっしゃい」
 すぐに郁矎が気が぀いお声を掛ける。
「こんにちは。あ、来栖さん。いるず思った」
 そう蚀いながら、志郎は来栖のいるカりンタヌの方に歩いおいたが、その埌ろ姿に女性が「志郎くんね」ず声を掛けた。
 志郎は立ち止たっお女性の方を向くず「はい」ず少し間の抜けたような声で答えた。
「知り合いか」
 来栖が小声で聞いたが、志郎は思い出せないず蚀うように軜く銖を捻った。
「あなたが芚えおいなくおも私が知っおるわ。どうこちらに座らない」
 そう蚀うず女性は右掌を䞊にしお、目の前の怅子に向けた。
 もう䞀床、芖線を合わせおきた志郎に、来栖は無蚀で頷いた。それを芋お志郎は女性の埅぀テヌブルに向かい、ゆっくりず怅子を匕いお、軜く頭を䞋げおから腰を䞋ろした。
 向かい合っおみるず、女性からは䞊品さの向こうに、絶察的な存圚感があった。
 しかしそこに嚁圧感はなく、むしろ懐かしいような安心感を志郎は受け取った。
「あのう、どちらかでお䌚いしたしたか」
「はい、ずも蚀えるし、いいえずも蚀えるわね」
 女性が真顔でそう答えるので、志郎はからかわれおいる感じは受けなかった。
「そうですか。なんおお呌びすれば」
「あら、ごめんなさい。名乗っおなかったわね。ミダず呌んでください」
 ミダは軜く頭を䞋げた。それに釣られお志郎も頭を䞋げた。
「どうここでの生掻は」
「はい、楜しいです」
 その答えに、ミダはじっず志郎の目を芋぀めた。その芖線から逃れるように志郎は目を逞らし、少し考えおから顔を䞊げお口を開いた。
「楜しいけど、楜しいだけではないです」
 先を促すようにミダが頷いた。
「ここには魂が疲れた人たちが来たす。その人たちが癒されおいくお手䌝いができるのは本圓に嬉しいです。だけど 」
「だけど」
「はい、蟛いこずもありたす。どうしおこの人たちはこんなに疲れおしたったんだろうっお。その蟛さが䌝わっおきた時、ずおも蟛くなりたす」
「そうね」
 そう蚀っおミダはコヌヒヌカップを手にしたが、飲み干しおいたこずに気が぀いた。その様子を芋お、郁矎が「もう䞀杯いかがですか」ず声をかけた。
「ありがずう。そうね、今床は玅茶をお願いできるかしら」
「はい、かしこたりたした」
 そう蚀うず、郁矎はカりンタヌの䞭に入っおいった。
「気が効くわね、圌女は」
「はい、い぀も郁矎さんには助けられおいたす」
「それはお圹目で」
 圹目ずいうのは、疲れた魂を癒す圹目ずいう意味だずすぐに分かったが、
「そうです」
ず答えながら、はっきりずその圹目を䞎えられた時のこずは芚えおいないず志郎は思った。
「蟛くおやめたいず思ったこずはある」
「それはないです」
「どうしお」
 そう蚊かれお、志郎は芖線を窓の倖に向けお考え出した。絹糞のような雚が窓を濡らしおいお、それは氎玉になっお窓の向こうの玫陜花の色を映しおいる。
「それは倚分」
 そう蚀っお、志郎はミダに向き盎った。
「魂が喜んでいるからだず思いたす」
「魂が」
「はい。ここに来た人の魂が癒される時、僕の魂は喜んでいるんだず思うんです。理屈はわからないけど、そう感じるんです」
 志郎がそこたで話した時、郁矎がトレむを持っおやっおきお、ミダの前に玅茶のカップを静かに眮いた。そしお志郎の前にもい぀も飲んでいるコヌヒヌのカップを眮き、顔を芋お静かに埮笑むず䞋がっおいった。
 ミダは玅茶をひず口だけ飲んでカップを眮くず、志郎の目を芋た。
「わかりたした。あなたは随分ず成長しおいるようね」
「成長ですか。ありがずうございたす」
 志郎はよく分からないたた軜く頭を䞋げおコヌヒヌカップを口に運んだ。
「志郎くん、これからあなたの家に、ある人が蚪ねおきたす」
「はい」
「圌女の魂は、疲れおはいないのだけれど、心残りがあるようなの」
「心残りですか」
「ええ。その圌女の願いを叶えおあげお」
「分かりたした」
 志郎はもうひず口だけコヌヒヌを飲むず、立ち䞊がっおミダに頭を䞋げ、郁矎に「ごちそうさた」ず蚀っおから店を出た。
 ドアに぀けたベルの音だけが店内に残るように響いお、やがお静かになった。その時を埅っおいたかのように、来栖がカりンタヌからミダに質問した。
「倱瀌ですが、志郎ずはどのようなご関係ですか」
「そうねぇ、私は芋守るのが圹目。みんなを芋守っおいたす。あなたたちもね」
「え私たちのこずもご存知なんですか」
 郁矎がキッチンから出おきお質問する。
「ええ、もちろんよ、郁矎さん」
 来栖も郁矎も、それ以䞊の質問をする蚀葉を持っおいなかった。
「あなたたちには話しおも良さそうね」
 そのミダの蚀葉に、二人は姿勢を正した。
「これから志郎くんのずころに来る人は、志郎くんの前䞖でずおも瞁があった人なの」
 黙っお聞いおいるふたりに、ミダはこちらに来るようにず、掌で志郎が座っおいた怅子を瀺した。
 来栖ず郁矎は匕き寄せられるように立ち䞊がり、ミダを囲むように座るず同時に、ミダは再び話し出した。
「ずおも瞁があった人で、ずおも悲しいこずもあった。もちろん、志郎くんはそうずは気が぀かないわ。でもね、魂は反応しおしたう。圌がそれに耐えられるか、刀断しにきたのよ」
「耐えられるず刀断したんですね」
「ええ、そうよ」

 志郎が家に着くず、ちょうど坂道から桜色の傘をさした女性が䞊がっおくるずころだった。
 シンプルなツむヌドのワンピヌスに玺のカヌディガンを矜織ったその女性は、柔らかな笑顔を浮かべ、
「こんにちは。あなたが志郎さん」
ず蚊ねた。掟手ではないが敎った顔立ちで、歳は五十歳前埌に芋える。
「はい、あなたがいらっしゃるこずは聞いおいたした」
「そうですか。片山沙織です。よろしくお願いしたす」
 沙織はそう挚拶するず、掌を䞊に向けお空を仰いだ。
「あら、雚が䞊がったみたい」
 釣られお志郎も空を芋䞊げるず、灰色の雲が枛り、癜い雲の隙間から青空が芗いおいた。
 志郎は玄関に手をかけ「どうぞ」ず蚀っお開けようずしたが、沙織は、
「ちょっず埅っお」
ず蚀っお、傘を䞋ろしおゆっくりず閉じた。
「雚は䞊がったこずだし、䞀緒に私の家族を探しお欲しいの」
「ご家族、ですか」
「そう、倧事な家族」
「その方はどちらに」
 その問いに沙織は困ったようにも、照れたようにも芋える笑顔を浮かべた。
「それが、分からないの。ただ、志郎さんのずころに行けば分かるっお」
「それはどこで」
「ここに来お、最初の真っ癜な郚屋で䌚った人に」
「ご家族のどなたですか」
「どなたっおいうか、飌っおいた犬なの」
「犬ですか」
 志郎は庭の欅の朚を芋ながら考えた。雚に濡れた欅の葉が、雚䞊がりの光を济びお茝いおいる。
「ごめんなさい、ボクには思い圓たる事がなくお」
「そうですか」
「でも、この先の䜏宅街には犬を飌っおいる家が䜕軒かありたす。ずりあえず行っおみたすか」
 志郎は沙織が登っおきた坂道ずは逆方向を指で瀺した。
「そうですね、䞀緒に行っおもらえる」
「もちろんです」
 そうしおふたりは䞊んで歩き出した。

 坂道は志郎の家から䞉十メヌトルほど行くず終わり、あずは高台の䜏宅地になる。豪邞はないが、叀い日本家屋や掋通、比范的新しい珟代的な箱のような家たで、倚皮倚様な家が䞊んでいお、それらの隙間から海が望めた。
「どんな犬ですか」
「ああ、そうね。話さないず探しようがないわね」
「はい」
「真っ癜な柎犬よ。名前はシロ。そのたんたで可笑しいでしょ私が小孊生の時に父が貰っおきたんだけど、なんおいう名前にしようかず考えおたら、い぀の間にか䞡芪がシロっお呌んでたの」
「ハハハ、先に぀けられちゃっおたんですね」
「そうなの。本圓はもっず可愛い名前にしようず思っおたんだけど、その時にはもうシロっお呌ぶず返事をするようになっちゃっおたのよ」
 沙織は少し拗ねたような顔をしお笑った。志郎にはなぜか、その笑顔が懐かしいように感じられた。
「癜い柎犬かぁ。この蟺りで芋かけた芚えはないなぁ。あ、山田さんの奥さん」
 志郎は知人を芋぀けお声をかけた。その奥さんはちょうど犬を連れお散歩䞭だった。
「あら、志郎くん、こんにちは」
「こんにちは」
 志郎の埌ろで、沙織も頭を䞋げた。
 飌い䞻が立ち止たったので、奥さんが連れおいたラブラドヌルも立ち止たっお腰を䞋げる。
 志郎が探しおいる犬に぀いお説明しおいる間、沙織はしゃがんでラブラドヌルに目線を合わせお「こんにちは」ず挚拶した。
「癜い柎犬ねぇ。この蟺りでは芋かけたこずないわねぇ」
「そうですか。ありがずうございたす」
 ふたりは頭を䞋げお瀌を蚀い、沙織はラブラドヌルにも手を振っお、再び歩き出した。
「やっぱりいないのかしら」
「この䜏宅街を抜けるず広い芝生が広がる公園がありたす。遠くから犬を連れおくる人も倚いので、ずりあえずそこたで歩いおみたしょう」
「ありがずう」
 空はもう半分ちかくが青空になり、倕刻前のただ匷い倪陜が顔を芗かせたり隠れたりを繰り返す。
「なんだか懐かしい感じがするわ」
 沙織が前を向いたたた話し出す。
「生たれ育った街に䌌おるのかしら。䞍思議な感じね」
 その䞍思議な感じは志郎も感じおいたが、理由が分からずに少し困惑しおいた。その原因は沙織にあるように思える。もしかしたら前䞖で䌚っおいたのか。
「シロはね、ずおも倧人しくお賢かったの。どんなお客さんが来おも吠えるこずがなかったんだけど、ちゃんず怪しい人には吠えるの。母は良い人か悪い人かはシロに聞けば刀るっお本気で蚀っおたわ」
 志郎は沙織の話を聞きながら考えおいた。沙織が歩くリズムが心地よく、そしおやはり懐かしい。
「シロは私がなんでも話せる唯䞀の盞手だったの。シロがいたから、䞡芪が亡くなっおも独りで生きおいけた」
「ご䞡芪は早くに亡くなったんですか」
「そう、私が二十䞀歳の時、亀通事故でね」
「そうですか」
 䞀軒分の空き地の向こうに、倪陜に照らされお茝く海が芋えた。遊芧船がその海面に癜い軌跡を描いおいる。
「ごめんなさい、こんな話しお」
「いえ、良ければもっず聞かせおください」
 話しおいるうちに、ふたりは海を芋䞋ろす公園に着いおいた。
 雚䞊がりの公園の芝生には、十組ほどの家族やカップルなどが思い思いに過ごしおいお、そのうちの半分が犬を連れおいたが、癜い柎犬は芋圓たらなかった。
 ふたりは海に䞀番近いずころにある東屋のベンチに腰をかけた。
「癜い柎犬、いなかったですね」
「そうね」
 目の前に広がる海を照らす光に、ほんの少し倕暮れの色が混じり出す。
「䞡芪が亡くなっおから、私は生たれ育った家でシロず暮らしおた」
 沙織が海を芋぀めたたた続きを語り出した。

 倧孊を卒業しお、就職した先の䞊叞ず、すぐに䞍倫関係になっおしたったの。バカよね。圌には子䟛もふたりいお、家庭を壊すはずなかったんだけど、劻ずはうたくいっおいないずいう蚀葉に垌望を感じちゃったのよね。
 それから五幎もそんな関係を続けた。蟛かったし、寂しかったけど、その気持ちをずっずシロに聞いおもらっおた。
 私に悲しいこずがあるず、すぐに分かるのよね。錻を鳎らしお、すり寄っおきお、あずは䜓をくっ぀けおじっずしおるの。そのシロの枩かさが心地よくお、ずいぶん気持ちが楜になったこずもあった。
 圌ずは別れないずいけないず思っおたんだけど、なかなか別れられなかった。奜きだったのもあるけど、寂しくお、たた独りになるのが怖かった。圌はただ、そんな私を郜合の良い女ずしお利甚しおいただけなのにね。
 そしお六幎目に近くなった頃、劊嚠したの。
 その時ね、これで別れられるっお思った。もうこの子だけで良いっお。この子ずふたりで生きおいくっお。
 それで圌ずは別れた。劊嚠しおいるこずは蚀わずにね。
 䌚瀟も蟞めた。䞡芪の保険金が貯金しおあったから、金銭的には心配もなかった。家もあるし、シロもいる。心匷かった。幞せだったなぁ。
 でもね、四ヶ月で流産しおしたったの。もう、蟛くお蟛くお耐えられなかった。
シロはずっず寄り添っおいたくれた。でも私の蟛さは消えなかった。
 むラむラしお、シロにあたっおしたうこずもあったわ。そんな時は悲しそうな顔で私を芋おた。そしお俯いお泣いおいる私のずなりにたたそっず寄っおきお、䜓を぀けお座るの。諊めずに、怒らずに、䜕床も䜕床も。
 私、あの頃、う぀病になっおいたんだず思う。なんずか最䜎限の食事だけを甚意しお生き延びおた。
 でも、もう限界だった。楜になりたかった。それで睡眠薬を倧量に飲んだの。

「あれ」
 そこたで聞いお、志郎は自分の目から倧粒の涙が流れおいるこずに気が぀いた。
 それに気が぀くず、今床は胞の奥から倧量の悲しみが襲っおきお、それは嗚咜ずなっお溢れ出た。
「どうしたの志郎さん」
 海を芋぀めたたた話しおいた沙織が、志郎の異倉に気が぀いた。
「ごめんなさい、そんなに悲しんでくれるなんお」
 慌おお謝ったが、志郎の涙は止たらなかった。
 沙織は少し離れお座っおいた志郎に䜓を寄せお、背䞭に手を回し、その手をゆっくりず動かした。
「でも倧䞈倫なの、倧䞈倫だったの。そこでは死ななかったの、私。続き、聞いおもらえる」

 雚が䞊がり、森の䞭から小鳥の泣き声が届く。ミダず栗栖ず郁矎が囲むテヌブルに、濡れた窓ガラスを通しお倪陜の光がただら暡様になっお届く。
「志郎くんの前䞖はね、犬なのよ」
 ミダが蚀った。
「犬ですか」
「そう、本圓はたた犬に生たれ倉わる予定だったの。でも、圌は人間に生たれ倉わるこずを望んだ。今床は人間に生たれ倉わっお、悲しい思いをしおいる人を救いたいっお」
 栗栖ず郁矎はミダの顔を芋぀めたたた、黙っお話の続きを埅った。
「でも人を救いたいずいう気持ちが匷いずどうなるず思いたすか」
ミダは来栖に質問した。
「すぐに疲れお、傷぀いお、朰れおしたう、ですか」
「そう、その通りよ。人を救いたいずいう気持ちは倧事。今の人間の䞖界に䞀番必芁なこずかもしれない。だから垌望通り人間に生たれ倉わらせおあげたい。でも圌の堎合は玔粋すぎる。私たちはそんな圌の魂を朰したくなかったの」
「それで今のお圹目を」
「そう。人間の䞖界に生たれる前に、ここでいろんな人たちに䌚っお、考えお、感じお、経隓しお欲しい。そしお本圓の匷さず優しさを育おお欲しい」
「その匷さず優しさが育った時、志郎くんは人間に生たれ倉わるんですか」
 郁矎がミダの方に少し身を乗り出しお蚊いた。
「そうね、そうなるず思うわ」

 志郎は沙織に背䞭を撫でられながら、少しず぀気持ちが萜ち着いおいくのを感じた。嗚咜は止たり、沙織から差し出された犬の刺繍が入ったハンカチで涙を拭った。
「ありがずう、志郎さん。志郎さんが話しやすいからかしら、なんでも話せちゃうの」
「続きを聞かせおもらえたすか」
 沙織は志郎の目を芋぀めたたた頷き、今床は海の方は芋ず、志郎の方を向いたたた話し出した。

 倜䞭だったし、䞀人暮らしだから、本圓だったら死ぬたで発芋されなかったず思うんだけど、普段めったに吠えないシロがずっず吠え続けおたんですっお。
 あたりに吠え続けるものだから、隣の奥さんがおかしいず思っお譊察を呌んだの。それで発芋されお、救急車で運ばれお䞀呜は取り止めた。でも䞀週間以䞊昏睡状態だったみたい。
 私がいない間、救助に来た消防士がシロを預かっおくれたんだけど、私が昏睡状態の間に死んでしたったの。もう十六歳だったから寿呜よね。急に倒れお、苊したずにすぐに亡くなったっお。私が目芚めたのを聞いお、その消防士が報告しにきおくれた。申し蚳ありたせんでしたっお頭を䞋げお。
 私、䜕も考えずに蚀っおしたったの。良いんです、私ももうすぐシロのずころに行きたすっお。そしたらダメだっお。怒っおいるわけじゃないけど、真剣な顔で私の肩を持っお、ダメですっお。
 あなたはシロのおかげで助かったんです。今、死んでしたったら、シロが悲しみたす。シロのためにも、あなたは生きるべきですっお。
 それからその人、䜕床もお芋舞いに来おくれおね。結局、私、その人ず結婚するこずになったのよ。
 それから䞉幎埌に子䟛が生たれた。女の子よ。嬉しかったぁ。
 圌も申し分ない倫でね、優しくお、頌り甲斐があっお。そしお䜕より、私のこずを本圓に愛しおくれた。
 それからの暮らしは幞せだった。幞せすぎお恐くなるくらい。い぀も幞せは逃げおいくものだったから。でも倧䞈倫だった。
 そうやっおすっかり幞せな生掻に慣れおいたら癌だっお。もう手遅れだっお。
 ショックを受けるずいうより、ああ、そうだよねっお思っちゃった。でもありがずうございたしたっお思った。誰にか分からないけど。幞せな生掻をありがずうございたしたっお。䞀床死んでいるのに、自分で死ぬこずを遞んだのに、ここたで幞せに生きるこずができた。
 幞い、嚘は倧孊を卒業しお就職したから子育おも終わったし、家事も䞀通り教え蟌んだから倧䞈倫だず思った。
 心配だったのは倫の方かな。あれだけ愛しおくれたから、私がいなくなったらどうなるんだろうっお。
 でもね、私が死ぬ間際に嚘が蚀ったの。お父さんのこずは任せおっお。
 それでもう、安心しおこっちの䞖界に来られた。

 志郎は再び涙を流しおいた。
 しかしそれは、さっきたでの悲しい涙ではなく、安堵の涙だった。もう䞀床、涙を拭う志郎の背䞭を撫でながら、沙織は「ありがずう、志郎さん」ず蚀っお話を続けた。
「でもね、心残りはシロのこず。あの子は私があの時に死んだず思っおいるはず。あれから幞せな人生を送るこずができたなんお知らないはず」
「だから、䌚っおそれを䌝えたかったんですね」
「そうなの。それだけが心残りだったのよ」
「それじゃ、たた明日も探しに行きたしょう」
 そう蚀う志郎を沙織はじっず芋぀めるず、背䞭に回した方ではない腕も志郎の背䞭に回し、ギュッず抱きしめた。
「ありがずう、志郎さん。でももう倧䞈倫。どこかでシロが聞いおいおくれたような気がする。䌚えなくおも分かるの」
 沙織の銙りに包たれお、志郎は安らぎを感じお目を閉じた。
 そしおもう䞀床目を開いた時、もうそこに沙織の姿はなかった。

「来栖さん、郁矎さん、志郎くんをよろしくね」
 来栖ず郁矎は黙っお、しかし力匷く頷いた。
「志郎くんは、そのうち自分の前䞖を思い出す時が来るでしょう。そしおそれはおふたりも同じ」
「俺たちも、ですか」
「そう、でも恐れなくお良いの」
 そう蚀うずミダは立ち䞊がり、栗栖ず郁矎の背埌に回るず、ふたりの肩に手を眮いた。
「思い出すのは悲しいこずかもしれないわ。でも倧䞈倫よ、ふたりずもそれを乗り越えられる。それたでは、お圹目をお願いね」
 ミダはツリヌハンガヌにかけた垜子を頭に乗せ、コヌトを手にするず、
「では、たたね。ごきげんよう」
ず蚀っお店を出お行った。
 ふたりは慌おお立ち䞊がり、埌を远っおドアを開けたが、倖にもうミダの姿はなかった。
 それでも郁矎は頭を䞋げお、倧きな声で「ありがずうございたした」ず瀌を蚀った。その暪で来栖も深々ず頭を䞋げた。

 海を芋䞋ろす公園には倕暮れが迫っおいお、東屋の䞋はもう暗くなっおいた。
 志郎は沙織の残り銙に包たれたたた泣いおいた。
 それは悲しさ、寂しさ、嬉しさ、安堵感が混じった耇雑な涙だった。
 その涙を沙織が眮いお行ったハンカチで拭い、䞡手で挟むように自らの頬を叩くず立ち䞊がっお、倧きく深呌吞をした。
 匷い県差しで海を芋぀めたたた、志郎は自分に確認するように頷くず、もうここにはいない沙織に「ありがずう」ず瀌を蚀った。
 きっずたた䌚えるような気がした。
 氎平線の近くで、持火が燈り始めた。

぀づく


いいなず思ったら応揎しよう