不気味な弁当貯金
唐突な腹痛の饒舌として。
腹の調子は悪かった。
それは前日の食べ合わせか何か、冷たいものを飲みすぎたか何かで、腸の働きが悪くなっていたのかもしれない。
そこへスーパーの弁当を久しぶりに食べた。
派手な色のスパゲッティーを敷き広げた上にハンバーグや数時間前に揚げたしなしなの揚げ物いくつか、シュウマイもあった。それからピンクの漬物。
そうだ、以前はこういう弁当は米で嵩増ししていたのに、昨今ではその白米すら少なくなっている。ご飯に面積も厚みもないから子猫でも不満を訴えるような量だなぁ、と思ったりしたのだった。
とにかく、それらを見て、私の体が添加物や肉を受け付けるのか、と普段健康食ばかり食べているというか、むしろ健康すぎて不健康な偏食の自分を思いながら、踏みとどまるような気持もあった。一方では
「今回の人体実験的チャレンジには成功するだろう。この薬剤はモルモットなども経て研究の最終段階なのだから」
と気楽な気持ちで、弁当を食うだけのことを新薬の治験アルバイトのように捉えて食べ始めた。
今の自分と、昔に油や肉や添加物などをバンバンに平気で食べていた自分とがいて、食の選別は今の私が勝つにしても、食材への可食認識に関しては過去の私が大体において勝つという繰り返しをチャレンジに置き換えてしまうのだ。
賞味期限と消費期限みたいなもので、消費期限で問題がないということになる。
それは脳の神経が殆ど支配されていて、記憶や思考を刺激が飛び越えてくるのだということは否めない。
また本当のところでは、今のほぼ無添加みたいな生活がいいとも言い切れないだろう。それも消費を越境しているのかもしれない。
そうして、夕方にまたハンバーグを食べた。
これは手作りだけれども、一日にこんなにたくさん肉を食うのが体にいいわけがない。
というか、やはりそういうことが出来ない体になってしまっている。
ハンバーグを食う前から腹の調子はおかしいのに、それでも食べる脳や記憶が私を試しているというか、繰り返す過去の安定性を私に強いてくる。
それからずーっとなんだか腹がおかしい。
出るでもなく出ないでもない。腹の中を何かが泳いでいるかのような気配だけがある。トイレで粘るとかいう感じでもなく、かといって集中して他の事に当たるのも妨げられる。
三歳児の行方を気遣うような感覚で、私は自分の腹をなでたりするけれど、うんともすんとも言わず違和感だけが残る時間が続いた。
それで寝てしまおうと思って、夜中に起きた。
まあ、案の定、トイレに駆け込んだ。
階段を駆け下りる寸前、一瞬の逡巡の間に本を一冊摘まんで持って、他の本は横倒しになったけれど、とにかく夜中を駆けた。
腹が立つことに、トイレに入って腹は痛くても、立つだけで下しもしない。
「ああ、また始まった」
と思いながら、これから数時間の戦いだと覚悟しながら、本を開いた。
まだ生きている人だから別に誰とも言わないが、自作を解説している本で、その人は自分の作品の登場人物の名前を呼んでいた。私は何か奇妙なものに出くわした感じがあった。TPOを知らない人間の恥ずかしげもない感じを思った。
そう思ってみても、腹が痛くて、おそらく世界で最も難しい顔で本を読んでいる自分のTPO破りは、文句ばかり言うことよりもっと場にそぐわないという感じで、腹が痛くなかったら許されないような場違いさだった。
遥か彼方の宇宙人が私にたまたま監視カメラを向けたように、私が私を見ているから、許されている考えや言動が私にもあるという気がした。
とにかく、腹が痛いなら腹が痛いなりにそっちに集中しろよ、と思ったけれど、私は自分が踏ん張るときに足をグネらせるのだなとか、前かがみになったほうが楽らしいけれど、楽だと思いたい自分がそう思っているだけで本当にそうなっているのかもなとか、本は読むというよりも丁度よい重みだなとか、考えてもいた。
結局わかったのは、
「損をしない人間には不気味さがあるな」
ということだった。
「俺は今猛烈に損をしてるぜー!」
という痛みを反転させて叫ぶような気持になった。
今、損をしてないすべての人を恨みに思ったし、そういう人々の今現在の私に比較した損を思ったりした。
私は今日、計画的な損失貯金をしたという気がしたのだ。
それはわかっていたことをわかっていた通りにやったのかやらされたのかで、体への悪影響も、不気味でいないための行為であるらしいと思うことにしようということになった。
つまりは私は得をしたのだ、ということにした。
この得は宇宙人でも見抜けないようなもので、私だけのもので、相対的な得だから私自身の得ではないらしい。
こういうものを積み重ねることがなんだか私の文章にも似ていると思った。
夜中のこんな緊急事態にも本を摘まむ人間の本当のところでの余裕や気の緩みを生きていることを私は見たのだった。
私は結局また、弁当を食うだろうし、読まなくてもいい本を読むだろう。
それが腹痛という貯金であると思うことで誤魔化しているけれども、誤魔化し切れない時が来るとわかっていても、それをする。
というかむしろ、もう誤魔化せないところさえ急行や特急ばりに通り過ぎているのに、勝手に目的の駅の表札だけを架け替えている。
それが面白いうちはいいのだけれど、それも終わった時には……。
いや、終わらないようにするか終わっていることに気づかないようにするのが生き方なのか。
私の認識では、いやまぁ、すでに終わっているんだけれども、そういうことの浅はかさをひっくり返さなければならないのか。
弁当も本も食ったり読んだりし続けて、とっくに飽きているのに、それをすることを無理矢理意味にしてやっていくのも一つかなぁ。
その不気味さもあって、どっちの不気味さで生きるのか、選べると思っているのも不気味か。
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