「オケバトル!」後半戦 13. 楽器に秘められし物語とスピンオフの企て
13. 楽器に秘められし物語とスピンオフの企て
「一番の思い出は?」
チーム最終戦の負けが決まり、いよいよバトル館を去りゆくことになるAB合同チーム。舞台から降りて、お別れパーティーの前にいったん解散となるところで誰かが言い出し、皆がこれまでの幸せな思い出を辿ってみる。
「ん〜、やっぱり真夜中のワルツかな」
「あれはミラクルな体験でしたね」
「夜中に叩き起こされて、とんだ迷惑って思ったけど、おかげでワルツもどきを習得できた」
「有出さんの発想に感謝!」
「奇想天外な発想に」
「ソシアルダンスなんて、からっきしだったのに、ウインナワルツが体験できるなんて」
「実際に踊ってみたからこそ、ワルツの感覚、身をもって知ることできたし、演奏のノリも格段に進化しましたものね」
〈美しく青きドナウ〉の、ウイーンっ子にしか分からなそうな絶妙なワルツのリズム。チーム皆のノリが中々しっくりこなくて、仕切っていた有出絃人が深夜に思いつきAチーム全員に召集をかけ、実際に踊ることでワルツのリズムを体感させる目論みを強行。最初のうちはおっかなびっくりだった一同も、流石にリズム感が鍛えられた音楽家の集団だけあって、ステップを繰り返すうちにワルツの微妙なリズムのコツをつかみ、皆で天井の高いメインロビーに繰り出し、煌めくシャンデリアの下で幻想的な深夜の大舞踏会が繰り広げられた。
かくしてウイーンバトルはAチームが制覇するに至る。
「我々元Bチームだって、踊りこそはしませんでしたが、皆で歌って、声を合わせて気持ちをひとつに持ってったんですからね」
「朝の森の大合唱!」
「あの時は、転落騒動の怪我でヴァイオリン弾けなかったマエストロ浜野が振られたんですよね」
「アントーニア嬢を助けた勇敢ナイト!」
「本人に振る気になって頂きたく、皆でマエストロと呼び始めて、そのまま定着しちゃった」
「リハでは『田舎のダンス』とかマエストロに酷評されて、一同、凍りつきましたがね」
「でも、歌って正解」
「あれは楽しかった!」
「一番の思い出と言えましょう」
Bチームのリハーサルでは、マエストロ浜野が指揮台に立つ前に、どうも妙ちくりんな、ズン! チャッチャ♪のワルツがチーム全体に染みついてしまい、中々抜け出せず。声に出して歌って原曲の魅力に触れてみましょう! という浜野の提案で、歌詞カード片手に全員で敷地内の森に繰り出し、朝の爽やかな風に吹かれ、木漏れ日の舞い踊る中、〈青きドナウ〉の原語と訳詞の両方を声高らかに歌い上げ、気持ちをひとつにしたのだった。
残念ながら敵方の有出が最強過ぎて勝利は得られずとも、楽しきBチームとしての明るい絆が深まった。
「どちらのチームも、〈青きドナウ〉のウインナワルツ体験が、貴重な思い出なんですね」
そしたら今夜のお別れ会は、メインロビーで正装のダンスパーティーにしましょうよ! という流れに決まり、各々食事は自由に済ませ、21時に集うことに。楽器持参は自由にて。
「マエストロ浜野とか、怜美さんに白城教授、ベスト5の方も参加して下さいよ」
これまでのバトルで、チーム戦の勝利や敗北という喜怒哀楽こそ経験すれど、元々「脱落」という屈辱的な体験がなかった合同チームの面々は、個人的な恨みつらみの感情とも殆ど縁がなく、今回の生き残りメンバーとして選ばれし者をうらやんだり嫉妬するといった概念も、持ち合わせていなかった。多くの者が、
「全員脱落じゃなく、生き残った人がいるだけでも救われた気分だわ」
と、仲間の活躍に期待するほど単純素直。
「追加で救われた、ご活躍の方もですよ〜」
お別れ会は、生き残り8名の壮行会も兼ねて。
そろそろ舞台、片付いた頃かな?
浜野亨は自分のヴァイオリンの音が、ステージのソロであまりに煌びやかに鳴り響いた事態に衝撃を受けており、もう一度、1人ホールで音出しして確認したく、ヴァイオリン片手にいそいそと舞台に向かっていた。気になり過ぎて、お別れ会前の夕食どころではないのだ。
道すがら、皆が話していたバトル期間中の「一番の思い出」について思いを巡らせる。
真っ先に浮かんだのはアントーニアとの素敵なダンス。オランピアのアリアでの転落騒動時の、華麗なダンスに軽やかな歌声。きっと映像も残ってるはずの舞台での即興ダンスは、人生のお宝レベルの華やかな思い出だけど、休日にアントーニアと繰り出した白糸の滝でのダンスこそは、アクシデントの流れじゃなくて、本当に踊りたくて2人で踊ったんだものね。おじいさんの砂男が貸してくれた豪華なメルセデスでドライブもできたし、最高のデートだったなあ!
腕を痛めた時はマッサージなんかしてもらったし、砂男と2人がかりで色々おちょくられたりもしたもんだ。審査員の立場から断固拒絶モードになったりと、まさに泣き笑い劇場。だけど......。
アントーニア! 別れもしないでウイーンに帰っちゃうなんて、あんまりじゃないの。
そこで亨の胸は張り裂けそうになるも、
いやいや、砂男さんが言ってたっけ。「TV放送が始まれば、お前さんの活躍ぶりをアントーニアも楽しみに観るだろうよ」って。
そうだ。僕だって奇跡的にベスト5に食い込めたんだから、ガンバラないと!
恋するマエストロ浜野亨が気を取り直してバックステージの領域に踏み込むと、舞台から聴こえてくるは世にも素敵なヴァイオリン。
バッハのアリオーソ!
どうやら先客のようだ。とてつもなく美しい、尋常ならぬ音色のヴァイオリンは、間違いない。絃人さんだ。
バトルを終えて、きっと1人の落ち着いたひととき。遠慮すべきだろうが誘惑に勝てなかった。足音を極力立てぬよう細心の注意を払いながら、享はそうっとそうっと、舞台袖に近づいて行った。
舞台と袖を隔てる可動式の壁は取り除かれており、幸運なことに袖から直に舞台が見えた。薄暗い照明の中、有出絃人がバッハの名曲を静かに奏でている。カンタータとしても、チェンバロ協奏曲としても有名な曲。
この期に及んで、この曲、このヴァイオリン。全身の力が抜けていくような感覚に包まれ、当然の如く涙が流れてしまう。
なぜ、こんなに胸を打つのか。
ただ自然な音楽の流れの中、一切の邪念はなく、純粋にバッハと己だけの世界。それに、ストラディヴァリウスという特別なヴァイオリンと、特別なホールが、見事なまでに共鳴し合っている。これは、いったい?
まるで別世界。別次元の領域だ。
亨が息を殺して気配を消していたにもかかわらず、絃人がふと振り向いて、フレーズの終わり、頃合いの良いところで弾くのをやめてしまう。
「ああっ! やめないで!」
思わず悲鳴をあげ、ごめんなさい、すみません、邪魔したくなかったのに、と平謝り。
曲を弾き終えて、感謝を込めて、作曲家に丁重に音楽を返す。
とりわけ1人で奏する時は、いつもそんな心構えで取り組んでいることもあり、絃人にしても、曲を途中で止めるのは本意でなかったが、はっと深い夢から目覚め、現実世界に引き戻された気がして、つい弓を止めてしまったのだ。
あまりにも集中し過ぎていたせいで。
「ホフマン」という愛称の、この名器ストラディヴァリウスとバッハの世界に。
浜野亨も1人舞台で弾きたくて、ヴァイオリン持参でこの場に来たのだと、絃人も分かっていた。
「悪いね、じゃあ続きだけ。すぐ終わらせる」
「終わらせなくて、いいです! 永遠に弾いてて下さい」
享は飛び上がってから、ふと思いつき、自分のヴァイオリンをケースから取り出し、このチャンスを逃すものかと先輩に食い下がる。
「ピッツィカートの伴奏、入れてもいいですか? 正確でないかもですが」
舞台に譜面台は置いておらず、楽譜もない。でも、大丈夫。
絃人は嬉しそうにうなずき、曲の途中からごく自然な調子で再び静かに音楽に戻っていった。
バッハの世界そのものが崇高だから、奏者は心を真っさらにして向き合わなくてはならない。
一緒に弾けて光栄だなんて邪念は追いやり、ひたすら音楽だけに集中する。それでも、ホール全体に広がりゆく、非常に美しく、シンプルながら計り知れないほど深い世界に、心の底から圧倒される。邪念は排除と分かっていても、こうして共に奏でることの幸せを、心の底から感じてしまう。
軽いピッツィカートでずっと寄り添っていた亨が、原曲どおりラストのみ弓を当て、すうっと優しく音を添える。
幸せそうに微笑み合う2人であったが、まず絃人の方が驚いて、
「今のアルコ、何? あり得ないくらいきれいに共鳴して聴こえたんだけど」
「いや、絃人さんの音色こそ、別次元でしょう」
享は謙遜しつつ、我がヴァイオリンが劇的な変化を遂げたいきさつを説明した。
「ガン&ベルナルデルなんです。バイト代せっせと貯めて購入して、もちろん愛着はあるも、ごく普通の手頃なヴァイオリンだったのに、あのオランピアの転落騒動で魂柱、倒れちゃって。砂男マイスターが調整してくれたら、まるで別人みたいに華やかに歌うようになって」
——— あたしが歌ってる! ———
って、アントーニアも手を叩いて喜んでたな。亨は思い出しつつ、あれは砂男とアントーニアにからかわれたんだよな。それにしてもホントに、あり得ないくらい素晴らしく鳴り響くようになったんだものね。
「大感激したものの、舞台で、ソロで弾く機会なんてなかったから、まさかこれ程までに鳴るなんて思いもよらなくて、さっきのモーツァルトの本番で、いきなり気づいて。もうビックリで」
「渋いヴィオラと音質の差が出過ぎないよう、良く抑えてたよね」
「あ〜、絃人さんにはバレバレでしたか」
「でも不自然じゃなかったし、2人は良く揃ってましたよ。長岡氏、彼女がアマチュアってバラしちゃったけど」
「えっ!? あの会話で分かっちゃいました?」
享はびっくり仰天。アマチュアで、しかも番組側の回し者のスパイってことも、もしかしてバレてる?
「まあ、享くんが頑張ってサポートしてたの、気づいた人はあまりいないと思うけど。彼女、まあまあ見込みあるんじゃない?」
実はスパイで......とバラしたくて喉まで出かかるも、壁に耳あり障子に目あり。享は口が軽くなるのを何とか抑えるのだった。
「どうぞ、何か弾いてよ」
「いや、僕、邪魔したくはないんで」
「もう終わったから。これ、砂男さんのところからたまに借りて、メンテナンスがてら舞台で鳴らしてるだけなんだ」
「シューマンの時に弾かれたストラドですよね? 見事すぎる音ですよね!」
弾いてみる? と、絃人が差し出すが、享は飛び退いて丁重に遠慮する。
「あなただからこそ、有出絃人、その人だからこそ、そこまで素晴らしく鳴らすことができるんですよ。ヴァイオリンも、絃人さんにこそ、応えてるって感じで」
このヴァイオリンの秘密を教えてあげられたら......。絃人の胸がチクリと痛む。
今し方も、彼が袖に現れる前までは、弾きながら何処か幻想の世界にトリップしていたっけ。このストラディヴァリウスが、実は E.T.A.ホフマンが所有していた、愛称「ホフマン」であることは、砂男と森脇遊先輩が大切に隠し通してきたのだから、教えたくてもダメか。秘密は守らねば。少なくとも今の段階では、と、絃人はそれ以上は語らないことにする。
「君も楽器庫で好きなヴァイオリン、物色できると思うけど」
「僕、これで充分です」
言いながら、亨は自分のヴァイオリンをそっと抱える。
「砂男マイスターのおかげで、充分すぎるくらい」
「じゃあガンベル、自由に弾いて聴かせて」
絃人に促され、なら少しだけと、好きなフレーズを流してみる。慣らしで弾く時はいつも何となく、チャイコフスキーのバレエに出てくるヴァイオリンソロの一節が自然に出てくるのだが、今回も《白鳥の湖》黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥのアダージョ後半の、妖しくもロマンティックなソロを奏でてみる。
その場で聴いている絃人も、弾いている本人も、ホール中に鳴り響く魅惑の音色にすっかり魅了される。バレエの舞台、どころか舞台という造られた芸術空間の想像を超えて、バレエの描く物語の真っ只中に放り込まれたかのような錯覚に陥り、弾いている亨も、聴いている絃人もめまいを感じるほどにクラクラしてしまう。
これは砂男の魔法だろうか?
そんな風に感じながらも、今度は絃人がオーケストラの伴奏部分を、ごく控えめながらも非常に効果的に添えていく。
夢見心地でアダージョのおしまいへ。続く王子の軽やかなヴァリエーションへのつなぎに入るところで、享が弾き終える気配を見せたので、絃人が、続けて続けて! と、ジェスチャーで弾くよう促すが、亨は、お次は絃人さんどうぞとばかりに深々とお辞儀。ならばと、今度は絃人が心から楽しそうに生き生きと、王子の音楽を楽しむことに。ヴァイオリンの技巧が、いとも鮮やかに駆使された素敵なヴァリエーション。亨も後打ちのピッツィカートや、全合奏部分では共に奏でて大いに盛り上げる。
なんて楽しいんだろう! と、幸せそうに弾き終える2人。
「もったいないよね。アダージョから続く優雅なヴァイオリンのソロでこその、王子の踊りなのに」
バレエの舞台では曲は完全に区切られ、ヴァイオリンソロではなく、オーケストラの全合奏で王子のヴァリエーションが奏される。
「あー、実際のバレエの舞台、オケピで共演できたらなあ!」
絃人が憧れのため息をつく。王子のヴァリエーションも、当然の如くコンマスによる異例のソロで、という願望だ。
「フランスでは、バレエ・ピアニストされてらしたんですよね?」
「ピアノでは何度かバレエの舞台に乗ったこともあったけど、オケではまだ経験なくて」
「新生バトルオケでは、この先、そんなチャンスも巡ってくるかも知れませんね」
「まさしく。番組専属といえど、自ら企画運営もできたらいいんだけどな」
そうだ。バレエの舞台の芸術監督ができれば、原曲を活かした演出も夢でないかも知れないぞ。
ヴィジョンが一気に広がりゆき、既に心ここにあらずの有出絃人。じゃ、そろそろ行くねと、ヴァイオリンをケースにしまおうとするも、
「何か1曲だけデュエット、お願いします!」
享が慌てて引き留める。絃人はふっと微笑み、
「またバッハでも?」
「もちろん!」
「じゃあ〈ドッペル〉にしよう。第2楽章」
享の返事を聞かず、絃人が先に弾き出す。つまり自分はセカンドで、享にファーストを委ねる形で。
バッハ〈2つのヴァイオリンの為の協奏曲〉 の、セカンドヴァイオリンから静かに語り始める高貴な緩徐楽章。浜野亨のこと、この曲くらい、ファーストもセカンドも当然の如く暗譜していると見込んでの流れである。
そして浜野もしっかり応えてゆく。
「ふふふ、何て素晴らしいんだろうね!」
そんな2人を密かに観察、撮影している人物が。
「固定カメラとはいえ、色んなアングルでズームもバッチリ撮れてるし」
舞台が正面に見える、客席上方の音響調光室に君臨するディレクターの鬼アザミこと、藤野アサミだ。特殊ガラスにて、舞台からは室内の様子は見えず、元々暗めの灯りが外に漏れることもなく、スタッフの存在すら分からない仕組みとなっている。
「しかし浜野も上手いことやったねえ」
傍にいるアシスタント・ディレクター青年の疑問符を見越して、アサミは続けた。
「あの華麗な王子のヴァリエーション、上手いこと有出に弾かせるようもってったんだからさ」
「あれは確信的行為だったと」
「まあ、狙ったというより、潜在意識レベルの仕掛けかもね。ここまで弾いときゃ、続き、弾きたくなるでしょと」
「おかげで王子のヴァイオリン版、凄い演奏が撮れましたね」
「それにしても、実にサマになる2人じゃないの。まあ、別所と有出の組合せもカッコ良すぎでイカしてたけど、こちらは何つうか......」
「別所有出は、良きライバルで良き仲間。浜野有出は、禁断の愛というか......、恋人っぽい?」
AD青年による爆弾発言。それまではニマニマしていたアサミであったが、カッと鬼の形相になり、一喝。
「健全な音楽番組なんだからね!」
それをあなたが言うんですか? と言う言葉を慎み、青年は言い訳する。
「いや、禁断っていうのは......、何か浜野亨さんって、好きな女性が居ながらにして、絃人さんみたいな先輩にもすっごく憧れてるって意味で。みえみえというか。敗者が復活してきた昨日の朝も、絃人氏に涙ながらに抱きついてったり」
「浜野はアントーニア嬢、ひと筋でしょ」
「まあ、そうみたいですけど、今は彼女もウイーンですしね」
「ふっ。海外研修ではウイーンで再会、期待できるかね」
「浜野さんが行き先にウイーンを選べば、の話ですね」
「選んでもらわんと! 若者の恋は実ってもらわんと」
「あれ? 健全な音楽番組じゃ、なかったですか?」
「健全だろうが!」
「でも、特定バトラーのえこひいきはご法度のゲスト審査員にして、ゲストアーティストでもあって、楽器マイスターの孫娘にして、まだ10代のフロイラインと、対するは期待の新進バトラーっていったら、やはりこちらも禁断の恋では?」
「麗しのアントーニア嬢と、絶対的存在で神レベルの先輩、有出絃人、果たしてどっちを選ぶかね? 浜野マエストロよ」
「命より大切なヴァイオリン投げ出してアントーニアさんを救おうと舞台から転落しちゃうほどだから、やっぱりアントーニアさんかな」
「そうだったね。それにしてもマイスターじいさん、魂柱を立て直しただけで、よくもあんな見事なヴァイオリンに仕立て上げたもんだわ」
「この先は課題のヒントとか必要なくなるから、あの砂男ならではの変幻自在の扮装も、もう見れないんですかね」
「さあどうだか。何かしらバトラーへのふざけたおちょくりは、今後も仕掛けてもらわんとね」
「真面目な砂男さんって、あんまり考えられないですしね」
「ああでも、番組のラストには正体明かされるんだよね。その時こそは真面目バージョンで登場しといてもらわんと」
「正体、あるんですか!?」
「きみは知らんでいい」
「教えて下さいよ」
「あ〜、そろそろ曲、終わる」
舞台では2人のヴァイオリニストが、バッハの深い音楽に、そして自分と相手、それぞれのヴァイオリンの圧倒的な音色や響きに感嘆するばかりであった。
なんて幸せな体験なんだろう! と、しばし余韻に酔いしれる。
「魂柱、立て直しただけで、こんなに豊かな響きが得られるなんて」
浜野亨が改めて感激している。
「あれから2週間も経つけど、オケでトゥッティで弾いてる時も、部屋で自主練してる時も、これ程までとは気づかなかくて」
「こうして舞台に立つと、奏者だけでなく、楽器も気合が入るからね」
まるで楽器が生きているように話す絃人。
「マイスター砂男が只者じゃないだけでなく、そのヴァイオリン自体が潜在的にとんでもない名器で、それをマイスターが引き出したのかも」
「この子自体も、特別と?」
「ガンベルって、明るくて華やかなイタリア系ヴァイオリンと違って、どちらかというと、深くて渋めの音質が特徴なのでしょ? いぶし銀っぽい」
「パリの国立音楽院専属の楽器製作者による、19世紀末の作品らしいです。鑑定書は紛失したものの、中のラベルはまだ見えてて」
亨が内部を確認する様子に、絃人はちょっとイタズラ心で空想を巡らせる。
「砂男が魔術師っていうだけでなく、そのコンセル所属の製作者とか、最初の持ち主とか、何かすご腕の特別なストーリーがあったりして。コンセルの有能な学生物語とか。ヴァイオリンは全てを知っていながら、運命的な導きで異国の地に流れてきて沈黙を守っていたけど、この期に及んで、砂男が本来の能力を導き出した、とか」
「わー、何か気になってきた」
「ヴァイオリンのルーツを巡る旅なんて、素敵じゃない......」
ふとヨーロッパに想いを馳せてから、絃人がパッと顔を輝かせる。
「そうだ! 個人戦の最終候補は、行き先を自由に選べる海外研修のご褒美があるんだよ? パリにして、実際に音楽院を訪ねて調べてみるとか」
亨は慌てて謙遜する。
「自分が最終候補なんて夢のまた夢だし、第一、フランス語、話せない」
「フォーレやフランク、サン=サーンスとかに取り組むなら、フランス語も少しはたしなんでおくといいよ」
「あーでも、行き先、やっぱりウイーンかなあ」
夢のまた夢の謙遜は何処へやら?
そーだよね。アントーニアはウイーンだものね。と、絃人もそれ以上は突っ込まないことにする。
「ガンベルのルーツ探求! 浜野亨によるスピンオフ」
音響調光室の窓ガラスの中から一部始終を観察していた鬼アザミが、酔いしれて言い放った。
「いいねえ! 有出の言うように、何やら哀しいロマンスが秘められてるとか、命に関わる血みどろの惨劇の場に実は居合わせてたとか。タイトルは、『ヴァイオリンは全てを見ていた!』それか、『全てを知っているヴァイオリン』? もしくは『ヴァイオリンに秘められた真実の物語』とか」
「それって、ねつ造じゃないですか」
AD青年が呆れ返る。
「構うもんか。普通のヴァイオリンにあんな音、出せるわけないんだから。特別ってことで」
「浜野さんの秘めた力とか特別な感情か、それか砂男マイスターの腕のたまものでは?」
「浜野亨の秘めたる潜在能力に、あのじいさんやアントーニアが魔法をかけたって? それもいいね。そこに有出も加担させるか。影響力絶大の先輩として」
「有出さんだって、ウイーンの留学生活を経てドイツの地方オケ、フランスではバレエピアニストと、あの若さで既に波乱の音楽人生ですもんね」
「番組の終盤でバトラーがベスト10に絞られたら、各々の地元や故郷、自宅まで押しかけての個人取材もあるんだがね」
一気にアイディアが押し寄せ、鬼アザミは思考の王宮に入り込んでいく。
「その辺りを軽めにしといて、番組終了後、ベスト3か5、それぞれのスピンオフ、音楽探求の旅シリーズで作るかな」
「じゃあ浜野亨さんには、最後の最後まで残ってもらわないと」
「んんん、いやいや。落ちこぼれた人気者をスピンオフで拾いあげるって企画もアリよ。誰か面白そうな強烈キャラ、いないかな。ふふふ、ふはははは」
あ〜、モリアーティ教授が出現したか。たとえユニークなアイディアであろうとも、どっか陰謀めいてるんだよね。
AD青年は、ぶるっと寒気を覚え、ディレクター鬼アザミの「聖なる思考の王宮」にお邪魔してはなるまいと、その後は口を閉ざしておくことにする。
次回 14.「名もなき者たちのワルツ」(8/15土曜日 深夜0時公開)に続く.....
※ 以下、コメント裏話、参考演奏&参考写真です
♪ ♪ ♪ 参考演奏 ♪ ♪ ♪
白鳥の湖 Act Ⅰ Pas de deux より
3:23〜ヴァイオリンのソロ版(原曲)による王子のヴァリエーション
⭐︎ ⭐︎ 参考写真(夫所有のガンベル) ⭐︎ ⭐︎


