見出し画像

30歳で夢を諦めた私を救ったのは、地元の歴史だった

30歳で、人生をかけてきた社交ダンスを辞めた。

休日に何をしていいか分からなくなった。

そんな私を救ったのは、意外にも地元の歴史だった。

社交ダンスが人生だった

大学で社交ダンスに出会った。

お姫様みたいな華やかなドレスで踊る先輩たちは、キラキラ輝いて見えた。

体験入部に行くと先輩たちは優しく、そのまま入部した。

ところが、思った以上に体育会系だった。

走り込みもある。筋トレもある。運動音痴だった私がよく続いたものだと思う。

それでも先輩たちは見捨てずに教えてくれた。

体力的につらい時でも、

「笑顔が大事!」

と半ば強制的に笑わせられる。

それが不思議と楽しかった。

私はその世界に夢中になった。

大学4年生、学連の大会会場にて。

大学4年間を社交ダンスに注ぎ込み、就職活動も「ダンスを続けられること」を優先していた。

新卒で入った会社は、今振り返ればブラック企業だったと思う。

半年で正社員を辞め、アルバイトに雇用変更した。

とにかくダンスの時間を確保したかった。

卒業後も競技を続けた。

途中、ダンス教室で働いたこともある。

けれど収入面が厳しく、1年ほどで退職した。

その後はコールセンターで生活費を稼ぎながら、ダンス教室に勤める男性と組み、セミプロとして活動した。

平日の朝や夜は練習。

休日はレッスンや大会、パーティー。

気づけば12年。

私の人生は社交ダンス中心に回っていた。

限界だった

でも、30歳になる頃には限界が来ていた。

成績が伸び悩んでいたこともある。

けれど、本当に苦しかったのはパートナーとの人間関係だった。

温度差くらいならまだいい。

二股。

モラハラ。

メンヘラ気質。

いろいろなタイプの人と出会った。

同棲までした相手は、今思えば「繊細ヤクザ」という言葉がぴったりだったかもしれない。

最初は明るく、一緒にいて楽しい人だった。

だけど長く一緒にいるうちに変わっていった。

私が

「もっとこうしたい」

「こんなことに挑戦したい」

と言うたびに、自分を否定されたように受け取り、私を悪者扱いするようになった。

気づけば私自身も鬱っぽくなっていた。

そして逃げた。

当時は東京にいたけれど、仕事も辞め、荷物をまとめて実家へ帰った。

社交ダンスを辞めた。

12年間続けた人生が終わった。

自由になった。でも空っぽだった

辞めたあと、私は自由になった。

でも同時に、何をしたらいいのか分からなくなった。

休日になると困った。

これまでなら練習やレッスン、競技会があった。

でももうない。

ぽっかり空いた時間だけがあった。

そんな時、妹と一緒に行った熊本城で、おもてなし武将隊を見た。

演舞が格好いい。

歴史も面白く教えてくれる。話術に引き込まれた。

ぽっかり空いた穴に、すっぽりとはまった。

福岡から県外まで毎週のように通った。

写真を撮った。

動画を撮った。

SNSに投稿した。

喜んでもらえた。

私も嬉しかった。

でも、ある時ふと思った。

「これは私が評価されているわけじゃない」

武将の人が人気だから見てもらえる。

好きだった武将の一人が卒業した。

その後の行方は分からなくなった。

その時、胸の奥に小さな不安が生まれた。

「この人がいなくなったら、私には何が残るんだろう」

それでも私は、しばらく推しを追い続けていた。

仙人にはなれなかった

2020年。

コロナ禍で武将隊を見に行くことが難しくなった。

また、打ち込めるもののない日々が始まった。

私は地元の神社仏閣や史跡をふらふら巡るようになった。

朝から夕方まで神社を巡る日もあった。

山の空気の匂いを感じながら歩いていると、俗世間から少しずつ離れていくような感覚になった。

「仙人ってこんな感じなのかな」

そんなことを思った。

霞を食べて生きる人生も悪くない気がした。

でも結局、私はそういう人間ではなかった。

ある程度の欲がある。

何かを作りたい。

何かを残したい。

俗世間の中で生きたい。

そう思っていた。

地元に眠っていた物語

転機は、地元の旧伊藤伝衛門邸だった。

2021年5月。

端午の節句の人形展を見に行った時だった。

そこに神功皇后の人形が飾られていた。

神功皇后と武内宿禰の人形。

説明文を読んで驚いた。

私の住む飯塚市の地名由来の一説として、神功皇后の伝承が紹介されていたのだ。

朝鮮遠征から近畿へ帰る神功皇后と地元の人々が別れを惜しみ、

「またいつか」

と言って別れた。

その「いつか」が「いいづか」になったという。

しかも、その舞台は私が子どもの頃から初詣や七五三で通っていた曩祖八幡宮だった。

そんな話があったなんて知らなかった。

私にとって、曩祖八幡宮は特別な神社ではなかった。

地元の人なら誰もが行く曩祖八幡宮。

初詣に行く場所。

七五三で写真を撮る場所。

鳩と戯れる場所。

子どもの頃から当たり前に存在していた場所だった。

だからこそ衝撃だった。

こんなに身近な場所に、こんな物語があったなんて。

私は何十年も気づかずに生きてきたのだ。

人生の続きを見つけた

帰宅してすぐに調べ始めた。

ネットを読んだ。

『神功皇后伝承を歩く』という本を買った。

著者のブログも読んだ。

バスハイクにも参加した。

調べれば調べるほど新しい発見があった。

神功皇后という人物。

地元の伝承。

日本神話。

歴史。

こんなに面白い世界が、ずっと足元にあったのに私は知らなかった。

そして神社巡りの記事を書き始めた。

気づけば記事は1000本以上になった。

誰かを応援する側ではなく、自分で発信する側になっていた。

子どもの頃、私は本が好きだった。

小説家になりたかった。

高校は文系部。

大学は文学部国文学科。

思い返せば、「書くこと」はずっと好きだった。

社交ダンスも本気だった。

武将隊も本気だった。

でも遠回りした結果、私はまた「書くこと」に戻ってきたのかもしれない。

夢中になれるものは、意外と近くにある

もし今、夢中になれるものがなくて悩んでいる人がいたら伝えたい。

無理に探さなくてもいい。

私も探して見つけたわけではない。

たまたま立ち寄った場所で出会った。

地元の歴史だった。

神功皇后だった。

人生を変える出会いは、意外と遠くにはない。

私の場合、それは海外でも有名観光地でもなく、子どもの頃から知っていた神社だった。

もし今、夢中になれるものが見つからないなら、少しだけ外へ出てみてほしい。

何度も通った場所に立ち寄ってみてほしい。

そこに、まだ気づいていない物語が眠っているかもしれない。

少なくとも私は、そこで人生の続きを見つけた。

そして今は、その面白さを少しでも多くの人に伝えたいと思っている。

私は時々、飯塚観光協会のバスツアーでガイドを担当している。

神功皇后伝承をはじめ、地元に残る歴史や物語をご案内することもある。

本やネットで調べるのも楽しいけれど、実際にその土地を歩き、空気を感じながら聞く歴史にはまた違った面白さがある。

もしこの記事を読んで「ちょっと面白そうだな」と思ったら、ぜひ一度、現地を歩いてみてほしい。

もしかしたら、私が神功皇后と出会ったように、あなたにとっての新しい物語が見つかるかもしれない。

飯塚観光協会のツアー情報はこちらです。

飯塚観光協会バスツアー

いいなと思ったら応援しよう!