60代になって、私は私を迎えに行く。――ずっと大人だった私が、ようやく自分の人生を生き始めた
子どもの頃、私はあまり甘えなかった。
甘えられなかった、
というほうが正しいのかもしれない。
「これ、やって」
「手伝って」
「寂しい」
そんな言葉を、あまり口にした記憶がない。
いつの間にか、
「自分のことは自分でやる」
「我慢すればいい」
「仕方ない」
そんな言葉が、自分の中に根を張っていた。
子どもなのに、少し大人びていた。
親よりも大人のような顔をして、
物事を受け止めていたような気がする。
今思えば、
人生を達観しすぎていたのかもしれない。
自分より、誰かを先にしてきた
大人になってからも、たぶん同じだった。
家族のこと。
人間関係のこと。
誰かが困っていれば、自分が何とかしようとする。
誰かが嫌な思いをしないように、
自分が我慢する。
「私はどうしたい?」
よりも、
「相手はどう思うだろう?」
が先に出てくる。
それが長い間、当たり前だった。
だから、自分の人生なのに、
自分の気持ちを後ろに置いたまま歩いている
ようなところがあったのだと思う。
変わるのが遅かったのかな
私は、なかなか変われなかった。
「もっと自分らしく生きたい」
そう思っても、
どこかで人の目を気にしてしまう。
やりたいことがあっても、
「こんな私がやっていいのかな」
と考える。
誰かに頼ることにも、お金をいただくことにも
「私なんかが……」
という気持ちがついてくる。
だから、カウンセリングを始めても、
「私が人に何か言えるんだろうか」
「もっと知識をつけなきゃいけないんじゃないか」
そんなふうに、
自分で自分にブレーキをかけていた。
今思えば、
「ちゃんとした人になってから、
自分の人生を始めよう」
としていたのかもしれない。
でも、そんな日はいつまで経っても来ない。
60代になって、少しずつ変わってきた
ところが最近、少し違ってきた。
「今日は疲れたから、休もう」
と思えるようになった。
「これはできない」
と言えるようになった。
「やってみたい」
と思ったことを、
小さくてもやってみようと思えるようになった
そして何より、
「私はどうしたい?」
と、自分に問いかけることが増えた。
誰かにどう思われるかより、
まず自分はどう感じているのか。
何をしたいのか。
何をしたくないのか。
少しずつ、
そこを大切にできるようになってきた。
相手の人生まで、背負わなくていい
最近、心に残っていることがある。
自分が言ったこと。
自分がしたこと。
その先をどう受け取るかは、
相手の自由だということ。
私は書きたいから、エッセイを書く。
読んでくれる人は読んでくれたらいい。
共感してくれたら嬉しい。
コメントをもらえたら、もちろん嬉しい。
でも、興味がなければスルーしてもいい。
書くのも自由。
読むのも自由。
そう思えるようになったら、
不思議なくらい楽になった。
以前なら、
「どうして読んでくれないんだろう」
「もっと読んでもらうには、
どうしたらいいんだろう」
と、
相手の反応まで自分の責任のように考えていた
今は、
「私は書いた。あとは、あなたの自由😊」
と思える。
それでいい。
「お金が欲しい」も、私の本音
以前は、
お金のことを考える自分にも、
どこか罪悪感があった。
「こんな私が、
人からお金をいただいていいの?」
そう思っていた。
でも今は、
「私にできることを必要としてくれる人がいて
その対価をいただく」
それでいいじゃないか
と思えるようになってきた。
もちろん、
「ファンがついて、
潤っていけたら最高なのにな~😂」
なんてことも、時に思う。
それだって、私の本音だから。
人の役に立ちたい。
誰かの心が少し軽くなるようなことがしたい。
そして、
できればちゃんとお金にもなってほしい。
その全部を望んだって、いい。
もしかしたら、私は私を迎えに行っている
最近、
「自分に戻ってきている」
という感覚がある。
でも、それだけではない。
「新しい自分に再生している」
そんな感じもする。
昔の自分を捨てるわけではない。
むしろ、ずっと頑張ってきた昔の自分を、
今の私が迎えに行っているような気がする。
甘えることができなかった私。
我慢することを覚えた私。
「仕方ない」と自分に言い聞かせてきた私。
「私が頑張ればいい」と思ってきた私。
そんな小さな私に、
「もう、そんなに頑張らなくていいよ」
と伝えたい。
「嫌なことは、嫌って言っていいよ」
「助けてって言っていいよ」
「やりたいことをやっていいよ」
「楽しんでいいよ」
「あなたの人生なんだから、
あなたが決めていいよ」
と。
そして今度は、置いていかない。
今の私が、手をつないで一緒に歩いていく。
私の人生は、ここから
私は、
変わるのが遅かったのではないのかもしれない。
長い間、
自分より誰かを優先して生きてきた私が、
ようやく
自分のほうを向き始めただけなのかもしれない
子どもの頃から頑張ってきた私も。
我慢してきた私も。
人の気持ちを考えすぎてしまった私も。
自信が持てなかった私も。
全部、私。
だから、過去の私を置いていくのではなく、
全部連れて、これからを歩いていこうと思う。
もしあなたの中にも、
ずっと置いてきた小さな自分がいるのなら。
いつか、
迎えに行ってあげてもいいのかもしれない。
何歳からだって、遅くない。
私も、まだその途中にいる。
でも今は、それが少し楽しみなのだ。
私の人生は、ここから。
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