性欲を生きる力に変える技術 ― 空海が密教で説いた「性欲」の錬金術
現代の性欲
現代を生きる私たちは、しばしば性欲を汚れたもの,隠すべきものとして扱っています。若い人たちだと,衝動が湧き上がるたびに自己嫌悪に陥ったり、コントロールできない自分を責めたりしているかもしれませんね。
しかし、1200年前、空海は全く異なる視点を持っていました。空海にとって、性欲は消し去るべき敵ではありませんでした。彼にとって、性欲は人がこの世で生きていくための最も強烈な生命エネルギーそのものだったようです。
煩悩即菩提という視点の転換
密教には煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)という教えがあります。これは煩悩(迷いや欲望)そのものが、実は悟りへと繋がる燃料であるという考え方です。
空海は、性欲というマグマのような熱量を、ただ自分の快楽のためだけに消費することをもったいないと思ったかもしれませんね。生物としてそのまま消費すれば、それは単なる本能の循環に過ぎない。しかし、人間にはその熱量を何か別のものへと変換(コンバージョン)する能力があります。
空海なら、どう向き合うか?
空海が高野山に女人禁制を敷いたのは、性欲を憎んだからではありません。むしろ、そのエネルギーがあまりに強大で、制御不能な猛火であることを誰よりも理解していたからでしょう。修行という極限の環境でそれを使いこなすために、あえて物理的な距離を置くという戦略をとったのでしょう。
空海が私たちに遺したのは、欲を否定せよということではなく,自分の中に湧き上がるその熱さを、今日は何に変えるのかという問いかけだと思います。
衝動を傑作へ書き換える
使命とは、探すものではなく、自分の中に湧き上がる衝動を一つずつ火にくべ、燃やし続けた先に残る生き方そのものだと思います。
性欲を感じたとき、すぐに消費するのではなく、それを深呼吸とともに観察してみる。
ああ、今自分の中に、すごい生命力が湧き上がっているなと客観視する。
そして、その余剰エネルギーを、誰かのための言葉、心を震わせる映像、自分を鍛える鍛錬、あるいは解決したい問い――そういった創造の場へ注ぎ込んでみる。それは、汚れた欲を、世界を照らすための光に変える錬金術といえるでしょう。
迷いを焼き尽くす、不動のビート
不動明王の真言に「ノウマク・サンマンダ・バサラダン・カン」というものがあります。
この真言をもとに映像をつくってみました。
映像をみながら,「ノウマク・サンマンダ・バサラダン・カン」と唱えると不思議に心が落ち着くので不思議です。
みなさんは,自分の中の衝動とどうつきあっていますか。コメント欄で教えていただけたらうれしいです。
[ サイトマップを見る ]
