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華麗さの奥にある覚悟 オードリー・ヘプバーン主演『華麗なる相続人』

インターネットを眺めていると、さまざまな映画評に出会います。

ある時、こんな言葉が目に留まりました。「オードリー・ヘプバーンが老醜を曝し、ひたすら哀れを誘う駄作サスペンス」

もちろん感想は人それぞれです。同じ映画でも、受け取り方が違うのは当然でしょう。それでも、長年オードリー・ヘプバーンを愛してきた私には、その言葉がどうしても引っかかりました。

今日は、その作品『華麗なる相続人』(1979年)について書いてみたいと思います。

《スタッフ》
◎監督:テレンス・ヤング
◎製作:デヴィッド・V・ピッカー/シドニー・ベッカーマン
◎原作:シドニィ・シェルダン
◎脚本:レアード・コーニング
◎撮影:フレディ・A・ヤング
◎音楽:エンニオ・モリコーネ
《キャスト》
◎オードリー・ヘプバーン
◎ベン・ギャザラ
◎ジェームズ・メイソン
◎オマー・シャリフ
◎イレーネ・パパス
◎モーリス・ロネ
◎ロミー・シュナイダー

《ストーリー》
父サム・ロフがスイスの山中で転落死したという知らせを受け、ニューヨークから呼び戻されたエリザベス(オードリー・ヘプバーン)。彼女を待っていたのは、巨大製薬会社の経営と莫大な負債、そして親族たちの猜疑の視線でした。

やがて父の死は事故ではなく殺人だったことが判明します。誰もが金を必要としている。誰もが何かを隠している。

信頼できるはずの血族が、次々と容疑者へ変わっていくのです。さらにエリザベス自身の命も狙われ始めます。

父の死の真相、新薬を巡る陰謀、連続殺人事件。複雑に絡み合った謎の中で、彼女は孤独な戦いを強いられていくのです。

私は中学生の頃からシドニィ・シェルダンの小説が好きでした。『真夜中の向う側』や、『血族』(邦題『華麗なる血統』)を夢中になって読んだ記憶があります。そんな私にとって、この映画化作品はずっと気になる一本でした。

シェルダン作品の魅力は、とにかく物語を前へ前へと進める推進力にあります。登場人物は多く、疑惑は次々と生まれ、読者は休む暇もなく物語へ引きずり込まれる。まるでジェットコースターのような面白さです。

『華麗なる血統』もまた、その典型でした。誰もが何かを隠し、誰もが金を必要としている中で、血で結ばれたはずの一族が疑念によって少しずつ分断されていき、「この人かもしれない、いや、あの人かもしれない」と疑い続ける時間そのものが、この小説の大きな面白さになっているのです。

実は、エリザベス役には当初、ジャクリーン・ビセットやキャンディス・バーゲン、ダイアン・キートンらの名前が挙がっていたそうです。もしそのまま映画化されていたなら、原作に近い若いヒロインが陰謀の渦を駆け抜けるサスペンスになっていたかもしれません。

しかし、最終的に選ばれたのはオードリー・ヘプバーンでした。その瞬間、この映画は別の方向へ舵を切ったのだと思います。

オードリー自身、当初は出演を固辞していたそうです。「もう映画に出る気はない」そう語っていた彼女を、監督テレンス・ヤングは二週間かけて説得したといいます。

当時のオードリーにとって何より大切だったのは、子どもたちとの時間でした。撮影の大半がローマで行われること、家庭生活への影響が少ないことを確認したうえで、ようやく出演を決意したのです。

原作者シドニィ・シェルダンは、彼女の出演決定に大喜びし、必要なら原作の設定年齢を書き換えるとまで語ったそうです。実際、原作の若いヒロインは映画では年齢が引き上げられています。

正直に言えば、この映画には問題点もあります。原作の複雑な人間関係や疑惑の連鎖を、116分という上映時間の中へ詰め込んだため、物語はどうしても急ぎ足になっています。

事件は次々と起こるのですが、それらを結ぶ線が十分に描かれないため、物語全体がやや駆け足に感じられるのです。豪華なキャストが揃いながら、一人ひとりの人物像が深まる前に次の場面へ移ってしまう印象もあります。

シェルダン作品特有の生臭さや、疑念がじわじわ膨らんでいく感覚は、原作ほどには再現できていないかもしれません。そういう意味では、この映画に物足りなさを感じる人がいるのも理解できます。

『華麗なる相続人』に批判的な人の中には、オードリー演じるヒロインの年齢設定を問題にする声もあります。

確かに原作と比べれば無理がある部分はあります。脚本にも粗さはあります。原作の面白さを、そのまま映画へ移し替えることに成功したとは言えないでしょう。

それでも私は、この作品のオードリーを否定する気にはなれません。20代の頃のような若さは失われていても、時間を重ねた人だけが持つ静けさや重み、そして揺るぎない品格が彼女にはあり、成長していく原作のエリザベスとは異なり、映画のエリザベスは最初から一人の完成された女性としてスクリーンに立っているのです。

だから映画は原作が持っていた成長物語の興奮を失ったのかもしれません。
けれど、その代わりに別のものを得ています。それは、オードリー・ヘプバーンという存在そのものです。

『華麗なる相続人』は、オードリー・ヘプバーンの気品によって支えられている映画だと思います。年齢を重ねたからこその落ち着きや、傷を知った人間だけが持つ静けさ、揺るがないエレガンスに私は強く心を動かされますし、伝説を築いた女優が、年齢との戦い、ファンの期待、そして過去の自分との比較を引き受けながら、それでもなおスクリーンに立つ。その覚悟と気迫を、私はこの作品の中に見てしまうのです。

『華麗なる相続人』は、原作『華麗なる血統』の面白さを完全には掬いきれていません。けれどオードリー・ヘプバーンは、年齢を重ねたからこそ纏うことのできる華麗さで、最後まで作品を支えているのです。

だから私は、この映画を失敗作だと簡単に切り捨てることはできません。
この作品が残したものは、謎解きの快感ではなく、ひとりの女優の気品と覚悟が放つ静かな光なのだと思うからです。

1982年にABCテレビで放映された141分版では、劇場版で削られた場面が復活していたといいます。もしそのバージョンを観ることができたなら、この作品への評価も少し変わるかもしれません。

いつか、その幻の141分版を観てみたい。
そう思わずにはいられないのです。

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詩音悠(しおね ゆう) よろしければ応援お願いします!

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