「嫁」という言葉から、自分の価値観に気づいた話
いいとか悪いとかではなく、私が感じた「嫁」という表現について、少し書かせてください。使っている人を否定するわけではないので、その点だけご了承ください。
先日、職場で海外駐在経験のある方と話していたときのこと。その方が配偶者のことを「うちの嫁は・・」と話していて、ふと違和感を覚えました。
海外で働いていた経験がある人でも、「嫁」と言うんだな、と。
もちろん、それ自体が悪いという話ではありませんし、日本では一般的な言い方であることも理解しています。ただ、自分の中で何か引っかかるものがあって、それについて少し考えてみました。
「嫁」という言葉のもともとの意味
「嫁」という言葉は、本来は“家に入ってきた女性”を指す言葉です。男性の家からすると、家に迎える女性という意味になります。
つまり、夫本人ではなく、夫の家族側から見た視点の言葉です。
それが今では、自分の配偶者を指すカジュアルな言い方として広く使われています。言葉の意味が時代とともに変わること自体は、珍しいことではありません。
ただ、この言葉にはどこか“家に属する存在”というニュアンスが、うっすらと残っているように感じます。私が感じた違和感は、そこにあるのかもしれません。
なぜ違和感を持ったのか
自分でも少し意外だったのは、「海外経験があるのに」という点に反応したことでした。
英語では、配偶者はシンプルに “wife” や “partner” と表現されます。そこには、家制度のような背景や上下関係のニュアンスは、ほとんど含まれていません。
一方で、日本語に戻ると「嫁」という言葉がカジュアルに使われる。このギャップに、自分は引っかかったのだと思います。
言葉は、関係性をつくる
自分自身も、以前は配偶者のことを「うちの旦那が・・」と表現していました。
けれど、「旦那」という言葉にも主従の関係性のニュアンスがあると感じたタイミングで(きっかけははっきり覚えていないのですが)、周囲で「夫」と表現している人を見て、自分も「夫」という言い方に変えました。
そのときはあまり意識していなかったのですが、今回あらためて考えてみて、自分は関係性の捉え方に合わせて言葉を変えていたのだと気づきました。
ほんの小さな違いのようでいて、言葉を変えると、自分の中での関係性の捉え方も少し変わる気がします。
言葉は単なるラベルではなく、関係性の前提をつくるものなのだと感じました。
「正しさ」の話ではない
ここで強調しておきたいのは、「嫁」という言葉を使うことが間違っている、という話ではないということです。
実際には多くの人がカジュアルな意味で使っている言葉ですし、そこに強い意図があるわけでもありません。
ただ、言葉には歴史があり、ニュアンスがあり、それをどう受け取るかは人によって違うのだと感じました。
そして自分は、「嫁」という言葉に少し引っかかる感覚を持った、というだけの話です。
これからの言葉の選び方
最近は、「妻」や「夫」、あるいは「パートナー」という言い方をする人も増えているようです。
どの言葉を選ぶかは、その人の価値観や場面によるものだと思います。
ただ自分としては、
「その言葉がどんな関係性を前提にしているのか」
を、これからも少し意識して選んでいきたいと思います。
おわりに
日常の何気ない一言の中にも、その人の背景や文化、価値観がにじむことがあります。
そして時々、その言葉にふと引っかかることがある。
今回の自分にとっては、それが「嫁」という言葉でした。
その違和感を流さずに、少し立ち止まって考えてみる。そんな時間も大事にしたいと思います。
久しぶりに少し時間ができたゴールデンウィークに、言葉が表す関係性や価値観について考えてみました。
