熊出没をきっかけに、マタギについて調べてみると、現代でも学ぶべき点が多い事実を知る
近年、日本各地でクマの出没が相次いでいます。最近では、山菜採りの人々が襲われたり、住宅地にクマが現れたりなど。こんなニュースを見て「なぜこんなに?」と感じた方も多いでしょう。
専門家によると、2025年はクマの主食であるドングリが凶作とのことから、餌を求めて山を下り人里に姿を見せている事態が増えているそうです。
負傷者だけでなく、命を落とすケースも出ている今、私たちは「クマとの共生」や「駆除」という難しい問題に、改めて向き合わざるを得ません。
クマに襲われ負傷者だけでなく死者が出ている現状では、クマを他の野生動物(シカやイノシシなど)と別次元の獣害として本格的に駆除する必要が迫ってきているのではないでしょうか。
そんなことを考えながら、ふと思い出したのが、
田中康弘さんの著書『マタギ 矛盾なき労働と食文化』
(枻出版社、2009年)です。
十数年前に読んだ本ですが、今読み返すと、マタギの生き方には、現代でも学ぶべき点が数多くあります。

「マタギ」とは、主に東北地方、特に秋田県の阿仁(あに)地区などで独自の狩猟文化を築いてきた人々のことを指します。
彼らは単なる猟師ではありません。自然と真正面から向き合い、山を「神の領域」として敬いながら、命をいただくことの意味を深く理解していた人たちです。
若い世代の中には、漫画『ゴールデンカムイ』(野田サトル・集英社)を通して「マタギ」という言葉を知った人も多いかもしれません。
『マタギ 矛盾なき労働と食文化』では、マタギの暮らしや狩猟の様子が豊富なカラー写真で紹介されています。
狩猟の方法も、かなり興味深いものがありました。チーム戦でクマを追い詰める手法は、何か詰め将棋を連想させます。
私の勝手な想像ですが、たぶん自治体から駆除依頼をされている猟友会なども当然参考にされているんだろうなと思いました。
死んだふりや逃げる時に横に飛んだりして人を欺くこともできる知能の高いクマがいるそうですから。
本の中で私が特に印象的だったのが、「熊のけぼかい、熊の味」という章の内容でした。
そこでは、狩猟で仕留めたクマを「肉」としてではなく、「命」として扱う姿が描かれています。
捕獲した一頭のクマを、解体し食料へと変化させていく工程が写真で解説されています。
その過程で得られる、熊の毛皮、肉、脂肪、骨、内臓、そのすべてに意味があり、仲間内で公平に分け合う「マタギ勘定」という独特の習わしもあります。
彼らにとって、熊はただの獲物ではなく、山の恵みそのものです。無駄にしないという姿勢には、深い倫理観と感謝の念が込められています。
驚くのは、その処理の手際と衛生意識の高さです。
昔の人が「衛生管理」という言葉を使っていたかはわかりませんが、マタギの熊解体の工程を見ると、科学的にも合理的で清潔です。非常に見習うべき点が多いです。
自然と共に生きるための知恵が、長年の経験から培われていたことが伝わってきます。
田中さんの本が刊行されたのは2009年です。当時から「マタギの高齢化」が指摘されていましたが、最近では各地で後継者を志す若者も出てきているようです。
ドキュメンタリー番組や地域イベントを通じて、マタギの技や哲学を学ぼうとする動きが少しずつ広がっています。
単なる「狩り」ではなく、自然と人の共生というテーマに共感する人が増えているのかもしれません。
現代社会では、命のやり取りが見えにくくなっています。スーパーに並ぶ肉や魚の背後にある「命の重み」を感じる機会は、ほとんどありません。
しかしマタギの世界では、狩りの前に山の神に祈り、獲物を前に感謝し、無駄なくいただくそのすべてが「循環の一部」でした。
そこには、自然を支配しようとするのではなく、「自然に生かされている」という自覚がありました。
もし今、クマとの関係を考えるなら、マタギの知恵を無視することはできません。単に「危険だから駆除する」のではなく、どうすれば人と野生が共に生きられるか。
その問いのヒントは、彼らの中にある気がします。
マタギの哲学は、古くて新しい。私たちが失いかけている「自然への敬意」と「命の循環」を、もう一度思い出させてくれる存在なのです。
最後まで、このnoteが読んでいただきありがとうございます。
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