日本史における軍事と戦争 佐道明広
ロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・アメリカによるイラン攻撃など、国際的な安全保障環境の悪化という世界情勢を前に、これからの日本の指針をいかに議論するべきなのでしょうか。
日本は長らく軍事を語ることをタブーとしてきましたが、そのことがもたらした影響を戦後の歴史から読み解きます。
明治維新で国際社会に復帰した日本では、アジア太平洋戦争の前と後で「軍事」の持つ意味が一変した。明治維新が植民地化への対応を求めるナショナリズムによる革命であったため、国防のための軍備充実は不可欠であり、清国・ロシアの脅威を感じた多くの国民も軍隊の拡充に反対しなかった。一方で敗戦後の憲法は戦争放棄と戦力の不保持を規定しており、「軍隊」を保有することができなくなった。戦後の日本では、非武装中立に代表される戦後平和主義が広がり、軍事を語ることすらタブー視される空気が生まれることになった。多くの日本国民は戦後憲法を受け入れ、日本が「平和国家」であることを当然のことと考えているのではないだろうか。
しかし敗戦直後、占領軍から憲法草案を示された時からそうであったかといえば、戦争放棄はともかく、軍隊を持たないということは、大部分の政治家・官僚・旧軍人・研究者などにとって、大変なことになったと受け止められたと思われる。なぜなら当時の感覚では、軍隊は「国家の中核的構成要素」と考えられていたからである。過酷といわれたヴェルサイユ条約でも、ドイツに支払い不可能な賠償金は課したが、軍隊については制限をしたが保有を禁止しなかった。敗戦後の日本は、占領から独立した後、中核的構成要素を欠いた国家の運営をしなければならなくなったのである。
このたび、『「平和国家」日本の軍事を考える―自衛・安全保障・国際協力―』を刊行させていただいた。現在では日米安保体制が同盟関係であることに異議を唱える者もほとんどおらず、日米の軍事態勢強化が正面から語られている。防衛費がGDP比で二%を超えることも承認され、同盟国だけではなく準同盟や同志国といった呼称の下で、自衛隊はそれらの国々とインド太平洋方面の各地で訓練などを行っている。博士論文を単行本化して出版させていただいた(『戦後日本の防衛と政治』)二〇〇三年には、「軍事的合理性」という言葉を使ったという批判もいただいたが、現在では若い研究者がほとんどタブーなく議論し、新しい史料によって詳細な研究を行ってきている姿を見ると隔世の感がある。
しかし、戦後日本に広がった戦後平和主義の風潮の中で日本は安全保障政策を議論してきたこと、その中で軍隊を持たない国家としての姿を模索していた時代を知っている世代からすると、若い研究者たちによる戦後史研究に少し違和感があったのも事実である。高坂正堯氏や永井陽之助氏など、戦後日本の国際政治学を導いてきた先賢の遺産が、少なくとも国家論という形では継承されていないこと、多くの国民の国防に関する意識と現実の政策との間に認識のずれが生じてきていること、現在の安全保障政策が以前とは逆に軍事に偏りすぎていて、むしろ国民の生命を守るという点からは不安な点が増大していることなど、戦後の歴史をたどりながら書かせていただいたのが今回の本である。
軍事を語ることがタブー視された期間が長く、一方で自衛隊という軍事組織が創設されて拡充していく必要から、そして憲法との関係もあって、国民を刺激しないような言葉の言いかえや発表内容を最小限にしたことは、多くの国民に軍事に関する情報が伝わっていかないという状況を生んだ。アカデミズムでも軍事を語ることがタブーとされた時期が長かったため、欧米で展開されたような議論はなかなか行えなかった。現在では欧米での研究や資料に基づいて活発に議論が行えるようになり、ロシア・ウクライナ戦争や中東問題を背景に、自衛隊OBが軍事的知見をテレビでも積極的に展開するようになっている。しかし、そうした議論などを聞いて思うのは、日本ではどこまで戦争というものの実相がわかっているのだろうかということである。戦争の映像はテレビやネットで見ることができるが、それは一部であり実際に経験したわけででない。自衛隊の隊員も同様である。本来は戦闘集団である自衛隊は、幸いにも戦闘を経験することがなく現在に至っている。逆に言えば、自衛隊員も本当の戦争を知らないのである。

戦後八〇年の中でいわゆる「平和教育」が行われ、戦争体験の継承が行われてきたが、幸いに戦争に巻き込まれることがなかった日本では、戦争はどこか遠い世界、少なくとも映像やゲームの世界として感じられているように思える。
考えてみると、戦後の八〇年に限らず、日本の歴史は外敵から侵略されることが少なかったという特色を持っている。白村江や秀吉の朝鮮侵略といった例外を除き、外に向かっていった例も少ない。源平の戦いや戦国時代があり、戦争は経験しているが、それは内戦である。異民族との戦いを常に意識し、王権と軍権がセットになっていくヨーロッパと異なり、日本では明治に至るまで天皇は軍事との直接の関係がなくなっていき、武士という軍事専門集団が軍権と政治の実権を持つという歴史が長く続いたのである。
徳川時代には武士を除いて民は刀を持つことを禁じられ、また武士も長い平和の中で戦争から遠くなっていった。戦争が繰り返し行われたヨーロッパ諸国と異なり、長く平和でいられた日本は幸せな国であったというべきだろう。戦争の惨禍や異民族支配の苛烈さ、国を失うことの悲惨さを繰り返し経験した日本以外の地域では、安全保障は政治家にとって第一の課題であった。
しかし、明治になり強力な軍隊を持った日本では、政治家は統帥権の存在によって軍事に関わる議論から遠ざけられることになった。軍人と政治家が未分化であった明治時代はまだ、元老といわれる人々を中心に軍事への統制もきいたが、昭和期になると軍部によって軍事は専有物とされ、政治家は軍事を語ることができなくなった。では官僚化した軍部がどれほど近代的な軍事を理解していたかとなると、それも心もとないのである。
そして戦後は軍事を語ることがタブー視された。こうしてみてみると、実は多くの日本人は戦争や軍事について長く正面から議論してこなかった、考えてこなかったといえるのではないだろうか。議論していても、戦後の安保論争のようにかみ合わなかったり、観念的であったりして、現実に基づいたものになっていなかったのではないだろうか。それは四面を海に囲まれて、異民族の侵略が少なかったという歴史上の幸運がもたらした負の側面かもしれない。
現在、国際的な安全保障環境の悪化ということがしばしば語られている。たしかに、国連安保理の常任理事国が国際社会のルールを破り、自由と民主主義を基本とする第二次世界大戦後の国際秩序を守る立場にあったアメリカまでが、自国中心的行動に走り、国際社会は一九世紀に戻ったような様相を呈している。
残念なことに、長く安全保障政策をアメリカに依存してきた日本では、政治家も研究者もジャーナリズムも、現実的な安全保障論議を行うことに慣れていなかった。これまでアメリカの要求にこたえる外交を行い、防衛体制を構築してきたが、本当にそれが日本の安全保障に有益なのだろうか。そもそも、日本という「国家」の自主性はどこにあるのだろうか。そろそろ戦後日本にふさわしい国家論が必要なのではないだろうか。
残念ながら日本の政治は相変わらず迷走している。国内外ともに混乱している状況にどのように立ち向かえばいいのか、歴史の中にそのヒントがあるのではないか。そういった思いを本書からくみ取っていただければ幸いである。
(さどう あきひろ・大阪成蹊大学特別招聘教授)
