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日本史資料としての絵画・遺品の可能性 近藤好和

 日本史を研究するために必要なさまざまな資料。文献や遺跡、民間伝承などとは異なり、主に視覚的な情報を伝える絵画や遺品はどのような史実を立証してくれるのでしょうか。また、有識ゆうしょく故実こじつにおいて、それらはどのような役割を果たしてきたのでしょうか。
 有識故実を専門とする筆者が、絵画・遺品の持つ資料としての可能性を描きます。

 このたび、吉川弘文館から『装束と武具の有識ゆうしょく故実こじつ―肖像画を読む―』を上梓した。ここでは、本書を執筆した背景などについていささか述べたい。

 日本史研究のためには、史実を実証するためのさまざまな資料が必要である。その資料としては、まずは文献がある。この文献資料を史料ともよぶ。この史料にも、紙に記された古文書や古記録を中心として、金属や石などに刻まれた金石文きんせきぶんなどさまざまなものがある。つぎに絵画とモノがある。ともに史実を視覚的に考察するための資料である。絵画にも肖像画・絵巻物・屏風など各種ある。モノは建造物と、仏像などを含む物品に大別できよう。ともに、倒壊や廃棄などで一旦土中に埋まって後世に発掘されたものと、土中に埋まらずに伝世してきたものがある。発掘された建造物やその跡を遺跡(発掘遺跡)、同じく物品を遺物(発掘遺物)、伝世の物品を遺品(伝世遺品)などとよぶ。また、資料には、文献・絵画・モノのように有形のものだけでなく、民間伝承などの無形のものもある。

 現在の日本史研究では、資料の中心は史料である。また、日本史研究のなかでも、遺構・遺物はもっぱら考古学の対象であり、無形資料と遺品のなかでも農耕具や庶民の生活用具などは、民俗学の対象である。

 これに対し、建造物や絵画・遺品は、一般的な日本史研究の資料として取り扱われることは少ない。もっぱら建築史・美術史・工芸史といった限定された分野の研究対象となっている。それでも、絵画については、一九九〇年代を中心として、それを日本史研究の資料として活用しようとする、絵画史料論なるものが一時ブームとなった。そのなかで、本書でも取り上げた神護寺じんごじ三画像や騎馬武者像(京都国立博物館蔵)などの像主名が変更になった。しかし、そのブームは去ってしまった。近年では、日本史研究の視点からの戦国合戦屏風についての研究がいくつかある。

 一方、有識故実では、江戸時代以来、史料を中心としながらも、絵画や遺品は、伝統的に装束や武具などの考察の資料として活用されてきた。絵画や遺品は、装束や武具などを視覚的に理解するために不可欠の資料だからである。

 逆に明治時代以降の日本画、特に歴史画の画家は、装束や武具・武装などを写実的に描くために、有識故実を深く研究した。その代表的な画家として、川崎千虎ちとら嚆矢こうしとし、小堀こぼり鞆音ともと・安田靫彦ゆきひこ・小林古径こけい・前田青邨せいそん等々の各氏の名前を挙げることができる。わが恩師鈴木敬三けいぞうは、安田靫彦氏から装束や武具についての諮問を受けていたという。こうした日本画家達が、有識故実を研究した背景には、装束や武具が、江戸時代まではまだ身近な存在であったが、明治時代以降は身近な存在でなくなったことも関係しよう。いずれにしろ、明治時代以降の有識故実研究の担い手として、日本画家がいたことは事実である。有識故実研究と絵画は、古くから密接に結びついているわけである。

 もとより、本来の有識故実の対象は、装束や武具などだけではない。本書で記したように、本来的に有識故実は公家故実で、公事くじ施行のためのマニュアルである。また、武家故実のうち弓馬きゅうば軍陣ぐんじん故実は、合戦・戦闘の方法や武具の取り扱い方の、柳営りゅうえい故実は、幕府内での儀礼や座作ざさ進退のためのマニュアルである。いずれも実践の知識である。

 それが、装束や武具などに限定されるようになるのは、明治時代になってからである。明治時代には、天皇制をはじめとする社会全般が欧風化し、実践の知識としての有識故実は、神社祭祀などのごく限定された対象を除いて役割を終了した。また、特に室町時代に盛んとなり、江戸時代に継承された学問研究としての有識故実(有識故実研究)も、明治時代になると、欧風の学問体系の導入によって、たとえば、それまでの日本では区別のなかった、文学と歴史学が分離するなど、新たな学問体系の各分野に分散されてしまった。そうした流れのなかで、新たな学問体系のなかに収まりきれなかった装束や武具などが、有識故実研究の対象として残ったわけである。

著書『装束と武具の有識故実』の書影

 したがって、本来の有識故実に立ち返れば、装束や武具は、あくまでも実践の知識の対象である。装束は着用するもの、武具は使用するもの、つまりともに実用品である。実用品として装束や武具を考察するためには、抽象的な議論ではなく、それらの構造を熟知する必要がある。そのために、視覚的資料である絵画や遺品を活用するのは当然のことなのである。まして装束や武具が身近な存在でなくなった明治時代以降は、なおさらのことであろう。

 装束や武具は、現在ではもっぱら工芸品として、美術史や工芸史の研究対象となっている。しかし、美術史や工芸史では、装束や武具の美術的価値や工芸技術については議論されても、かつては実用品であったという視点はまったく欠如している。

 絵画にしても、描かれている装束や武具・武装から得られる、さまざまな情報はほとんど省みられることはない。かつての絵画史料論も、こうした情報をまったく無視し、多くの場合、各論者が現在的感覚で好き勝手なことを発言していただけである。絵画を歴史的にみるための基礎事項を押さえていなかったのだから、一時のブームで終わってしまうのも当然であろう。神護寺三画像に対する新説が提唱・議論されていた頃、あまりに有識故実的な議論がなかったので、有識故実の立場から反論を書いたが、筆者の力不足による未熟な論文であったために、その反論は抹殺されてしまった。

 そうした流れや過去を踏まえたうえで、執筆したのが本書である。本書に記した装束や武具についての解説は、これまで筆者が執筆した複数の書籍での記述と基本的に変わりはない。ただし、本書の特徴といえるのは、そうした各解説の直接的・間接的根拠や背景として、数多くの絵画や遺品の類例をあげていることである。そのうえで、装束や武具・武装を考察するために重要な、九点の肖像画に描かれている装束や武具・武装を解説し、有識故実の視点から、装束や武具を歴史的に考えるための素材を提供した。装束と武具に限るが、有識故実の知識を用いれば、美術史や工芸史とは異なる視点から、絵画や遺品を日本史研究の資料として活用できることを、提示できたのではないかと考えている。日本史研究資料として、絵画や遺品には、多くの可能性が残されているといえよう。

 最後に、本書第二章4で引用の源頼政よりまさ像は、MOA美術館蔵品(①)と最勝院さいしょういん蔵品(②)の二点がある。両者は構図は同様だが、文様の有無など細部は異なる。特に本書では、表袴うえのはかま八藤丸やつふじのまる文様と書いたが、八藤丸文様は②の表袴。①は無文むもんである。また、毛抜型けぬきがた太刀たち白鮫皮しろさめがわ包柄づつみづか・毛抜型飾目貫かざりめぬき付設の様式にみえると書いたが、これも②の毛抜型太刀。①は伝源頼朝像などと同様である。その点、本書では①と②を混同した記述となっている。また、『秋夜長あきのよなが物語絵巻』中巻第七段には、騎兵が三騎描かれている(第四章1)。ここに補足・訂正する。その他、誤謬は叱正を乞う。

(こんどう よしかず・元神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科特任教授) 


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