無職になって、お金を清める。
無職になってから、お金が減っていく感覚を、毎日のように味わっている。
退職金で、借りてた方々への返済をしていく。
サラリーマン時代は当然のように思えてた税金の重みをすごく感じる。
通帳を開くたびに、小さなため息がこぼれる。
働いていない以上、数字は増えることなく、静かに減っていく。その現実は、ときどき、自分の価値まで削っていくような錯覚を生む。
失業保険が終えるまでには何とか、収入を得る方法を見つけなければいけないのに、何がしたいのか模索している迷子のおっさんである始末。
自然と焦りが出る。そんな時に、ハッとした。
もしかすると、減っているのはお金ではなく、「心の余裕」なのではないか、と。
最近、読んだ本でおもしろかったのは、この本である。
資本主義は、お金への不安を膨らませる仕組みでもある。
そのワードセンスに心奪われた。考えてみると、社会のニーズって、だいたい不安の解消ではないか。
「今すぐ始めないと手遅れ。」
「もっと稼がなければ老後が不安。」
「経済を回せ。」
「自分へとにかく投資しよ。」
HARMの法則という言葉もあるとおり、「健康」「美容」「恋愛」「お金」は、人の悩みの多くを占める4大テーマ。
そんな悩みを煽る情報が、毎日のように流れ込んでくるし、流している一人でもある。
だから、お金そのものよりも、人は「焦り」に支配されてしまう。
そんな焦りに支配されまいと、向かったのが、宮城県岩沼市にある金蛇水神社だった。
金蛇水神社は金蛇沢と称される深い谷が仙台平野に流れ出す、その谷の出口に鎮座しており、典型的な水神信仰の霊場。
巳のお姿をご神体としていることから、古来より、金運の神様として知られ、古くから商売繁盛や金運円満を願う人々が訪れる神社である。
私は、先に「銭洗い」へと向かう。

霊水場へ着き、お札と小銭を清めるため、水で洗う。

これでお金を浄化できる。

空気までも神聖で、呼吸をするたび、自分まで浄化されていくのがわかる。

濡れたお金はケースに入れて、持ち帰れる。
乾かして、神棚に飾ることにした。洗ったお金で財布を買ったり、宝くじを買ったり、用途は人それぞれのようだ。

なんとも美しい花手水の前で一礼し、本殿へ向かう。

参拝し、金運円満を願う。
そして、一つ一つ違う蛇の模様が浮かぶ御神石が境内に並んでいる。多くの参拝者が、財布などを御神石に優しく撫でながら願いを込めていた。(撮り忘れた…)
私も母からもらったボロボロの財布(マザコンではないと思う。ただ、人からもらったものを捨てられないタイプ)で、優しく御神石を撫でた。
無事に参拝を終え、なんとなく清々しい気持ちで神社を後にする。
そんなすぐに、何かが一変することはない。
もちろん、お金を洗えば錬金術のように増えるわけでもない。
けれど、不思議と「お金に対する心」は少しだけ軽くなった。
洗いたかったのは、お金ではなかったんだと思う。
「お金を持っていないと、自分には価値がない。」という、自分への思い込みだったのかもしれない。
いや、だからといって無一文で胸張って生きるつもりはない。有り金をすぐ使ってしまう伊達男なところはある。
けれども、人様に迷惑かけないとか、生きてくためにはやっぱりお金は必要で。
お金の余裕が、心の余裕もうむ側面もあるわけで。
少しずつ貯めていきたいわけで。
富良野は寒いわけで。
お金の不安というのは、この先も飯食っていけるのかという将来への不安だ。
もっというと、目まぐるしく移り変わりゆく社会の変化についていけるのかという不安でもある。
だから、お金の不安の正体は、「変化する社会をどう生きるか。」という問いなのだろうと理解した。
新しい情報に、焦る必要はなくて、今の社会の課題はなんななのか。自分の中のモヤモヤから目を背けないこと。
自分とは、自分という大衆でもある。
必要なのは、自分のペースで、そのモヤッとしたものを少しずつ整えていくことなのかもしれない。
そして、神社を後にし、もう一度、田中 学さんの著書を読み直す。
世の中には値段がつくものと、値段がつかないものがあって、市場で売られるサービス、モノには必ず価格がある。
一方で、子どもたちが作ってくれたお守りや、大切な人から渡された手紙には値段をつけられない。

値段がないのは、価値がないからではない。
値打ちがあろうがなかろうが、絶対に人には渡したくない
絶対に手放したくないほど、大切だからだ。
本当の意味でのプライスレスという言葉の意味を、少しだけ理解できたような気がした。
本当の価値は、他人が決める価格では測れない。
「自分が、どう感じたか。」
自分の価値基準で決めるもの。
安いのか、高いのか、そういう判断基準より、
それよりも自分が大切にしたいこと、大切にしたいものなのか。
その積み重ねが、自分だけの価値のモノサシになる。
金蛇水神社で本当に洗ってきたかったのは、お金の方ではなくて、数字に振り回され続けていた、強欲な自分の心の方だった。
帰り道、ボロボロの長財布の中身は何も変わっていない。清められたお金以外は。
それでも、「こんなんやったからって、何も変わらないよ。」という心を全部とは言わないが、ほぼ浄化できた。
不思議と、少しだけ豊かになった気持ちをこのnote 残せるくらいには。
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