🌿戦争が終わったとき、母は20歳だった
母が生きた時代のこと。
母から聞いた、家族のこと。
そして、母の選択が、
今の私にどうつながっているのか。
これから少しずつ、
「母の人生の箱」を開けながら、
私の記憶に残っている母の姿を
書いていきたいと思います。
母の人生は、
特別に華やかなものではありません。
けれど、その時代を生き、
迷いながらも自分の道を選んだ
一人の女性の姿が、そこにはあります☘️
母は女学校を卒業した頃、
本当は家にいたかったそうです。
家事をしたり、
家のことをして過ごしたかった。
働きに出るのは、
あまり好きではなかったようです。
けれど、時代は昭和。
第二次世界大戦の真っただ中でした。
「こんなご時世だから、
家にいたらいけない」
そう言われて、
母は郵便局に就職しました。
電車で通勤していたそうです。
ある日、空襲があり、
勤めていた郵便局の庭に
火が上がったこともありました。
みんなで消火したそうです。
普段は数字とにらめっこの仕事。
母は、
「つまらなかった」
なんて言っていました。
その後、知り合いの紹介で、
家の近くの農協に勤めることになりました。
そして、戦争が終わった。
そのとき、母は20歳でした。
世の中は、まだまだ大変だったはずです。
けれど母が、真っ先にしたことは、
農協を辞めることでした。
「もっと勉強したかった」
「いろんなものを見たかった」
そして何より、
「人に使われて働くのは嫌だった」
いかにも母らしいと思います。
戦争中は「敵国語」とされていた英語も、
アルファベットから習い始めました。
洋服を着て、
おしゃれをすることも
思うようにできなかった時代が終わり、
母は洋裁学校にも通いました。
やりたかったことを、
少しずつ取り戻していったのでしょう。
そして、そのときの母の選択は、
ずっと後の私のところまで続いてきました。
私の洋服や小物は、
ほとんど母のお手製でした。
母が洋裁を習ったから、
私は母の作った服を着て育った。
そう思うと、
20歳の母が選んだ道は、
ずっと後の私のところまで
続いているんだなと、
今になって、
少し不思議な気持ちになります。
よかったら母の人生の一コマを、これからも
のぞいてみてくださいね🐥🌿
☘️母の人生の箱より

