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90幎代ロンドンず京郜・倧阪にみる「DIYなPR思考」――テヌト矎術通展【YBA&BEYOND】が映す同時代性

序章京郜でYBAを芳お、30幎前の関西を思い出した

京郜垂京セラ矎術通で開催䞭の『テヌト矎術通 YBA & BEYOND』展を芳ながら、YBAが掻躍した90幎代の京郜ず倧阪のカルチャヌシヌンに想いを銳せおいたした。

寂れた公蚭垂堎ではストリヌトのファッションショヌを䌁画し、郊倖のカラオケボックスでは、ビル䞀棟を借り切っおアヌト・フリヌマヌケットを開いた。元銀行や撮圱スタゞオは䞀倜限りのクラブぞず倉身し、廃墟ず化した䞀軒家はアヌトギャラリヌぞず再生した。歎史ある寺瀟の境内からはダブ・サりンドが海賊攟送ラゞオを通じお毎日発信され、リヌゞョナルメディアもゲリラ的な発信掻動の䞀員になった。

面癜い人がいるずいう噂が広がれば、そこに分野を超えお様々な人が集たっおくる。誰かが新しい堎所を぀くれば、そこから新しい䌁画や音が生たれ、い぀の間にか街の空気たで倉わっおいく。圓時は実際に足を運び、人ず䌚っお䌚話するこずでしか、異質な刺激や予期しない他者ず出䌚う方法がなかった。その制玄が、逆に偶発的な出䌚いを生んでいたのかもしれたせん。

YBAYoung British Artistsもたた、既存の矎術界から機䌚を提䟛されるこずを埅たず、自分たちのパッションに埓っお、行動し始めた若者たちでした。同じ時代、ロンドンず関西では、遠く離れた堎所にいながら、䌌たような若者文化の動きが生たれおいた。堎所がなければ自分たちで぀くる。倧矩がなくおも、面癜いず思えば始める。そこに人が集たり、新しい関係が生たれおいく。

30幎以䞊たった今、その営みを振り返るず、そこにはPR関係の再蚭蚈の原型らしきものが芋えおきたす。出来䞊がった䟡倀を広める前に、ただ名前のないものが生たれる堎を぀くる。人が集たり、関係が生たれ、あずから意味が぀いおくる。

このコラムでは、そんな態床を「DIYなPR思考」ず呌んでみたいず思いたす。



1. YBAを底通するもの

1-1. 「きれいに凊理しない」態床の系譜

この展芧䌚の䌚堎入り口でいきなり足を止められたのが、フランシス・ベヌコンの《1944幎のトリプティク䞉幅察の第2バヌゞョン》です。真っ赀な画面に珟れる䞉぀の異圢。肉䜓のようでもあり、動物のようでもある。叫んでいるようにも、䜕かに耐えおいるようにも芋える。どこか猥雑で、芋おいる偎の身䜓たでざわ぀かせるような䜜品です。

Second Version of Triptych 1944 / Francis Bacon

ベヌコン自身はYBAではありたせん。しかしこの䜜品を芋おから先ぞ進むず、90幎代の英囜矎術が突然倉異で生たれたわけではないこずがわかりたす。そこには「珟実を敎えお凊理しない」ずいう態床が底通しおいたす。身䜓、死、䞍安、欲望など、人々が目を背けたくなる事実を䜜品の䞭に匕き蟌み、むき出しにしおしたう態床でもありたした。

1-2. 空き倉庫から䞖界を倉えた「Freeze」ず、文脈の自己生成

のちにYBAず呌ばれた人々の射皋はさらに街や瀟䌚ぞ広がっおいきたす。消費、階玚、レむノ、AIDS、劎働、日垞生掻。矎術通の倖偎にあった珟実が次々ず䜜品の䞭ぞ入っおくる。

倉化したのは䜜品だけではありたせん。1988幎、ダミアン・ハヌストはロンドンのドックランズにある空きビルの冷蔵倉庫を䜿い、「Freeze」を䌁画したす。぀たり圌らは、䜜品を芋せる堎所たで䜜り始めたのです。その埌に批評家が蚀葉を䞎え、コレクタヌやギャラリヌ、メディアが入り蟌み、やがおYBAずいう名前ず垂堎が圢成されおいく。

YBAを語る象城的なキヌワヌドである「DIY粟神」ずは、䜕もかも自分だけでやるこずではありたせん。最初の堎所ず文脈を、自分たちの偎から立ち䞊げお、それを皆に開いおいくこずなのです。

1-3. 壊しお、別の関係ずしお眮き盎す

もうひず぀、この展芧䌚を象城するような䜜品がありたす。コヌネリア・パヌカヌの《コヌルド・ダヌク・マタヌ爆発の分解むメヌゞ》です。爆砎された物眮小屋の朚片や道具が、郚屋の䞭倮で宙に浮いおいたす。元の小屋はもう存圚したせん。それでも、ばらばらになった断片を別の関係で配眮し盎すこずで、以前ずはたったく違う景色が生たれおいたす。

Cold Dark Matter: An Exploded View / Cornelia Parker

面癜いのは、「壊したこず」そのものではなく、壊れたものを元に戻そうずしないこず。䞀床ばらばらになったものを眺め、別の関係ずしお組み盎す。そこに、新しい意味が生たれたす。

90幎代のロンドンや関西で生たれたカルチャヌにも、どこか䌌た感芚がありたした。ゞャズはゞャズだけ、ファッションはファッションだけ、雑誌は雑誌だけ、ず領域を閉じるのではない。それたで別々の堎所にあったものを持ち寄り、勝手に぀なぎ替えおいく。

実際、京郜の音楜シヌンをいち早く芋出したのは、ポヌル・ブラッドショり率いるロンドンの音楜雑誌『Straight No Chaser』でした。この「倖郚の県差しによる再発芋」こそが、ロンドンず京郜のクリ゚むタヌをダむレクトに結び぀け、盞互の文脈を曞き換えおいく契機ずなったのです。

新しいものをれロから発明するのではなく、すでにそこにあるものの関係を組み倉えるこずで、ただ芋たこずのない景色を぀くる。その時私の頭には、同時代の京郜の倜の様子が呌び芚たされおいたした。



2. 同じ頃、京郜でも「堎」が先に生たれおいた

2-1. 人ず音の亀差点――90幎代京郜の生態系

1990幎代の京郜にも、完成した垂堎やゞャンルを埅たずに、自分たちで堎を぀くり、行動する人たちがいたした。Kyoto Jazz Massive、SOUND : IMPOSSIBLE、CLUB CONTAINER、CLUB METRO、CLUB COLLAGEほか。バブル景気で䞀倧レゞャヌ産業の構造に取り蟌たれた若者消費文化が終焉を迎えようずする䞭、EP-4などのPost PunkやHip Hopの流れを受けお、DIY粟神ずずもに生たれた京郜音楜シヌンの担い手たちです。そこではDJ、線集者、デザむナヌ、ミュヌゞシャン、むラストレヌタヌ、写真家、工芞䜜家、矎容垫、料理人や建築家らたでが緩やかに重なりながら、ただ名前の定たらない音楜や感芚を共有しおいたように蚘憶しおいたす。

そこにいたのは沖野修也氏、竹村延和氏、倧沢䌞䞀氏、田䞭知之氏ら。埌に音楜プロデュヌサヌやDJずしお海倖や東京ぞず掻動の堎を広げおいった人たちの出発点には、京郜の街がありたした。

たたその䞀方で、衚舞台ぞ出るこずずは別のかたちで京郜の珟堎を支え続けた人たちもいたす。初期のKyoto Jazz Massiveに参加しおいた山口歊叞氏や、沖野修也氏らに倧きな圱響を䞎え、その埌FM Kyoto α-stationの開局に尜力したDJ藀本和也氏もその䞀人です。私自身もあの倜の空気を吞っおいた䞀人であり、あの頃の仲間たちず、今もなおシヌンを共にしおいたす。

2-2. メッセヌゞを届ける前に「関係」を぀くる

ここで面癜いのは、巚倧資本や、誰か䞀人の才胜だけでシヌンができおいたわけではないこずです。そこにDJがいれば、堎所を䌁画する人、フリヌペヌパヌやグラフィティを぀くる人、斬新なファッションコヌデを提案する人たちやフラむダヌを配る人たちがいお、そこぞ毎週のように通う人たちがいる。その重なりの䞭で、埌に「京郜のクラブカルチャヌ」ず呌ばれるものが圢成されたした。

䜜品や情報そのものよりも「誰ず誰が出䌚うか」の方が重芁だったのかもしれたせん。文化は、優れたコンテンツが䞀぀あれば生たれるわけではない。人が集たり、関係が続き、その堎所に蚘憶が積み重なっお、ようやく茪郭を持ち始める。

䜕を発信するかを考える前に、誰ず誰が出䌚えば新しい意味が生たれるのかを考える。メッセヌゞを先に぀くるのではなく、関係そのものを぀くる。90幎代の京郜には、そんなPRコミュニケヌションの原型が、街のあちらこちらに転がっおいたのです。



3. 倧阪「avoid」――瀟䌚課題を、生掻の䞭に持ち蟌む

3-1. 23歳のある日、瀟䌚課題を倜の街に埋め蟌んだ

90幎代前半、HIV/AIDSは日本でも倧きな瀟䌚問題になっおいたした。圓時の私たちの感芚では、それはニュヌスの向こう偎だけにある問題ではありたせんでした。クラブ、ファッション、音楜、倜の街。それは自分たちが日々身を眮いおいたカルチャヌず、地続きの問題だったのです。

そんな䞭、倧阪ミナミで「avoid」ずいう小さなバヌが誕生したした。23歳の頃、プランナヌずしお参加したプロゞェクトです。䞭心になったのは、圓時倧阪でファッションプロデュヌサヌずしお掻躍しおいたオガワゞュンゟり氏。そこに集たったのは、「SOUND : IMPOSSIBLE」を率いお京郜・倧阪でDJずしおも掻動しおいた田䞭知之氏埌のFPMをはじめずした、圓時20代前半の仲間たちでした。

それは、店の収益や募金をHIV/AIDSの啓発・支揎掻動に充おるドネヌションBarです。音楜、ファッション、アヌト、サブカルチャヌが亀差するコミュニティスペヌスでもあり、偏芋をなくしオヌプンにセクシュアリティやカルチャヌに぀いお語り合える堎所でもありたした。日本初のAIDSドネヌションBarずしお、オヌプン圓日にはテレビの生䞭継も入ったず蚘憶しおいたす。

入り口の透明なアクリルドアには、プロゞェクトの趣旚に賛同し、立ち䞊げや運営に協力・出資した関西や東京の著名なファッション・デザむナヌ、プロデュヌサヌ、クリ゚むタヌ、DJたちの名前がクレゞットずしおずらりず刻たれおいたした。店内で流れるNew SoulやCinematic Jazzに䜓を揺らしながら、様々なテヌマの話がずめどなく぀ながっおいく。そんな熱気が、そこにはありたした。

私自身、PR的な文脈づくりや堎の蚭蚈に関わりながら、自分たちが気になっおいる瀟䌚の問題を、専門家や行政だけに預けおしたわないための回路を考えおいたした。普段自分たちがいる堎所そのものに、瀟䌚課題ずの接点を埋め蟌んだず蚀えるのかもしれたせん。

3-2. 個人的な珟実ぞの応答

ここには、珟圚「瀟䌚課題解決型のPR」ず呌ばれおいるものずは少し違う感芚がありたした。「䌁業や団䜓がテヌマを決め、メッセヌゞを぀くり、キャンペヌンずしお瀟䌚ぞ届ける」ずいう順番ではない。自分たちの生掻の䞭に問題がある。だったら、その生掻の延長に堎所を぀くっおみる。先にあったのは蚈算された戊略よりも圓事者感芚です。

だからこそ、京郜でこの展芧䌚を芳ながら、デノィッド・ロビリダヌドの䜜品の前で足が止たったのかもしれたせん。

That Beat It Quickly Smile / David Robilliard

癜い画面に、簡玠な線ず蚀葉。1988幎にAIDS関連疟患で亡くなる前幎に制䜜された圌の䜜品には、死の圱ず、それに抗うような軜やかさが同居しおいたす。

その䜜品を芋た瞬間、30幎以䞊前の倧阪の倜がふいに蘇りたした。ロンドンず倧阪、矎術ずバヌ。堎所も衚珟の方法もたったく違いたす。それでも、瀟䌚の珟実を遠くから眺めるのではなく、自分が立っおいる堎所から䜕かを返そうずする。少なくずもその感芚だけは、ロンドンず倧阪のあいだで぀ながっおいたのです。



4. 「時代」は埌から远いかけおくる

4-1. カルチャヌず瀟䌚構造を䞀本の線で぀なぐ

ゞェレミヌ・デラヌの《䞖界の歎史》は、䞀芋するず巚倧な盞関図のような䜜品です。アシッドハりス、レむノ、テクノ。その䞀方に、炭鉱、ストラむキ、民営化、脱工業化、ブラスバンド。音楜の話をしおいるず思ったら、劎働や政治の話ぞ飛び、たたクラブカルチャヌぞ戻っおくる。無関係に芋える出来事が䞀本の線で結ばれ、80幎代から90幎代の英囜瀟䌚が、ひず぀の耇雑な生態系ずしお浮かび䞊がっおきたす。

The History of the World / Jeremy Deller

レむノは音楜だけの出来事ではない。経枈の倉化も、劎働環境も、郜垂の空掞化も、若者の閉塞感も、その背埌にある。《䞖界の歎史》が単なる音楜史の敎理に芋えないのは、「ある時代に䜕が同時に起きおいたのか」を関係ごず可芖化しおいるからなのです。

4-2. バラバラだったものが、埌から䞀枚の絵になる

そう考えるず、90幎代の京郜や倧阪も䌌おいたす。数倚くのMusic Crewが線成され、そこにはクラブがあり、雑誌があり、ファッションやアヌトがある。その隣にはBar avoidのような堎所や、ゲリラ的に生たれおは消える数々の堎所や突発的なむベントがある。匷い゚ネルギヌを持っお、それぞれが自分勝手に奜きなこずをやっおいた。

しかし30幎たった珟圚から振り返るず、別々だった出来事の間に、確かに同時代の空気が流れおいたこずがわかりたす。既存のゞャンルに収めようずするのではなく、自分たちで堎所を぀くる。肩曞きを䞀぀に決めず、耇数の領域を行き来する。瀟䌚の問題もカルチャヌの倖偎に眮かない。名前が぀く前に、衝動が先にあったのです。



5. 珟実は、眮き方ひず぀で別の意味を持ちはじめる

5-1. 「眮き盎す」ずいう技術

ダミアン・ハヌストの《埌倩的な回避䞍胜》では、机ず怅子、タバコの箱、吞い殻のたたった灰皿——ありふれたオフィスの䞀角が、ガラスケヌスの䞭に密閉されおいたす。それだけで、日垞の颚景が急に別のものに芋えおくる。仕事の時間、習慣、身䜓、消費、その先にある死。特別なものを持ち蟌んでいるわけではない。もずもずそこにあったものを、別の枠組みに眮き盎しおいるだけです。

The Acquired Inability to Escape / Damien Hirst

䌁業や瀟䌚の䞭には、ただ意味ずしお認識されおいない事実が倧量にありたす。珟堎で続いおいる小さな工倫、瀟員が圓たり前だず思っおいる行動、地域ずの関係、長い時間をかけお蓄積された技術や文化。それらは存圚しおいおも、芋える圢になっおいなければ瀟䌚には届きたせん。PRの仕事のひず぀は、䜕かを掟手に足すこずよりも、すでにそこにある珟実を別の角床から線み盎し、意味が芋える状態にするこずなのです。

5-2. 事実そのものは、䜜り替えられない

ただ、ここで泚意したいのは、珟実を郜合よく線集しおしたうこずではありたせん。ハヌストの䜜品がそうであるように、芋せ方を倉えおも、そこにある物そのものは消えない。PRも同じです。意味を぀くるこずはできる。しかし、事実そのものを郜合のいい圢に䜜り替えるこずはできない。この距離感は、今もなお重芁なこずだず思いたす。



6. 「DIYなPR思考」ず、初期衝動の行方

6-1. 「䌝える前に、堎を぀くる」ずいう逆転

90幎代ロンドンず関西に共通しおいたのは、ゞャンルでも方法でもありたせん。もっず根本的な態床です。ただ垂堎になっおいない。ただ名前も぀いおいない。誰も正解を持っおいない。それでも、たず始めおみるこず。動き出すこず。

YBAは展瀺の堎を぀くり、京郜ではクラブやレコヌド店や雑誌が人を぀なぎ、倧阪ではBar avoidのような堎所が瀟䌚課題ずカルチャヌを接続した。「䌝える前に、堎を぀くる」ずいう順番がそこにありたした。

今のPRは、どうしおもメッセヌゞから考えがちです。䜕を発信するか、どんなストヌリヌを぀くるか、どうすれば話題になるか。しかし90幎代の珟堎を思い返すず、もう少し手前に倧切なこずがありたした。ただ蚀葉になっおいない違和感や衝動を、どこで受け止めるのか。その問いは、今の時代にこそ切実です。

6-2. 道具が増えた時代に、なぜ初期衝動が倱われるのか

いた私たちは、90幎代ずは比べものにならないほど倚くの道具を持っおいたす。SNSがあり、スマヌトフォンがあり、生成AIたで手に入れた。思い぀いたこずを、その日のうちに圢にしお䞖界ぞ届けるこずもできたす。それなのに、始める前から正解を探しおはいないでしょうか。どうすれば届くのか、䜕が評䟡されるのか。気づけば、最初の堎所を自分たちで立ち䞊げる前に、誰かが甚意した評䟡軞の䞭で動いおいたす。

問題は道具の倚さではなく、その道具を支配するアルゎリズムの構造にありたす。フィルタヌバブルは䌌た関心を持぀者同士を匕き寄せ、゚コヌチェンバヌは類䌌した声を増幅させる。結果、予期しない他者ずの出䌚いや摩擊も、そこから生たれる倉容も起きにくくなる。動けば動くほど、芋えおいる䞖界が狭くなっおいくずいう逆説に身を眮いおいるのです。

ゞョン・ケヌゞが䜜曲技法『チャンスオペレヌション』で瀺したのは、意図や正解を手攟すこずで初めお生たれる出来事があるずいう思想でした。偶然による異質な他者ずの摩擊を創造の栞心に眮く。その構えは、アルゎリズムが最適解を先回りしお提䟛する珟代ずは真逆の姿勢です。Bar avoidも、京郜の倜も、YBAの空き冷蔵倉庫も、ある意味でチャンスオペレヌション的な運動䜓だったのかもしれたせん。正解を持たない人間が堎を぀くり、予期しない出䌚いが次の䜕かを生んでいった。

珟圚、『HTML Energy』や『Small Web』ず呌ばれる掻動が、アルゎリズムの支配するプラットフォヌムぞのアンチテヌれずしお泚目されおいるのも、この状況に察する察抗でしょう。

Bar avoidを぀くっおいた頃、正解など分かりたせんでした。AIDSずいう問題ず、自分たちのいたカルチャヌシヌンがどこかで地続きだずいう感芚があったにすぎたせん。ただその違和感が、バヌずいう堎所に圢を倉えた。面癜いず思った。攟っおおけないず思った。だから人が集たった。そしお始たった。
完成した戊略が先にあったわけではありたせん。たず動く。そこに人が集たり、新たな関係が線たれる。意味や名前は、あずから぀いおくる。

6-3. 初期衝動こそが、「DIYなPR思考」の出発点である

PRが本来持っおいた力は、完成した物語を噚甚に届ける技術だけではなかったはずです。ただ蚀葉にならない違和感をすくい䞊げ、垂堎にすらなっおいない䟡倀の隣に立ち、ただ芋ぬ人同士が混ざり合う堎を、自分たちの手でし぀らえる。発信や評䟡は、そのあずから勝手に぀いおくる。

いた、タむパずいう効率の名のもず、名前すらない䜕かを泥臭く立ち䞊げる面癜さを、手攟しおはいないでしょうか。
アルゎリズムの檻の䞭で、情動や可胜性を諊めおしたっおいないでしょうか。
いたこそ、チャンスオペレヌション的な運動䜓が求められおいるのかもしれたせん。


京郜垂京セラ矎術通をあずにするず、岡厎はい぀ものように静たり返っおいたした。
90幎代のロンドンも、京郜も、倧阪も、あの頃の圢はもうどこにも残っおいたせん。クラブも、店も、人の぀ながりも、時間の䞭で姿を倉えた。それでも、あの熱い感芚たで消えたわけではないず思いたす。

あの頃、未来を぀くろうなんお倧局なこずは考えおいたせんでした。面癜そうだから動いた。気になったから人が集たった。そこに居合わせた誰かず、次の䜕かを立ち䞊げた。その無蚈画な連鎖が、あずから「時代」ず呌ばれた。

倕暮れの岡厎を歩きながら、たた30幎前の倜の匂いが戻っおきたした。

あの頃の私たちは、未来を぀くっおいる぀もりなど、さらさらなかった。ただ、いた立っおいる堎所から、䞀番面癜いず思える䌁みを始めおいただけ。未来なんお倧それたものも、たぶん、そういう堎所から始たるのです。



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