本当に大切なことは、目に見えない
僕は、時々リワークの自習時間に、
(あくまで私的な取り組みとして)
ジャーナリングをしたりする。
PCに向かっている時もあれば、
手書きのメモ帳に向かっていることもある。
水面にルアーを垂らすように、
なんとなく心に引っかかっている
わだかまりを、
まずメモ帳なりPCなりに
書き出すところから始める。
そこから、考える。
水面に揺蕩うルアーのように、
微かに、けれど健気に、
そのわだかまりが
何かを引っかけてくるまで、
辛抱強く。
正直、書くより
うんうんと唸っている時間のほうが長い。
傍から見れば、
僕のその二時間の過ごし方は、
ただぼーっとしている人、
もしくは眠気と戦っている人に
見えてしまうかもしれない。
まだ、何かしらの読書に
耽っていたり、
参考書の内容をとりあえずでも
書き写してるほうが、よっぽど
何か"やっている風"には
見せられるかもしれない。
そういう見せ方のできない僕は、
周りからは"何もやっていない"ように
見られる感覚があり、
それが、僕のコンプレックスの根っことしてある。
――思い返せば、あの頃も
自分なりに答えを探していた。
中学三年生の夏。
不登校だった僕には、学校に居場所がなかった。
おまけに両親は同じ会社で共働きをしていて、
家に帰ってきても、仕事の空気をもちこんできた。
テレビをつけていても、
子どもたちが騒いでいても、
両親が顔を合わせれば、
しんとした空気感が張り詰め
厳粛な大人のやりとりが始まる。
楽しかったはずの夕食の話題さえ、
それに汚染(よご)されていく。
どこにも、僕の居場所なんてなかった。
僕が、学校に行っていなかった時間。
それは大人から見れば、
ただの現実逃避にしか
映っていなかったのかもしれない。
当時は、当事者である自分自身でも
何が起きているのかわからなかった。
ただ、その「わからない」ままで、
済ませるつもりもなかったはずだ。
僕は図書館に入りびたり、
不慮の事故で落としてしまった
コンタクトを這いつくばって探すように、
「不登校」とタイトルにつくものがあれば
手当たり次第に手を伸ばしていた。
そうして、自分に少しでも近い手触りのものが
ないかと探し求めていた。
けれど、そのことを親に伝えることはなかった。
第一に、言語化ができなかった。
そのときは自分なりの答えというものを、
見つけられなかったからというのもあったし、
思春期としての気恥ずかしさもあった。
言語化ができなければ、考えてないのと同じだ。
当時の僕は、親に何をしていたか尋ねられても
「そのへんをほっつき回っていた」
そう答えるので精いっぱいだった。
けれど、心の奥底では
「何もしていなかったわけじゃない」
そう叫びたかったんじゃないだろうか。
最近、J・D・サリンジャーや
サン・テグジュペリの作品をよく読んでいる。
決してそれは
「あの頃に戻りたい」とか「童心を取り戻したい」
といった懐旧というわけではない。
僕がこれらの本の中で追いかけているのは、
コンタクトを這いつくばって探していた、
あのころと一緒だ。
「あのころの僕を救うための
なにかがあるかもしれない」
そこには、そんな予感がある。
あのころ、「何もやっていない」とみなされていた
僕自身の考えを、そして思いを
言語化できるのは、
大人になった僕しかいない。
最近、過去のことをエッセイに
起こしているとそんなことを考える。
僕の中には、あの頃のわだかまりが
相変わらず埃をかぶっていて、
膝を抱えこんでいる。
僕は、それを浄化させるために、
今もこうして書いているのかもしれない。
垂らしたルアーの先は、
水面からは動きが見えなくても
確かに僕の記憶の海底のなにかを、
救い出そうとしている。
そして、そういった自分への慈愛というものは、
もしかしたら
他の人の目には映らないものなのかもしれない。
あの狐が言っていたように。
