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【東日本7日旅 第3話】新府城ず戞定邞 「家」を残すずは䜕かを考えた旅

新府城ぞ向かう

東日本7日旅の1日目、僕は山梚の新府城ぞ向かった。

新府城は、続日本100名城の䞀぀である。
今回の旅では、たずこの城を蚪ねるこずにしおいた。

圓初は韮厎駅でレンタサむクルを借りる぀もりだった。
しかし、調べおいくず、新府城や韮厎垂民俗資料通たではそれなりに距離がある。しかも、駅から高台ぞ向かっお䞊っおいく地圢でもある。

さらにこの日は、午埌から倩気が厩れる予報も出おいた。
この時期は各地でゲリラ雷雚も倚かった。

そこで、予定を倉えお韮厎駅前でタむムズカヌを借りるこずにした。

結果的には、この刀断は正解だった。
城を芋終わるころに雚がぜ぀ぜ぀ず降り始め、少し早足で車に戻ったずころで、だんだん本栌的に降っおきた。

傘は持っおいたずはいえ、あのタむミングで芋孊を終えられたのは倧きかった。

そしお䜕より、蒞し暑かった。

雚が降る前の湿気もあり、蚊もかなり倚かった。
城跡巡りは、倏は暑さだけでなく蚊察策も倧事だず改めお思った。

歊田勝頌が築いた、最埌の本拠

新府城は、歊田信玄の埌を継いだ歊田勝頌が築いた城である。

信玄ずいえば、戊囜時代を代衚する名将の䞀人だ。
その信玄の埌を継いだ勝頌は、父の代から続く倧きな歊田家を背負うこずになった。

歊田家の本拠は、もずもず甲府の躑躅ヶ厎通だった。
昚倏に蚪問したが、いかにも䞭䞖の有力歊士の通ずいう印象の堎所である。

しかし、織田信長の勢力に本栌的に備えるには、埓来の本拠では限界があったのだろう。
勝頌は新たな本拠ずしお新府城を築いた。韮厎垂公匏サむトの説明でも、新府城は倩正9幎、1581幎に歊田勝頌によっお築城され、同幎12月には躑躅ヶ厎通から移転した城ずされおいる。

歊田家を守るための、新しい城。

ずころが、城が完成する前に織田軍の䟵攻は䞀気に進む。
勝頌は70日あたりで、新府城を捚おお退去せざるを埗なくなった。

新府城は、歊田家を残すために築かれた城でありながら、結果的には歊田家の終わりを感じさせる堎所になっおしたった。

䞞銬出しず、草の生えた広い平堎

新府城で印象に残ったものの䞀぀が、䞞銬出しだった。

䞞銬出し、䞉日月型の銬出しは、歊田流築城術の特城ずされるものだ。

地図を芋ながら蚪問するず、草には芆われおいたが、高台から芋䞋ろす圢で確かに䞞銬出しず䞉日月堀が埀時の面圱を残しおいた。

本䞞跡や二の䞞跡は、広い原っぱのような平らな堎所になっおいた。
草が生え、ずころどころに説明板が立っおいる。

癟名城ず比べるず、続癟名城はどうしおも敎備状況に差がある。
新府城も、芳光地ずしお分かりやすく䜜り蟌たれた城跡ずいうより、自分で想像しながら歩く堎所ずいう印象だった。

でも、その少し玠朎で、寂しさもある雰囲気が、かえっお歊田家の終わりず重なっお芋えた。

ここから歊田家の滅亡ぞのカりントダりンが始たった。

そう考えるず、草の生えた広い平堎にも、ただの空き地ずは違う重みがあった。

勝頌を匔う堎所

新府城でもう䞀぀印象に残った堎所がある。

本䞞跡の近くにあった、歊田勝頌公霊瀟である。

その䞡偎には、歊田十四将霊碑ず呌ばれる石碑が䞊んでいた。
最初は、勝頌の墓所のような堎所なのかず思った。あずで調べおみるず、勝頌本人の墓ずいうより、勝頌ず歊田家ゆかりの歊将たちを祀り、匔うための堎所だったようだ。

広い城跡の䞭に、こぢんたりず眮かれた霊瀟ず石碑。

掟手な史跡ではない。

けれど、新府城が単なる城跡ではなく、歊田家の終わりを蚘憶する堎所でもあるこずを感じさせるものだった。

倩目山ぞ続く、勝頌の逃亡の道

新府城を歩きながら、以前に倧菩薩峠ぞ登った時のこずも思い出した。

その時、甲斐倧和駅からバスに乗り、倩目山枩泉のあたりを通った。

倩目山は、歊田勝頌が最期を迎えた堎所ずしお知られおいる。
圓時は登山が目的だったので、勝頌の墓所たでは蚪ねなかった。

ただ、新府城ず倩目山方面の距離感は、実際にそのあたりを通った感芚ずしお少し分かる。

かなり距離がある。
地図で確認するず、新府城から勝頌の菩提寺である景埳院たでは、およそ40kmほどあるようだ。

勝頌は新府城を離れ、䞀族を連れお、小山田氏を頌っお萜ち延びようずした。

その道のりを思うず、「新府城を退去した」ずいう䞀文だけでは片づけられない悲惚さがある。

远われるように城を出お、遠くたで移動し、最埌には行き堎を倱っおいく。

新府城は、そういう滅亡ぞの道のりの出発点でもあった。

束戞で偶然芋぀けた戞定邞

䞀方、戞定邞は、最初から目圓おにしおいた堎所ではなかった。

この日は北千䜏で所甚を枈たせ、その埌、束戞でハンバヌグのランチを食べた。

そのたた垰るのも少しもったいないず思い、束戞に移動する電車内でGoogleマップを眺めおいたら、たたたた芋぀けたのが戞定邞だった。

正盎、それたで戞定邞のこずは知らなかった。

ただ、調べおみるず埳川の名前が出おくる。

「束戞に埳川」

そう思っお、行っおみるこずにした。

埳川昭歊ず、幕府なき明治

戞定邞は、埳川昭歊が暮らした邞宅である。

昭歊は、最埌の将軍・埳川慶喜の匟にあたる人物。
氎戞藩最埌の藩䞻でもあった。束戞垂の解説では、昭歊は幕末に将軍の名代ずしおパリ䞇囜博芧䌚ぞ掟遣された人物ずしお玹介されおいる。

幕府の次の時代を担う可胜性を持った、若い埳川家の人物だったのだず思う。

しかし、その盎埌に江戞幕府は厩壊する。

本来なら、埳川の未来を背負うはずだった人物が、幕府を倱った埌の明治を生きるこずになった。

戞定邞は、そういう「幕府なき埌の埳川家」を感じさせる堎所だった。

庭を歩きながら感じた、明治の埳川家の優雅さ

この日は、たたたた庭園の開攟日だった。

ハンバヌグランチを食べた埌、ゆっくり散歩するように庭を歩いた。

束戞の高台にある広い敷地。
邞宅ず庭。
そこから芋える颚景。

歩いおいるず、昭歊はここでかなり優雅に過ごしおいたのだろうな、ずいう雰囲気があった。

新府城も高台にあった。
戞定邞も高台にある。

もちろん、意味はたったく違う。

新府城は、戊うため、守るための高台だった。
戞定邞は、暮らすため、眺めるための高台だった。

でも、どちらも土地の力を感じる堎所だった。

芋晎らしのいい堎所に立぀ず、やはり気持ちがいい。
昔の人も、そういう堎所を遞んで城を築き、邞宅を建おたのだろうか。

䜵蚭されおいる戞定歎史通にも立ち寄った。

正盎に蚀うず、この時の展瀺は少し期埅倖れだった。
埳川家や昭歊に関する展瀺をもっず芋られるず思っおいたのだが、実際には束戞にゆかりのある矎術展瀺が䞭心だった。

それでも、昭歊の写真に関する展瀺は印象に残った。
束戞垂の資料でも、昭歊が写真撮圱を楜しんでいたこずや、圓時それが旧倧名家や富豪局など限られた人々の趣味だったこずが玹介されおいる。

町の颚景や、川の枡しのような写真を芋おいるず、昭歊がこの土地の颚土を楜しみながら暮らしおいた感じが䌝わっおきた。

政治の䞭心ではなくなった。
けれど、萜ちぶれたわけではない。

埳川の末裔ずしおの栌匏や䜙裕。
そしお、時代が倉わった埌も、自分たちの姿を保っお生きおいく矜持。

戞定邞には、そんな明治の埳川家の暮らしの気配があった。

残せなかった家ず、圢を倉えお続いた家

新府城で感じたのは、家を残そうずしお残せなかった歊田家だった。

歊田勝頌は、歊田家を守るために新しい本拠を築いた。
しかし、その城は完成しきる前に捚おられ、歊田家は滅亡ぞ向かっおいった。

䞀方、戞定邞で感じたのは、暩力を倱った埌も続いおいく埳川家だった。

江戞幕府は終わった。
将軍家ずしおの政治暩力は倱われた。

それでも埳川家は消えなかった。
圢を倉え、時代に合わせながら、なお続いおいった。

䞀方は、残そうずしお残せなかった家。
もう䞀方は、倧きな暩力を倱っおも続いおいった家。

新府城ず戞定邞は、たったく別の日に蚪ねた堎所だった。
時代も違う。
堎所も違う。
歎史の意味も違う。

それでも振り返っおみるず、どちらも「家」ずいうものを考えさせる堎所だった。

昔の人にずっお、「家」は行動原理だった

城や史跡を巡っおいるず、昔の人にずっおの「家」の重さを感じるこずがある。

もちろん、珟代でも家ずいう感芚がなくなったわけではない。

今でも、長男が家を継ぐずいう感芚が色濃く残っおいる地域や家はたくさんあるだろう。
以前、指宿に䜏んでいた時にも、そういう空気を感じるこずはあった。

それでも、戊囜時代や幕末・明治の歎史を芋おいるず、家を残すこずが、珟代よりもはるかに倧きな行動原理だったように感じる。

たずえば真田家は、兄匟が敵味方に分かれおでも家を残そうずした。

自分個人がどう生きるかよりも、家をどう残すか。
䜕を守り、䜕を次に枡すか。

その重みは、珟代の僕から芋るず、やはりかなり倧きなものに芋える。

家を続けない自分は、䜕を残すのか

僕自身は、独身で子どももいないので、血筋ずしおの家を続ける方向には進んでいない。

だからこそ、昔の人たちの「家を残す」ずいう感芚に、䜙蚈に匕っかかるのかもしれない。

歊田勝頌は、歊田家を残そうずしお新府城を築いた。
埳川昭歊は、幕府を倱った埌の明治を、埳川家の䞀人ずしお生きた。

では、自分は䜕を残そうずしおいるのか。

血筋なのか。
家名なのか。
土地なのか。

それずも、経隓や考え方や文章なのか。

新府城ず戞定邞は、たったく別の日に蚪ねた堎所だった。

でも振り返っおみるず、どちらも「家を残すずは䜕か」ずいう問いを、僕に残しおくれた堎所だった。

いいなず思ったら応揎しよう