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天才は、空いた時間にアートに触れる

天才と呼ばれる人たちは、空いた時間に何をしているのだろう。そう考えることがあります。

ずっと仕事をしているわけではありません。机に向かい続け、専門分野のことだけを考えているわけでもないようです。絵を見たり、音楽を聴いたり、小説を読んだりする。本業とは関係のないことに、案外多くの時間を使っています。

考えてみれば、少し奇妙なことです。仕事で結果を出したいなら、その仕事だけをやったほうが効率がいいはずです。ピアニストならピアノを弾き、科学者なら論文を読み、経営者なら経営書を読む。そのほうが、よほど理にかなっています。

でも、人間の頭というのは、どうもそんなに単純にはできていないようです。

同じことばかり考えていると、だんだん同じところを歩くようになります。同じ道を何度も往復しているうちに、そこに別の道があったことさえ忘れてしまう。

そんなとき、一枚の絵を見る。

あるいは、知らない音楽を聴く。

すると頭の中に、それまでなかった小さな窓が、そっと開くことがあります。

もちろん、絵を見たからといって、翌日の仕事が急にうまくいくわけではありません。美術館へ行った翌朝、素晴らしいアイデアが十個も浮かんでくるわけでもない。そんな便利なものなら、美術館はもっと混んでいるでしょう。

でも、何かは残ります。

色の組み合わせだったり、妙な形だったり、作品の前に立ったときの、言葉にならない感覚だったりします。それが、頭のどこかに引っかかる。そして、ずっとあとになって、まったく違う場面でひょっこり出てくるのです。

私は絵を描いているので、アートに触れることは、いわば本業そのものです。だから最近、ときどき考えます。

では、私にとっての「専門外のアート」とは、いったい何だろう、と。

音楽かもしれません。小説かもしれません。映画かもしれない。古い街を歩くことかもしれない。まったく知らない分野の本を読むことかもしれません。

大事なのは、それがすぐに役に立つかどうかではないのでしょう。むしろ、「何の役に立つのかわからないもの」に触れることにこそ、意味があるのかもしれません。

役に立つものばかり集めていると、頭の中もだんだん役に立つものだけになっていきます。でも、新しいものをつくるには、ときどき役に立たないものが必要です。

絵を一枚見る。

音楽を一曲聴く。

知らない街を歩いてみる。

その時間には、何も起きていないように見えます。

それでも、頭の中には、小さな種のようなものが残っています。

いつ芽を出すのかは、わかりません。

たぶん、そのくらいでちょうどいいのです。

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