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天皇制を批判することと、血統を理由に人を差別することは別である――本田由紀氏の発言について

本田由紀氏のX上の発言が問題になっている。

本田氏は、ある投稿を引用したうえで、「この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる。露出の増加が逆効果になるかもしれない」という趣旨の発言をしている。

この発言については、さまざまな批判が出ている。私も、この発言は看過できないと思う。

ただし、ここで私が問題にしたいのは、「皇族を批判してはいけない」ということではない。むしろ私は、天皇制そのものを批判する立場にある。

天皇制は、出生と血統によって人間を特別な地位に置く制度である。

本人が何をしたか、どのような能力を持っているか、どのような人格であるかとは別に、「誰の子として生まれたか」によって、その人の社会的な位置が決められる。

私は、このような制度そのものに強い疑問を持っている。

しかし、だからといって、その制度の中に生まれた個人を、その「血筋」や「遺伝」を理由に否定してよいことにはならない。

むしろ、ここは厳密に区別しなければならない。

「天皇制が問題だ」と「この人の遺伝が恐ろしい」は違う

たとえば、「天皇制という制度を廃止すべきだ」「皇族という身分制度そのものに反対する」「生まれによって特別な地位を与えることに反対する」という主張は、明確な制度批判である。

それに対して、「この人たちは遺伝的に恐ろしい」という言い方は、制度ではなく、そこに生まれた人間そのものへと批判の矛先を向けている。

しかも、その根拠として「遺伝的要因」を持ち出している。

ここには、私は大きな問題があると思う。

人がどのような家に生まれるか、どのような遺伝的特徴を持って生まれるかは、その人自身が選択したものではない。にもかかわらず、そのような生得的な属性を「恐ろしい」と評価する。

これは、単なる政治的批判でも、天皇制批判でもない。少なくとも、差別的な発言と批判されても仕方のない表現である。

血統によって人間を評価する論理から、どうして抜け出すのか

ここには、天皇制批判にとって非常に重要な問題がある。

天皇制の何が問題なのか。

私は、その一つは「血統によって人間を特別扱いすること」だと考える。「この人は天皇の子孫だから特別だ」「この家系に生まれたから特別な地位につく」という考え方である。

ところが、天皇制を批判する側が、「この人はあの家系だから遺伝的におそろしい」「この血筋だから問題がある」と言い始めたら、どうなるだろうか。

それは、天皇制とは反対の立場に立っているようでいて、実は同じ論理を共有してしまっているのではないか。

つまり、「人間は、その人が何をしたかではなく、どの血筋に生まれたかによって評価できる」という論理である。

天皇制は、その論理によって「上」に人間を置く。しかし、「あの血筋だから下だ」と言ったとしても、血統によって人間を評価するという原理そのものは変わらない。私は、ここに非常に危険な逆説があると思う。

「皇族だから尊敬しろ」も「皇族だから侮辱してよい」も同じではないか

もちろん、皇族も批判されてよい。皇族であっても、一人の人間として、その言動を批判されることは当然である。また、天皇制という制度については、いくらでも厳しく批判してよい。

しかし、「皇族だから尊敬しなければならない」という考えと、「皇族だから、その血筋や遺伝について侮辱してよい」という考えは、本当に正反対なのだろうか。

私は、そうは思わない。どちらも、「皇族である」という出生上の属性によって、その人に対する扱いを決めているからである。

前者は出生を理由に人間を上位に置く。後者は出生を理由に人間を下位に置く。しかし、どちらも「生まれ」を人間評価の根拠にしている。

だからこそ、私は後者にも反対する。

「差別だからいけない」だけでは足りない

今回の問題を「差別発言だからいけない」とだけ処理することにも、私は少し違和感がある。もちろん、差別的な言説は批判されなければならない。しかし、なぜ差別なのか。

その根底には、人間を「査定する」という発想があるのではないか。

この人はどのような人間なのか。どのような遺伝的特徴を持っているのか。その特徴は望ましいのか、望ましくないのか。望ましくない特徴なら、それを持つ人が人前に出ることは好ましくないのではないか。このように、人間を属性によって分類し、その属性を基準として存在のあり方を評価する。

私は、このような発想そのものを警戒したい。

それは、障害者差別や優生思想を考えるときにも、非常に重要な問題である。「その人が何をしたか」ではなく、「その人がどのような人間として生まれたか」を評価する。そして、そこから「このような人間は増えない方がよい」「このような人間は目立たない方がよい」という方向へ進んでいく。

そこには、優生思想と重なる危険な構造がある。

私は天皇制に反対する。だからこそ、血統による人間評価にも反対する

私は、天皇制を批判する。それは、天皇制が出生と血統によって人間を特別な位置に置く制度だからである。そして、私は、天皇制を含め、社会のさまざまなところに存在する「生まれによって人間を評価する構造」を批判したい。

だからこそ、「皇族なのだから尊敬しなければならない」という考えにも反対するし、「皇族なのだから、その血筋や遺伝を理由に侮辱してよい」という考えにも反対する。

これは、皇族を擁護することとは違う。人間を血統によって評価することそのものに反対しているのである。

天皇制を批判するために、血統による人間評価を持ち出してはいけない。天皇制を批判するならば、むしろ「生まれによって人間を評価する」という論理そのものを解体しなければならない。

本田氏の発言について私が問題だと思うのは、まさにこの点である。天皇制という制度を批判することと、その制度の中に生まれた人間を「遺伝的要因」によって評価することは、まったく別の問題である。そして私は、人間の存在を、本人が選ぶことのできなかった出生や遺伝によって査定することには反対する。

天皇制に反対するからこそ、である。

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