スマホとカメラ、二つの時間|写真を撮る、見る、考える
最近、Pentax Q-S1を持ち歩いている。
レンズ込み245gの重量はスマホと変わらない。
サイズも手の中に収まる。携帯性は抜群だ。
するとこんな声が聞こえてくる。
「それってスマホでいいのでは?」
何度も語られてきたテーマだ。
例えば、スマホがカメラとして優秀であること。
新機種が出るたびに、カメラ性能の向上が目玉の一つになる。
あるいはカメラがカメラとして優秀であること。
カメラにしかない性能や操作感について語る人も多い。
そんな中、スマホがスマホとして優秀であること、についてはあまり話題にならない。
それって写真にどう関係あるのか。
ここでまとめてみたい。

1. スマホの得意と不得意
今やスマホにできないことを探すのが難しいくらい、スマホは万能のデバイスだ。
通話やチャットの他に、SNSの閲覧・発信、ウェブでの調べ物、決済、動画再生、AIとの会話。挙げればキリがない。
ではスマホでやらないことは。
例えば、職場の資料の作成。
やってやれないことはないけど、自席のPCを使うのが一般的だろう。
例えば、映画鑑賞。
もちろん視聴は可能だけど、タブレットやテレビを使う方が一般的に思う。
これらに共通することはなんだろう。
専用のデバイスの方が快適に使えるのは間違いない。
けれどもう一点、まとまった時間没頭したい作業、という面がある。

2. スマホに紐づけられた日常
なぜ没入する作業にスマホが向かないか。
スマホを長時間見ること自体は普通だ。
ただ、ある程度の時間他のことを忘れて集中したい作業となると話が変わってくる。
これは、日常の時間と強くリンクした、短時間の作業がスマホの重要な用途だからではないだろうか。
電話の通話、仕事のメール、昼の店探し、目的地までのルート確認。
スマホは、その場ですぐに対応する作業に欠かせないデバイスだ。
けれど、昼の店についてチャットしながら仕事の資料を作りこむのは難しい。
映画の途中で仕事のメールの通知が来たら、開けずにいられる自信がない。
スマホの画面が映すのは、逃れられない日常の連続だ。
通知を切ってみたらどうか?それはスマホの本来の役割も切ってしまうことになる。
大事な知らせはスマホが教えてくれるはず、そんな保証がなくなった時、心のどこかを不安が占める。
電波の届かない場所を歩くような。
スマホがスマホとして、万能の携帯機器として優秀であるほど、向いていない作業ができてしまう。

3. 「スマホに向かない」写真
では写真はどうか。
多分、写真の種類にもよるだろう。
例えば、バスの時刻表の写真。
子どもが自慢げに持って帰ってきた工作。
さっとスマホで撮って、日常が続いていく。
そんなふうに写真が撮れるのは、スマホがスマホとして優秀な証だ。
例えば、静かな夜明けの浜辺で日の出を待つ時間。
街の空気に体を溶け込ませて歩くストリート写真の撮影。
構える画面に日常からのポップアップが出てきては、写真との時間が途切れてしまう。
写真撮影を日常とは切り離された時間にしたいなら、小さくてもいい、写真しか撮れないカメラを持つのがいいだろう。
それは機能でも画質でもなく、写真のためだけの時間を提供してくれるデバイスだから。

ファインダーをのぞいていると、時間はあっという間に過ぎてしまう。
ポケットからスマホを取り出すと、メールにSNS、何件も通知が入っていた。
カメラをカバンにしまう。
ここからは日常の時間だ。
