「普通」という奇跡
「何も起こらない一日だった」と、日記に一行だけ書いてペンを置く夜がある。仕事は可もなく不可もなく進み、途中で買った缶コーヒーは少しぬるく、夕方には見慣れた道を歩いて帰ってきた。ドラマも、大事件も、劇的な出会いもない。
若い頃、こうした「何も起こらなさ」は、どこか退屈で、自分だけが世界の中心から取り残されているような焦りを連れてくるものだった。もっと波乱に富んだ、スクリーンに耐えうるような人生のほうが、生きている実感に満ちているのではないか。そんな青い憧れを抱いた時期も確かにあった。
けれど、歳月を重ねるにつれ、その「何も起こらなさ」の背景にある膨大な奇跡に目が向くようになる。
事故にも遭わず、病に倒れることもなく、今日という時間を無事に終えられたこと。決まった時間に電車が走り、水道をひねれば水が出て、温かい布団で体を休められること。
「普通」とは、何もしなくても自動的に用意される背景ではない。無数の人々の静かな仕事と、ほんの少しの運、そして幾重もの災いをかいくぐった果てに、奇跡的に成立している綱渡りのような均衡なのだ。
人は激しい嵐の中にいるとき、生き延びることに必死で、風の匂いや夕焼けの美しさを味わう余白を失う。一方で、穏やかな日常という土台があって初めて、私たちは「土曜日の朝の日差し」や「誰かと分け合った惣菜の温かさ」といった、人生の繊細な味わいに気づくことができる。
劇的な出来事は人生のハイライトかもしれないが、人を真に支え、深く満たすのは、ハイライトの合間に横たわる静かな時間の方ではないだろうか。
何の変哲もない今日という一日を無事に終え、静かに息を吐き出す。そのささやかで揺るぎない営みこそが、私たちが手にできる最も贅沢な奇跡なのだと思う。
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