卒アルを眺めて
今年のお盆で実家に帰省している間の僕のやることと言えば、小中時代の卒アルを眺めていることだった。
前までは恥ずかしくて見れないとか思ってたのに、今年はなぜか、ちょっと羞恥心はあったけど今までより見れるようになった。もしかしたらもう僕はそれなりの大人になってしまったのかもしれない。
小学校を卒業してもう10年経った。この10年間は筋トレを始めたり、YouTubeを始めては辞めたり、noteを引退して復活したりと、いろいろあった。
みんな今は何してるのだろうか。それなりに自由になった大人という時間を満喫しているのだろうか。もしくは、誰が決めたのかもわからない、大人としての責任みたいなものに喘いでいるのだろうか。
小学校の頃の卒業文集には、みんなの将来の夢が書いてあった。ちなみに僕は、当時やってたスノボの選手になることが夢だった。オリンピックで金メダルを取るのが夢だった。
今はもうスノボはやってないからその夢は儚く散ってしまった。代わりになりたいものはある。けど今それはスランプみたいなのにハマって全くやる気が起きないからそれも叶えられるかは怪しい。
Creepy Nutsの曲で一番好きなのは、「かつて天才だった俺たちへ」である。10年前、夢を語っていたみんなは、似たような形に整えられてしまったのだろうか。何者かになりたいみたいな、みんな中学で卒業したようなことを言ってるのは僕だけなのだろうか。みんなそれなりに現実的に生きるようになったのだろうか。
文集の最後のページには、〇〇しそうなランキングが書いてあった。僕は、有名になりそうな人、お金持ちになりそうな人ランキングでは堂々の第一位だった。けどそれ以外の、早く結婚しそうとか、中学でモテそうとか、先輩に可愛がられそうランキングとかでは圏外だった。とんでもなくピンキリな男である。
半分くらい当たっている。中学、なんなら高校でも一切モテなかったし、早く結婚できる可能性も現時点では低い。ならばお金持ちと有名は当てに行くしかない。そして有名になった時の逸話としてこのことを話す。こんな小学校の文集に書かれていたようなことを今書いてしまった。
僕の場合、記事を書けば書くほど他人の目を気にするようになる。絵だってそうだ。最初に描いた摸写の一部を前のアカウントで晒し出すくらい、人の目を気にしていなかったのが、最近は自分で描いてて恥ずかしくなることが多くなった。
人生もそうなのかもしれない。生きれば生きるほど、他人の目を気にし始め、自分の夢を諦めてしまう。
僕はそれをもったいないと思う。夢を変えるのはいいと思うけど、夢を追うのを諦めたくはない。
夢を諦めた先はドパガキ化することかもしれない。やることがないからスマホでYouTubeやらTikTokやらをだらだら見るという生活。それだけにはなりたくない。
