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年間120冊が、僕の読書量の限界らしい

読書家であれば、他人の読書スタイルが気になるもの。自分のスタイルと似通っている場合は共感するし、全然違う人のスタイルには、そういうやり方もあるのか、と興味深く感じたりする。

自分の場合、読んだ本をカウントしているのだが、だいたい年間100冊〜120冊のあいだに綺麗におさまる。仕事や余暇などの時間を考慮すると、だいたい年間で読める限界がこのぐらいらしい。

なので、年間100冊以上読んでいるという人を知ると、どうやったらそんなことが可能なのか? と興味が湧く。ここ10年ほどで、自分の場合は年間126冊がマックスである。これを超えるにはどうしたらいいのか、と。

そもそもの話、1年間で300冊以上読むというのは物理的に可能なのだろうか。本を読むペースは人それぞれだし、そもそも本によって読了にかかる時間は大きく異なる。

入り口あたりの島で平積みされている自己啓発的な本であれば、1時間も経たずに読めてしまうが、レヴィ=ストロースの本とか、ジャレド・ダイアモンドの本のような、かなり骨太な文化人類学的な本になると、読了までに5時間以上はかかるはず。

読んだ本の冊数をカウントしていく最大のボトルネックはここにある。冊数を数えるようになると、「重い本」にはあまり手が伸びなくなるのだ。

最近だと、「万物の黎明」という本を読んだのだけれど、700ページを超える大著で、内容も重厚なので、毎日読んでいるのに読了まで2週間ぐらいかかってしまった。

それでも1冊とカウントするので、人によって読書冊数に開きが生まれるのは当然だ。そう考えると、1年間に300冊以上読むような人は、自己啓発的な本や、軽めの小説が大半になることは仕方がないことなのかもしれない。

自己啓発本よりもさらに軽い、エッセイ的な本とか、最近はエッセイなのか自己啓発なのかよくわからない、その中間のような曖昧なジャンルの本も多いので、そういったものを読んでいけば、100冊以上はなんとか読めるかも。

とにかくたくさんの本を読んでいる読書ジャンキーによる感想は、とにかくたくさんのことに「気づいて」、「考えさせられている」といったものが多い。これは一見するといいことのようにも思えるのだが、「気づき」「学び」といった簡単な言葉で「処理」しているだけのような気もしてくる。

何かに気づき、何かについて考えさせられるという行為の中毒症状が出てしまっているということ。

読書というのは、本来、批判的に読むべきものであり、そこに書いてあることが本当なのか、という形で頭を働かせないと、内容を理解したとは言えないのでは、と思っている。

何かに気づいたり、何かに感心したり、感動したり、驚かされたり、考えさせられたりするというのは、実は読書の醍醐味ではないのではないか……、というのが、いま僕が感じている感覚のひとつ。

それができるのは年間100冊あたりが限度で、それ以上になると、片っ端から「処理」していかないと間に合わない。それだと、「咀嚼」をする時間がとれないな、と。

もっとも、読書スタイルというのは人それぞれなので、この意見は完全に野暮だし、余計なお世話だろう。しかし自分も読書ペースを「冊数」で測っているところであるので、この「本によってかかる時間がまちまちすぎる問題」は結構悩みのタネではある。

重い本と軽い本をいい具合に組み合わせるのが読書を味わい尽くすコツになるのだろうか。そうなると、自分はやっぱり年間100冊ぐらいになってくるのかな。

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