短編小説 星々の遺物
北アフリカ、タシリ・ナジェールの洞窟の奥深く。アーサー・ペンハリゴンは、塵まみれのツイードのジャケットを乱すことも厭わず、懐中時計で正確に時間を計っていた。
彼はオックスフォードの大学院を「学説にそぐわない異端の論文」のせいで追い出されて以来、独学で考古学を修めてきた男だ。無骨なまでに真面目で、冗談一つ言わないその堅物さは、学会から「真実から目を逸らす盲目」と揶揄されていた。だが、アーサーは信じていた。目の前に広がるこの壁画こそが、文明の夜明けに舞い降りた星々からの来訪者の証拠であると。
「……計算通りだ。夏至の正午、太陽が岩の割れ目から差し込む」
彼は震える手でカメラを構えた。光は壁画の「宇宙人」の輪郭をなぞり、まるで彼らが、その場で浮遊しているかのような立体感を演出する。完璧な計算だ。古代人が単なる原始人であるはずがない。これは、天体観測と幾何学を極めた高度な知的生命体による、地球という星への記念碑なのだ。
アーサーは、壁画の足元に転がっていた、かすかに虹色に光る微細な結晶体を慎重に回収した。これは高度なレンズ、あるいは記憶媒体に違いない。
彼はそれを「星々の遺物」と名付け、ロンドンの研究室へと持ち帰った。
ロンドンの研究室。アーサーは超音波洗浄器とレーザー分光分析器を用い、極めて厳格なプロトコルに従って分析を開始した。しかし、装置のレーザーが結晶体の残留物に反応した瞬間、高濃度の胞子を含む揮発成分が気化し、部屋に充満した。
アーサーは、自身の視界が歪み、巨大な宇宙人が目の前で儀式を執り行っているのを見た。彼は少しも疑わなかった。自身の分析器が、数千年の時を超えて古代のホログラムを復元したと確信したのだ。
彼は夢中でノートにペンを走らせた。
『記録:異星文明との接触成功。彼らは極めて友好的であり、私にビスケットを勧めてきた。……素晴らしい。この空間の歪みは、彼らの母船の重力制御によるものだ』
カメラのシャッターを切る。記録用に動画も回していた。しかし、そうした記録媒体に映っていたのは、虚空を見つめて独り言を呟き、何もない空中に「どうぞ」とビスケットを差し出す仕草をする、ツイード姿のアーサー自身の姿だけだった。
一時間後、換気設備が作動し、成分が霧散した。現実に戻ったアーサーは、モニターに映る「惨めなほど滑稽な自分」の姿を呆然と眺めた。そして、先ほど書いたばかりのノートのページをめくり、自分の筆跡を見て凍りついた。
『彼らは極めて友好的であり、私にビスケットを勧めてきた』
その瞬間、アーサーの脳裏に、一万年前の洞窟が浮かんだ。
あの巨大な頭も、宙に浮く身体も、異様な躍動も──宇宙人ではない。幻覚に支配された若者が、酩酊した部族の長老か何かを見ていたのだ。そして今、自分もまた、何もない空間にビスケットを差し出していた。
アーサーは、震える手でノートの最後のページに報告書を追記した。
【実験報告書:記録者 A.ペンハリゴン】
調査対象:
タシリ・ナジェール出土の遺物
観察結果:
証拠映像A、並びに静止画B~Jのとおり
遺物の正体:
発光性キノコ(幻覚成分を有する)を混合するための石皿
発生事象:
実験過程において残留成分が気化し、重度の幻覚を誘発。
結論:
洞窟壁画の「異星人」は、一万年前の作成者が摂取したキノコによる視覚認知の錯誤である可能性が極めて高い。
特記事項:
当該錯誤は、一万年後の現代においても、極めて堅実な考古学者の脳内で正確に再現された
アーサーはペンを置くと、深くため息をついた。 彼は引き出しの奥深くから、三十年前に「古代宇宙飛行士説」を唱えて却下された博士論文を引っ張り出した。
そしてその隣に、今回の報告書を静かに重ねる。
「……このキャビネットだけは、私を受け入れてくれるらしい」
彼は冷めきった紅茶を一口啜り、ロンドンの曇り空を見上げた。
「それでも……どこかにはいるさ……」
いいなと思ったら応援しよう!
記事が「いいな」と思っていただけたら「心付け」よろしくお願いします!
犬や猫などの動物保護活動に使わせていただいております!
¥300でノミダニ忌避薬が1か月分買えます!
