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「解像してるね」で終わる写真は、意外と記憶に残らない〜毛の一本一本より、大切なもの〜

野鳥や動物を撮っていると、一度は思うのが「鳥の羽毛を解像させたい。」「動物の毛並みを一本一本まで写したい。」だ。

私もそれが最初に思った事だったし、新しいカメラやレンズを試す度に100%等倍でで見比べ「こっちの方が解像してる」「あと少しシャープなら…」など、そんなことばかり考えていた時期があった。

沢山写真を撮ってくるとそれは写真の本質ではなかったという事に気付く。

確かに、羽毛の一本一本まで見える写真は最初は「おお!」と思う。

SNSなど貼って「すごい解像感ですね」みたいなコメントを貰うと嬉しかった。
ただ、それ以上の感想が出てこないことも事実だ。

背景は毎回同じで構図も似たようなもの。
図鑑構図の写真からは何も物語が伝わってこない。
そんな写真は「解像してるね」で会話が終わってしまう。

誤解を恐れずに言えば解像感は少し甘いと思う写真でも構図や背景とのバランスにより見る者の心に残る作品はたくさんある。

背景や光、空気感、その瞬間にしかない物語。

例えば吹雪の中、身を寄せ合うエゾリス、強い雨に濡れながらヒナの為に餌を探す野鳥、夕日に照らされたキタキツネの一瞬の表情など

全てが正解でもないけどそういう背景や構図で撮れた写真は、解像感以上に自分の心を動かす。

野生動物の写真コンテストでも、高く評価されるのは図鑑構図で解像した動物の写真より光と構図を工夫した作品だと思う。

もちろん、写真を撮る上で解像感(ピント)は大切だ。
なんか甘い写真よりは、ピントがしっかり合っている方がいいに決まってはいるり
でも、それはあくまで写真の評価を決める要素の一つでしかないという事に解像マニアは気付かない。

写真全体を100点満点で評価するとしたらその中で解像感の要素はせいぜい10〜20点分くらいだろう。

残りは光や背景、構図、タイミング、そして何を伝えたいかなどのコンセプトなどの方が写真の価値を決めている。

ここからはかなり主観的な話しになるがカメラメーカーにも、それぞれ少しずつ個性があると感じている。

私の印象では、Nikonは細部までしっかり描写する方向で解像度の高い写真を好む人はNikonを選びがち。

実際フィールドなどで野鳥や動物を撮る人の中にNikonユーザーが多いのも、その描写が好きだからという人は少なくないだろう。

Canonはピントの芯はしっかりしながらも、人をきれいに見せる描写が得意な印象がある。
ポートレートやスポーツで長年王者として支持されてきた理由も、そのあたりにあるように感じる。

SONYは高い解像性能と優秀なAFを高いレベルで両立していて、総合力では非常に完成度が高い。
メイン機で愛用しているが、それでも個人的に純粋な解像感だけならNikonに一歩分の魅力を感じることがあるのでNikonのZカメラも使っている。

もちろん、これは実際に使ってきた中だけの非常に偏った感想だという事をお断りしておく。

SNSなどのゆっくり写真を見ないような環境、一瞬で写真が消費されていくような場所では「解像していない写真は失敗作」と考える人も見かける。

でも、それは少しもったいないと思う。
例えばポートレートなら、解像しすぎることで見えなくてもいいシミやシワまで克明に写ることがある。

結局現像で修正するくらいなら、最初から人物が自然に見える描写のカメラを選ぶという考え方もある。

撮る被写体により丁度良い描写の基準は違い、解像力は、高ければ高いほど正義というものではない。

私も野鳥を撮るので、羽毛がきれいに写るとうれしいから解像感を否定するつもりはまったくない。

ただ、長く写真を続けてきて思う事は、最後まで見返したくなる写真は解像している写真ではなく「あの日、あの瞬間に撮れた。」そんな写真を見ると甦る記憶と物語が写っている写真だ。

ここ最近で自分が記憶に残る写真を紹介したい。

ドブネズミの赤ちゃんに襲いかかるアオダイショウ
間一髪お母さんネズミが子供も救出
ヘビも追ってくるが子供を守る為、必死で逃げるネズミのお母さん
なんとかヘビの襲撃から逃れたドブネズミ親子、しかしお母さんには子供を守る為、ヘビと格闘した血の跡が

解像は、あくまで写真を引き立てるための一つの要素。

主役になるべきなのは、やっぱり写真そのものなんだと思う。

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