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心を差し出せ

人間関係というのは取引みたいなものだと思う。
お金を差し出せば品物が得られるように、心を差し出せば関係が得られる。
基本的には、心を差し出した分だけ得られるものが多くなるだろう。
逆に何も差し出さなければ、宝くじにでも当たらない限り、何か得られることはない。

だから、人々は関係の中で積極的に心のような何かを差し出すのだと思う。
この際、それが真に心であるか否かはどうでも良い。
相手が望む心を差し出しているように見えれば構わないのだ。
それで相手は満たされるし、こちらを掌握して上に立てた気になれるから。
大事なのは都合が良いかどうか。
双方にとって都合が良ければ報酬として関係が生じるし、その状態が長く続ければ関係が積み重なって強固なものとなるだろう。
逆に、それ以外の場合は基本的には関係は生じないと思う。
特に、双方にとって都合が悪い場合は、既に関係が積み重なっていた場合でも崩れていくし、それがすべて崩れれば関係が破綻するのだろう。

人間関係が上手い人は、相手が望む心を察知し、それに見合った心を少ない労力で偽造することに長けているのだと思う。
本心を表すなんて馬鹿げた真似はしないし、労力もかけないで上手くこなすので、楽に人間関係を得られる。
上手くやれば相手を依存させて思い通りに制御したりすることも可能である。
逆に人間関係が下手な人は、相手の望む心を察知できなかったり、察知しようとしなかったりする。
察知しても、それに見合うような心を偽造することに抵抗を感じたり、労力を費やすのでそれで精神を削るような場合も含まれるだろうか。
だから人と衝突ばかりしたり、人と関わることに疲れたり、ひとりでいたいと思うようになるのだろう。

上手いか下手かを決める主な要因は、遺伝や環境だろうか。
環境が良くても、先天的な性質が原因で人間関係が上手くこなせないことは十分に考えられるし、その逆もまた然りである。
でも、生きていく中で偶然何かに掬われれば、それがきっかけとなって上手くなることも考えられる。
若ければ若いほど、脳が柔らかいので変容できる確率は高いだろう。
このとき大事なのが、自分で自分が下手であると決めつけないことである。
決めつければ、それが先入観として己の足枷になり、下手であることに囚われてしまうから。

私はもうそこに囚われてしまった。
自分は人と上手く関われないのだと長年かけて断罪してしまったことで、その思い込みが己の至る所に蔓延り、己の一挙手一投足を監視している。
それで人と関わることから逃げてきたので、心を差し出す気も勇気もなければ、上手くやる方法も分からない。
それが思い込みをさらに強固なものにしていくループの中に閉じ込められている。
時間だけは過ぎていくし、年齢とともに脳は硬くなっていく。
少しずつ着実に可能性は閉ざされているし、既に正攻法では行き詰まりなのが目に見えている。
あとは、閉ざされていく可能性の中で、抜け道を探すしかない。
出来なかったら、もう神になるしかないかな。

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