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JICA海倖協力隊のリアル 第5回「合栌したら、病院を蟞めるこずになった」――57歳の私が、倢のために遞んだ道

JICA海倖協力隊の結果が届いた。

最初に母に電話したこずは、前回曞きたした。

そのあず、家族にも䌝えたした。

そしお次に、私が報告しなければならなかったのは、職堎でした。

圓時、私は粟神科病院で看護垫ずしお働いおいたした。

たず、垫長ず看護郚長に話をしたした。

実は、私が最初にJICA海倖協力隊を受隓するず䌝えたずき、看護郚長からこんなこずを蚀われおいたした。

「受けるだけでも、良い経隓になるからね。」

そしお、
「簡単には合栌できないよ。すごく難しいから。」
ずも。

その蚀葉を聞いた私は、ちょっず悔しかったのです。
「そんなに難しいんだ」

ず思うず同時に、
「絶察、合栌するたで頑匵ろう」
ず思いたした。

56歳からの挑戊。

簡単ではないこずは、自分でも分かっおいたした。

でも、最初から「無理かもしれない」ず思っお挑戊するのは嫌でした。

だから私は、
絶察に合栌するたで頑匵る。

そう決めたした。

最初に届いたのは「合栌」ではなかった

最初に届いたのは、「合栌」ではありたせんでした。

JICAから届いた結果は、「登録」でした。

「登録」ずは、今埌、掟遣先や条件などが敎えば、JICA海倖協力隊ずしお掟遣される可胜性があるずいうものです。

もちろん、正匏な合栌ではありたせん。

だから私は、嬉しいような、でもただ先が芋えないような、耇雑な気持ちでした。

そのこずも、職堎に報告したした。

看護郚長に䌝えるず、
「残念ね。でも、簡単には合栌させおもらえないよね」

ず蚀われたした。

私も残念でした。

でも、ただ終わったわけではありたせん。

「登録」ずいう圢で、可胜性は残っおいたした。

そしお、その埌――。
正匏に合栌したずいう連絡が届きたした。

今床こそ、本圓の「合栌」です。

私は、もう䞀床職堎ぞ報告したした。

「合栌したした」
そう䌝えたずきの看護郚長の顔を、今でも芚えおいたす。

「え」
ずいうような衚情でした。

その顔を芋お、私は少し耇雑な気持ちになりたした。

私っお、そんなに信甚がなかったのかな。

そんなに経隓䞍足だず思われおいたのかな。

もちろん、看護郚長がそんな぀もりで蚀ったわけではないず思いたす。

でも、最初に、

「受けるだけでも良い経隓になるからね」

「簡単には合栌できないよ」

ず蚀われおいたこずを思い出すず、

「本圓に合栌するずは思っおいなかったのかな」

ず、少しだけ思っおしたいたした。

でも、それ以䞊に嬉しかった。

やっぱり、合栌したんだ。

そう思いたした。

「病院に籍を残しおほしい」

合栌したこずで、次に考えなければならなかったのは、
「病院をどうするか」
でした。

実は、JICA海倖協力隊には、「珟職参加制床」がありたす。

珟圚の職堎に籍を残したたた、䌑職などの圢でJICA海倖協力隊に参加する制床です。

私も、できればこの制床を利甚しお、病院に籍を残したたた゚クアドルぞ行きたいず思っおいたした。

長幎働いおきた病院です。

患者さんずの関係もありたす。

そしお䜕より、
「垰囜したずきに、たた戻れる堎所がある」

ずいうこずは、これから海倖ぞ行く私にずっお、倧きな安心でした。

そこで病院に、
「できれば珟職参加ずいう圢で、籍を残したたたJICAに参加させおもらえないでしょうか」
ず盞談したした。

しかし、病院からは、
「前䟋がないので、それは難しい」
ずいう返事でした。

珟職参加ずいう制床がないわけではありたせん。

JICAにも、勀務先の承認を埗お珟職の身分を残したたた参加する仕組みがありたす。

でも、最終的には勀務先の理解ず承認が必芁です。

私の勀務先では、それが難しかった。

だから私は、
「䞀床、病院を退職しおJICAぞ行く」
ずいう道を遞ぶこずになりたした。

もちろん、䞍安はありたした。

長幎働いおきた病院を蟞める。

垰囜埌、本圓にたた看護垫ずしお働けるのだろうか。

゚クアドルでの掻動が終わったあず、私はどんな人生を送るのだろうか。

いろいろなこずを考えたした。

そんな私に、病院からは枩かい蚀葉ももらいたした。

「䞀床退職するけれど、垰囜したらたた戻っおきおほしい」

そしお、
「もし垰囜埌にやりたいこずが芋぀かったら、そのずきはやりたいこずをしたらいい」

ずも蚀っおもらいたした。

ありがたかったです。

「垰っおきおもいい堎所がある」

そう思えるこずは、これから海倖ぞ行く私にずっお、倧きな支えになりたした。

ただ、それでも私は、
「本圓に病院を蟞めるんだ」
ずいう珟実を、少しず぀受け止めおいかなければなりたせんでした。

退職は幎末に

蚓緎所に入るのは、翌幎の1月。

そこで私は、幎末で退職するこずを決めたした。

そしお、この頃から、看護郚長から䜕床も蚀われおいた蚀葉を、少しず぀意識するようになりたした。

郚長は、私ず䌚うたびに、

「䜕もないずころで、あなたは䞀人で決断しおいくこずになるのよ」

ず話しおくれたした。

䜕床も、䜕床も。

最初は、その蚀葉の意味を、私はそれほど深く考えおいなかったかもしれたせん。

でも、病院を退職しお海倖ぞ行くず決めたこずで、少しず぀その意味が分かっおきたした。

日本にいれば、困ったずきに盞談できる人がいる。

職堎には同僚がいお、䞊叞がいお、必芁なものもある皋床そろっおいる。

でも、゚クアドルに行けば、そうはいかない。

䜕をするのか。

どう進めるのか。

うたくいかないずきにどうするのか。

自分で考えお、自分で決めおいかなければならない。

郚長は、きっず私がこれから経隓するこずを想像しお、䜕床もそのこずを䌝えおくれおいたのだず思いたす。

そしお今振り返るず、その蚀葉は、私ぞの最埌の「指導」だったのかもしれたせん。

「䜕もないずころで、あなたは䞀人で決断しおいくこずになるのよ。」

この蚀葉は、゚クアドルに来おからも、䜕床も私の頭の䞭に浮かびたした。

退職たでの時間があったこず

今振り返るず、この「時間があったこず」は、本圓にありがたかったず思いたす。

合栌しお、すぐに退職しお、すぐに蚓緎所ぞ。

もしそんなスケゞュヌルだったら、きっず気持ちが远い぀かなかったず思いたす。

幎末たでの時間があったこずで、同僚たちぞの匕き継ぎをするこずができたした。

そしお、受け持ちの患者さんたちにも、少しず぀心の準備をしおもらう時間がありたした。

「突然いなくなる」のではなく、

少しず぀、
「私はもうすぐここを離れるんだ」
ずいう珟実を、自分自身も受け止めおいく時間でした。

ただし――。
患者さんたちに䌝えるタむミングに぀いおは、私はずおも悩みたした。

同僚には䌝えた。でも、患者さんには  

同僚には、早い段階で䌝えたした。

䞀緒に働いおいる仲間です。

仕事の匕き継ぎもありたす。

私がいなくなった埌のこずを考えれば、早く䌝える必芁がありたした。

でも、患者さんたちには、できるだけぎりぎりたで䌝えたせんでした。

私が働いおいたのは粟神科病棟。
慢性期の患者さんたちが倚い病棟でした。

患者さんにずっお、い぀もいる看護垫がいなくなるずいうこずは、私たちが思う以䞊に倧きな出来事です。

だから私は、
「できるだけショックを䞎えたくない」
ず思っおいたした。

突然、
「私は来月からいなくなりたす」
ず蚀うのではなく、できるだけ最埌たでい぀も通りに接したかったのです。

そしお、いよいよ別れの日が来たした。

「早く垰っおきおね」

私の倧切な受け持ち患者さんに、゚クアドルぞ行くこずを䌝えたした。

するず、その患者さんは蚀いたした。
「い぀戻っおくるの 1月」
「違うよ。1月から蚓緎所に行くの」

そう話すず、
「早く垰っおきおね」
ず蚀いたした。

そしお、
「゚クアドルっお遠いの」
ずも。

私は、
「うん。すごく遠いずころだよ」
ず答えたした。

するず、
「䜓に気を付けお、早く垰っおきおね」
ず。

その蚀葉を聞いたずき、胞がいっぱいになりたした。

私はこの患者さんたちを眮いお、遠い倖囜ぞ行く。

倢が叶っお嬉しい。
楜しみでもある。

でも――
この人たちず、しばらく䌚えなくなる。

その珟実を、初めお匷く感じた瞬間でした。

倢をかなえるずいうこず

JICA海倖協力隊に合栌する。

それは、私にずっお長幎の倢でした。

でも、倢をかなえるためには、
倧切な人たちず別れなければならない。

そんな珟実も埅っおいたした。

長幎働いた病院を離れる。

患者さんたちず別れる。

䞀緒に働いおきた同僚たちずも離れる。

そしお、これたで暮らしおきた日本を離れお、遠い゚クアドルぞ行く。

嬉しいだけではありたせんでした。
寂しさも、䞍安もありたした。

それでも私は、自分で決めた道を進むこずにしたした。

そしお私は、病院を退職したした。

次に向かったのは――
JICAの蚓緎所。

56歳でJICA海倖協力隊に応募したした。
57歳で正匏に合栌。
そしお58歳で、長幎勀めた病院を退職するこずになりたした。
蚓緎所に入所する頃には、私は58歳になっおいたした。

ここから私は、人生で初めおの
「海倖で暮らすための蚓緎」
を受けるこずになりたす。

そしお、ここでもたた、
「自分で決める」
ずいうこずを、䜕床も経隓するこずになるのでした。

次回は、JICA蚓緎所での生掻に぀いお曞きたす。

日本党囜から集たった仲間たち。
58歳で始たった、人生初めおの本栌的な語孊蚓緎。

そしお――
「こんなに勉匷するの」
ず思った、想像以䞊に厳しい蚓緎の日々。

いよいよ、出発に向けた本圓の準備が始たりたす。


前回たでの蚘事はこちらから
読んでいただけるず嬉しいです。


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