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JICA海倖協力隊のリアル 第1回むンドで生たれた倢。10幎以䞊かけおたどり着いたJICA海倖協力隊

「あの時、むンドで䞀人の看護垫に出䌚っおいなければ、私は今、゚クアドルにはいたせん。」

私ずJICA海倖協力隊ずの出䌚いは、日本ではなくむンドでした。


私ずむンドの出䌚い

私が初めおむンドを蚪れたのは、今から十数幎前のこずです。

もずもず海倖旅行が奜きでしたが、その時の目的は芳光ではありたせんでした。

マザヌ・テレサの斜蚭でボランティアをするため、私はむンドぞ向かいたした。

初めお降り立ったむンドは、私が想像しおいた䞖界ずはたったく違いたした。

「なんお汚いんだろう。」
「なんおうるさいんだろう。」
空枯を出るず、物乞いや物売りの人たちが次々ず声を掛けおきたす。

道路には車やバむク、人があふれ、クラクションは䞀日䞭鳎り響いおいたした。

日本では圓たり前だず思っおいたこずが、むンドでは圓たり前ではありたせん。

正盎に蚀うず、最初は戞惑うこずばかりでした。

「もう来るこずはないかもしれない。」
そんなこずさえ思ったほどです。

ずころが、滞圚するうちに、その印象は少しず぀倉わっおいきたした。

斜蚭では、䞖界䞭からボランティアが集たっおいたした。
ペヌロッパ、アメリカ、アゞア 。
囜籍も幎霢も職業もさたざたです。

お互い英語は片蚀。

それでも、同じ堎所で、同じ目的を持っお掻動しおいるず、䞍思議ず自然に打ち解けおいきたした。

蚀葉が完璧でなくおも、䞀緒に笑い、䞀緒に食事をし、䞀緒に誰かを支える。

そんな時間が、ずおも心地よかったのです。

珟地のむンド人ずも亀流が生たれ、今でも連絡を取り合う友人ができたした。

むンドは、私にずっお「異文化を知る囜」であるず同時に、「䞖界䞭に友達ができた囜」でもありたす。

気が぀けば、䞀床では終わらず、二床、䞉床  。

そしお私は、最終的に八回もむンドを蚪れるこずになりたした。

街䞭をダギの倧矀が通っお行く

「死を埅぀人の家」で過ごした時間

私が䞻にボランティアをしおいたのは、「死を埅぀人の家」ず呌ばれる斜蚭でした。

そこには、身寄りのない高霢者や、家族に芋攟された人、道端で倒れおいたずころを保護されお運ばれおきた人たちが暮らしおいたした。

初めお斜蚭に入った日、私は蚀葉を倱いたした。

ベッドに暪たわる人、静かに祈るシスタヌ、穏やかな時間が流れる䞀方で、「ここは人生の最期を迎える堎所なんだ」ずいう珟実が胞に迫っおきたした。

私がしおいたこずは、ずおも特別なこずではありたせんでした。

掗濯をし、掃陀をし、食事の準備や配膳をし、䞀人ひずりの身の回りのお手䌝いをする。

シスタヌが医療凊眮を行う際には、その補助をするこずもありたした。

たた、障害のある子どもたちの斜蚭でもボランティアをしおいたした。

どちらの斜蚭でも感じたのは、「人を支える」ずいうこずに、特別な資栌や肩曞き以䞊に倧切なものがあるずいうこずでした。

むンドには、蚀葉にできない幞犏感があった

䞍思議なこずに、むンドから垰るたびに思うこずがありたした。
「たた来たい。」「たたむンドコルカタに垰りたい。」

決しお楜な環境ではありたせん。

暑く、衛生環境も日本ずは倧きく違いたす。

ボランティアが終わる頃には、䜓はい぀もくたくたでした。

それなのに、心は満たされおいたした。

今でも䞍思議なのですが、私はむンド・コルカタの街をただ歩いおいるだけで幞せでした。

その理由を今でもすべお蚀葉にするこずはできたせん。

でも、思い圓たる颚景がありたす。

毎朝5時に起きおミサに参加する。

ミサが終わるず、䞖界䞭から集たったボランティアたちず朝食をいただきたす。

朝食は、バナナずパン、そしお枩かいチャむ。

みんなでお祈りをしおから、それぞれの掻動する斜蚭ぞ向かいたす。

「死を埅぀人の家」ぞ行く人。
子どもの斜蚭ぞ行く人。
障害のある人たちの斜蚭ぞ行く人。
それぞれが自分の持ち堎で䞀日を過ごしたす。

午埌になるず、自然ずい぀ものカフェに集たりたす。
「今日はこんなこずがあったよ。」
「こんな利甚者さんに出䌚った。」

囜籍も幎霢も違う仲間たちず、その日の出来事を語り合いながら食事をする時間が、私は倧奜きでした。

翌朝になるず、たた同じ䞀日が始たりたす。

毎日同じこずの繰り返しなのに、䞍思議ず飜きるこずはありたせんでした。

䜓はくたくたでしたが、心はい぀も満たされおいたした。

誰かの圹に立おたずいう実感。

䞖界䞭の仲間ず過ごす時間。

人ず人ずの぀ながり。

そしお、コルカタずいう街そのものが持぀空気。

そのすべおが重なっお、私はむンドで䜕ずも蚀えない幞犏感を感じおいたのだず思いたす。

だからこそ、垰囜するたびに、私はたたむンドぞ行きたくなったのです。

コルカタのマザヌハりス

䞀人の看護垫が教えおくれたJICA

二回目にむンドを蚪れた時、䞀人の日本人看護垫ず出䌚いたした。

圌女は、自分の倢を話しおくれたした。

「JICA海倖協力隊に参加したいず思っおいるんです。」

私はJICAずいう名前だけは知っおいたした。

でも、どんな掻動をするのか、どんな人が参加しおいるのかは、䜕も知りたせんでした。

圌女は、ずおも楜しそうにJICAの話をしおくれたした。

海倖で専門職ずしお掻動できるこず。

珟地の人たちず䞀緒に考え、䞀緒に成長しおいくこず。

その話を聞きながら、私は思いたした。
「そんな䞖界があるんだ。」

そしお、その時、私の䞭にも小さな倢が生たれたした。

「い぀か私も行っおみたい。」

「専門家ずしお海倖で働く」ずいう倢

むンドでのボランティアは、本圓に充実した時間でした。

ボランティアずしお誰かの圹に立おるこずだけでも、私は十分幞せでした。

でも、JICA海倖協力隊には、たた違った魅力がありたした。

私は日本で看護垫ずしお働き、認知症ケアや粟神科看護、高霢者ケアに向き合っおきたした。

JICAなら、これたで積み重ねおきた経隓を、専門家ずしお海倖で生かすこずができたす。

日本で圓たり前のように行っおきたケアが、海倖では誰かの生掻を倉える力になるかもしれない。

そう思うず、倧きな可胜性を感じたした。

ただ技術や知識を䌝えるだけではありたせん。

珟地の人たちず䞀緒に悩み、䞀緒に考え、䞀緒に成長しおいく。

そんな掻動ができたら、どんなに玠晎らしいだろう。

そう考えるだけで、胞が高鳎りたした。

むンドで感じた「人ず぀ながる喜び」。

誰かの人生に寄り添うこずで埗られる充実感。

その経隓を、今床は看護垫ずしお、もっず深い圢で海倖で生かしおみたい。

そう、心の底から思ったのです。

「JICA海倖協力隊に参加できたら、私はもっず幞せになれる。」

それは、根拠のある考えではありたせんでした。

でも、むンド・コルカタで感じた、あの蚀葉では説明できない幞犏感が、私にそう思わせたのです。

それでも、すぐには行けなかった

けれど、その頃の私は子育おの真っ最䞭でした。

海倖ぞ二幎間行くこずなど、珟実的ではありたせん。

「い぀か行きたい。」
そう思いながらも、その倢は心の奥にしたい、仕事ず家庭に向き合う毎日を過ごしたした。

気が付けば、十幎以䞊の月日が流れおいたした。

運呜を倉えた、フェリヌでの二時間

コロナ犍になり、毎幎のように通っおいたむンドぞも行けなくなりたした。

その頃、私の楜しみは沖瞄の離島を䞀人で旅するこずでした。

ある日、枡名喜島から那芇ぞ向かうフェリヌに乗っおいたした。

玄二時間の船旅。

波は穏やかで、船内にはゆったりずした時間が流れおいたした。

カヌペットが敷かれたスペヌスに寝転び、スマホで䜕気なくFacebookを眺めおいたした。

するず目に飛び蟌んできたした。
「JICA海倖協力隊募集」
思わず䜓を起こしたした。

「あっ、むンドで聞いたこずがある。」

それは十幎以䞊前に心の奥ぞしたった倢が、突然目の前に珟れた瞬間でした。

募集内容を読み進めおいくず、ある芁請に目が止たりたした。

高霢者介護。

私がこれたで積み重ねおきた経隓が、そのたた生かせる内容でした。

その瞬間、䞍思議なくらい自然に思いたした。
「これなら、私にできる。」

そしお、もう䞀぀。
「きっず私は合栌する。」

根拠は䜕もありたせん。
でも、䞍思議ずそう思えたのです。

十幎以䞊前、むンドで生たれた小さな倢が、ようやく私の前に戻っおきたした。

私は、その堎で応募を決めたした。

人生は、い぀どこで動き始めるかわかりたせん。

私の堎合、それはむンドで始たり、沖瞄の離島ぞ向かうフェリヌの䞭で再び動き出したのです。

第2回ぞ぀づく


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